気分は下剋上 chocolate&cigarette

こうやまみか

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 その当時は(祐樹が執務室に来てくれるだろうか?)という怯えに似た期待で胸が塞がったようになっていた。その上そのまま就職する積もりだった大学病院に「綺麗な人を祐樹が口説いている」場面を目撃したショックでアメリカに行ってしまったので病院内のヒエラルキー制度を知ってはいたものの実感していないのでそんなに敷居が高すぎるということも分からなかった。
 祐樹が嫌そうな表情を押し隠して――今考えると至極当然だが――執務室に来てくれたというのは「脈あり」ということだったが当時は全く考えていなかった。
 あの時の不安と焦燥、そして祐樹がどう思っているか息を殺して探っていたことを思えばこの程度はまだ軽いような気がした。
「では、ホテルを取っておきますね」
 祐樹がとても美味しそうに最も苦いチョコを食べながらも、自分の眼差しの奥を探るような感じで見詰めている。
 多分、あんな目に遭った自分が愛の行為をすることへのトラウマとかPTSDに襲われるのを危惧してくれているのだろう。
 あの井藤元研修医の暴力と祐樹がしてくれることは全く別物だと頭では分かっている。ただ、身体の同じ部分を使うことも事実で、その時はどうなるか自信はなかった。
 しかし、祐樹だって精神の奥に傷を抱えているのも分かっていた。プラシーボ効果について言い出して来たのは、多分自分の心を解すためだろう。
 そうやって二人の心に魔法をかけようとしているのだろうな……と思うと昔の人が「イワシの頭も信心から」と言ったことも納得出来る。
「ああ、とても楽しみにしている」
 心の中の屈託を見せないように細心の注意を払った笑顔を作った。祐樹が目敏いのは充分知っていたので。
「私もです。二人きりのホテルライフを楽しみましょうね。貴方のステーキもとても美味しいですが、また別の趣きが有りますからね」
 祐樹が楽しそうに笑ってはいたが、その輝くような笑顔は部分日食のような感じだった。
「それはそうだろう……。火力とか鉄板の厚さなどが異なるからな。赤ワインで祐樹と乾杯したい。
 とても楽しみにしている。その後のことも」
 笑みと言葉を弾ませながらも、祐樹には気取られないようにそっとため息をコーヒーの上に零した。
 そして。

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