気分は下剋上 chocolate&cigarette

こうやまみか

70

「その後、御加減如何ですか?夜眠れないようなことは……」
 不定愁訴外来の空間に――旧館の佇まいだけでも気持ちが落ち着く作りになっている――コーヒーの薫りが更に心を穏やかにしてくれる。
 アポを取って定時上がりに寄った――直接御礼を言いたいという気持ちもあったし――呉先生はスミレ色の微笑みと明るめの穏やかな声でこちらを見ながらコーヒーを淹れてくれている。
「夜はキチンと寝られます。不眠も抑うつ症状も出ていないですね。
 あ、これは細やかですが、御礼の品です」
 季節限定のマカロンを――ただ、呉先生は患者さんからの信頼も厚くて頂き物も多いと聞いていたので迷惑かなとも思ったが――差し出すと春の陽だまりに咲くスミレのような笑みを見せてくれたが。
「そうですか。それは何よりです。
 あ!秋のマカロンはまだ誰にも頂いていないので嬉しいです。この洋菓子メーカーは外れがないので、大好きです。有難うございます」
 更に春の日の光りが当たったスミレの微笑を彷彿とさせる笑みを見てこちらまでが嬉しくなる。
 ――「あの」日曜日の夜の森技官の暴露発言については触れない方が良いだろう――
「ケーキも美味しいですよね」
 呉先生も大きく首を縦に振った。自分よりも華奢な首筋なので、何だかその動きで銀の鈴が鳴ったような感じだった。
 あそこのイチゴのショートケーキには格別な思い入れもあるし――もちろん裕樹とケーキを愛の小道具として使ったことも含めてだが、その件は呉先生には内緒にしておこう――ショーケースを見るだけでテンションが上がるのはコーヒーを運んで来てくれた呉先生も同様のようだった。
「そうですね。ああ、ここの本店って兵庫県の芦屋に有るんです。そこは、イートインも出来るようですね。
 そして、そこでしか饗してくれないクレープシュゼットが人気らしいですよ。
 教授は、柑橘系の香りがお好きなようですが、見事なオレンジの皮だけを振りかけてくれるようです。
 クレープも、バターとアルコールで――具体的なお酒の名前は忘れましたが、同居人は「そんな高価なお酒を『たかが』洋菓子に使うのは許せない」とか言っていました――グツグツ煮て、ぱっと火をかけた瞬間の香りが最高だそうですよ。
 如何ですか?日にちを決めてご一緒しませんか?」
 美味しそうだなと思ってしまった。そして、呉先生の唇からごく自然な感じで森技官の話題が出たので、少し心が軽くなった。呉先生の怒りが持続していたならそういう「ご意見」も口にしないだろうから。
 そして。

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