気分は下剋上 chocolate&cigarette

こうやまみか

87

 その頃よりも――今は一時的にお互いが遠慮し合っている上に精神的にダメージを負っているとはいえ祐樹も自分もお互いの心の絆というか、比喩的に言うならば繋いだ手を離す積もりが皆無だと思っていることが分かっている――二人の関係は確実に深まっている。
 だから、この状態さえ乗り切れば大丈夫だという自信が有った。
 あの頃は祐樹の愛情が――というか自分に欲情してくれる期間かも知れない――(なるべく長く続きますように)と無神論者の自分でさえも神様に祈らずにはいられなかった。
 それに比べると、未だマシのような気がした。
「そうなのですね。それでどうなったのですか?」
 呉先生がコーヒーのお代わりを持って来てくれた。精神科の医師の基礎の基礎として相手の話を絶対に遮らないというセオリーが有るので、その通りのことをしているのかも知れないが呉先生は興味津々といった感じだった。
「そのお店にたまたま祐樹も来ていて――といってもその頃は私の片想いの相手というだけの関係性でしかなかったのですが――強引に店から連れ出されました。
 そして『皆がお酒を奢ってくれるのは、ベッドに誘う下心があるからです』と断言して……」
 呉先生が可笑しそうにスミレ色の笑みを浮かべた。
「まあ、そうですね。普通、下心がないとお酒なんてご馳走しないでしょう?
 そういうお店ならば、そっち関係のお誘いです。それが田中先生には我慢出来なかったのではありませんか?」
 「下心がないとお酒は奢らない」という言葉に目を瞠ってしまう。
「そうなのですか?義務として出ている教授会の後に病院長が二次会を催してくれることも有りますが、当然お勘定は斉藤病院長が払っています。
 しかし、下心が有るとは到底思えませんが……」
 呉先生はスミレの花の可憐さとは裏腹に豪快な笑い声を立てていた。何がそんなに可笑しいのかは分からなかったが。
「病院長の場合の下心は人心掌握です。その証拠にあの人が内心嫌っている教授は声が掛からないのです。お気付きになりませんでしたか?」
 そうだったかな?と思う。ただ、毎回誘われる二次会に行くよりも、祐樹と過ごす時間の方が重要なのは言うまでもないので、ひたすら断る口実を探していたのでそこまで気が回らなかった。
「そうなのですか……。確かに美酒や美食を振る舞う方が――ああ、舞妓や芸子付きという席も有りましたね――人気も上がるでしょうが」
 呉先生は穏やかで快活そうな表情を浮かべていた。
「腹黒タヌキのことはこの際置いておくことにして……。
 で?その後どうなったのですか?田中先生とは?」
 どう答えようかと一瞬考えた。
 そして。

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