気分は下剋上 chocolate&cigarette

こうやまみか

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 呉先生経由で森技官から聞いた話では元研修医はクラブラウンジにずっと座っていただけで――それでもホテルのスタッフには顰蹙と不審を買ったに違いないが――料金をキチンと支払っている以上、そして他のお客の迷惑にならなければホテル側も追い出すことは出来ないだろう。
 だからその狂気の気配の余韻が生々しく残っている場所よりもあの元研修医が足を踏み入れていない場所に行く方が祐樹の精神衛生上も良いだろうと判断した。
 それに喫煙スペース――といってもホテルの瀟洒な重厚さに相応しい灰皿が置いてあるだけの庭園なので人工のモノではあるけれど木々や芝生が開放的な気分にしてくれるだろうし。
「一応、こういうのも飲むのが良いかなと思いついて。――そのう、夜に備えとして。
 ニンニクは身体にも良い食べ物だし、何より滋養強壮の効能は素晴らしいからな。
 ただ、鉄板焼きに付いている揚げたモノは想定内だったが、生で食べるのは、今決まったので準備が出来なかったから」
 レストランフロアまでの道すがらどっしりとした家具や足音も完璧に消してくれるペルシャ絨毯の上を肩を並べて歩きながら、祐樹の方へと顔を上げて楽しそうな笑みを半ば無理やり作った。そのわざとらしさが祐樹に気づかれないように細心の注意を払いながら。
 夕食を終えて二人きりの密室に籠ることへの期待と高揚は確かに心の中に存在する。
 しかし、それでもイザとなったらどういう反応をしてしまうか自分でも心もとないのも事実だった。
 「あの恐怖の体験」のフラッシュバックが起こってしまうかも知れないので。
 もともと悲観的な性格だと自覚していたが、祐樹と恋人関係に成れて随分と改善されたと自己分析してはいたものの、また元に戻りそうで怖い。
 唯一の救いは祐樹が変わらずに傍に居てくれることだった。
「なんだか、秋の気配が感じられる涼しい風ですね」
 喫煙スペースは副流煙の問題のせいか、建物の外側の空中庭園めいた場所だった。
「そうだな……。キンモクセイの香りも漂っている。もう秋だなと思わせる香りだ」
 祐樹がタバコのパッケージを器用に剥がしていく。その男らしい節ばった指先が、ベッドの上で自分の身体のあちこちに触れられるのかと思うと期待感で胸が高鳴った。
 なんだかフラッシュバックは起きないような気がしていたが、あくまでその時にならないと分からないのが不甲斐ない。
 それに自分だけの反応だけならまだしも、祐樹の心の奥底にある精神的な傷口まで広げてしまってはならないので。
 すると。

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