気分は下剋上 chocolate&cigarette

こうやまみか

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「ああ、その点は気になさらなくても大丈夫ですよ。武道の心得もありますし、口ゲンカでも本当の喧嘩沙汰も――もちろん、表沙汰というか警察のお世話にはなっていないようです。多分被害届を出さなかったのでしょうね、相手側も。ともかく内々に収めたと聞いているので――大好きだし不敗を誇るとか常々言っています。
 実際、私も二人で居る時にそういう事態に巻き込まれたことが有りますが見事なモノでしたね……。
 だからまず口で思いっきり挑発して教授の傍から犯人を離して自分の方へと向かわせるという計画が上手くいったのでしょう。
 それくらい腕にも覚えがあるということです」
 そう言えば、森技官の動きには何だか時代劇の俳優の所作に似た――剣の達人という設定の役どころだ――秩序立った美しさがあったことを今更ながら思い出した。当時はそんなところまで注意を払っていられなかったが、自分の脳は一部始終を覚えている。それが良いコトなのかどうかは別にして。暗記力は祐樹も褒めてくれる数少ない自分の長所だったが。
「そうなのですか……。そういえば何だか場馴れしている感じは受けました。今思えば……なのですけれども。
 あの時はそんな心の余裕がなくて……お恥ずかしい話しですが、ただ裕樹の……あのような表情を見た方が遥かに衝撃的で……あんなに……余裕がないというか鬼気迫るという表現がぴったりで。
 正直なところ、祐樹のあんな顔は見たくなかったです。
 いえ、救われた気持ちになったのが一番大きいのですけれど……」
 呉先生が深く頷いている。否定ではなく全てを肯定するという、精神科の基礎を実践しているのか、本当にそう思っているかまでは分からなかったが。
「そうですね。あの場では流石の田中先生と言えども、そういう表情になってしまったのはある意味当たり前というか……。
 まあ、私が当事者になることはないとは思いますが、万が一にでもそういう事態になってしまった時に同居人が――ほら、田中先生と楽しそうに陰険な口ゲンカをしている時のような冷笑的な笑みと言えばお分かりかと思いますが――浮かべて入って来たら、それこそ殺意を覚えたでしょうね。家から追い出すレベルではなくて遥かに真剣に別れ話を切り出すレベルです。
 だから」

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