気分は下剋上 chocolate&cigarette

こうやまみか

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「教授や田中先生にとってはまさしく最初の逢瀬のホテルで、そしてそのままデートにずっと使っているというホテルなのですよね。
 そういう意味でも二人の愛の軌跡を黙って見守ってきた歴史すら有るホテルなのですから、そのホテルの方がご自宅よりも田中先生の精神の傷が疼かなくて済みそうですね。
 ただ、ここだけの話、同居人がそのホテルの支配人から聞き出したのですが――何しろ食品や飲み物に不当表示があったのも事実ですから保健所の上部組織の人間には支配人も逆らえないらしいです。いやぁ、国家権力を傘にした官僚らしいやり方ですよね――」
 呉先生はスミレ色の笑みながらどこか苦々しい感じだった。スミレというよりも根に毒をもっていりスズランの花に似ているような気がする。
 恋人として森技官のことは愛しているとは思うが――あの赤裸々な寝室事情の暴露で少しは株価が下がったかもしれないが、呉先生の雰囲気とか口調を見ている限り大暴落には至ってないのだろう、呉先生も「あの時、あの場」では森技官が暴露した方が良かったと理性では分かっているのだろう、感情はともかく。
 そうではなくて大学病院の医師、いやコ・メディカルを含めた全員が思っている――現場では無理難題を言ってくる厚労省という存在そのものに対しての嫌悪感かもしれない。
「あのう、厚労省に何か恨みでも?」
 呉先生の表情が根っこだけではなくて白く可憐な花の部分までもが毒を持った感じのスズランの花に似ているような気がして、話が本題から外れているのを承知で聞いてみた。
「それはもちろんですよ。私だって一応は精神科の人間です。ブランチを構えて病院内独立を果たしたとはいえ、精神科には友達や知人もたくさんいます。最近、厚労省様から通達が来ましてね。『使ってはいけない薬リスト』というものが指示されました。
 その判断基準が、例えば大昔のサリドマイドのように妊婦さんが服用すると生まれてくる赤ん坊に極めて高度な障害が起こるとかなら話は分かります」
 サリドマイドの薬害事件については知識として知っていた。妊娠初期の女性が――それでなくともそういう時期には眠りが浅くなったり眠れなくなったりする――服用すると胎児が死に至ったりいわゆる奇形児として生まれてきたりした。
 確かアメリカやヨーロッパの国々ではそういうケースが報告された直後に禁止にしたらしいが、日本では厚労省の対応が遅れて被害者が増えたとも。
「そうですね。副作用はどんな形で出るか、正直なところ分からないですから。我が国で禁止が遅れたという点も、厚労省ならやりかねないというかお家芸的ですよね」
 すると。

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