気分は下剋上 chocolate&cigarette

こうやまみか

59

「お早うございます。教授、先程手術前に内田教授から10分ほどお話ししたいという連絡がありました」
 執務室に入るといつものように僅かな営業用の笑みを浮かべた秘書が告げてくれた。
 朝の手術前の時間に――と言っても内科は内科ですべきことが山ほどあるハズだが――内田教授がアポイントメントを入れて来ることはない。
 多分、病院長の意を受けたお見舞いを兼ねてのことだろう。手が震えるという件は祐樹が報告しているので。
 ただ、今の所は全く手が震えていないのは幸いだったが。
「分かりました。10分程度なら大丈夫です。その旨連絡をお願いします」
 白衣を羽織りながら答えた。
「お早うございます。お忙しい時間なのに無理を申し上げてすみませんでした」
 秘書が連絡を入れるや否や、執務室の扉がノックされた。内田教授はよほど待ち構えていた、という感じだったが。
 そして、普段の柔和な感じではなくて、殺気立っている上に睡眠不足らしい赤い目とかも加わって「革命の闘士」そのものだった。
 医師視点での病院改革の闘士という面も持ち合わせている内田教授だが、教授会とか彼の執務室でしかそういう激しい面は見せていない。
 当然、秘書も多分初めて見るそんな姿に、内心驚いているようだった。有能な彼女はそういう内心を見せないようにはしていたが。
「いえ、今回の件では色々とご助力頂いたみたいですし、そしてこの事態の収束に向けて休日返上で取り組んで頂いたことも感謝致します」
 ハグと握手という――多分、握手は指の震えを確かめるためだろうし、ハグは全体的な励ましだろう――普段の内田教授らしくない大袈裟な動作にコーヒーを運んで来た秘書が困惑したような表情を浮かべている。
 当然ながら秘書は何が起こったのかまだ知らないハズだし。
「お休み中のところに病院長が余計なことをしてしまって……。合わせる顔もないとお詫びしてくれと仰っていました。
 あの時殴ってでも止めるべきでした……。その点は深くお詫び致します」
 内科医の鑑のような「温和かつ親身」な顔立ちで剣呑な「お詫び」の言葉を述べている内田教授を秘書が驚きを隠せない感じで見ていた。
「いえ、内田教授も休日返上で病院に詰めて頂いたようで、本当に申し訳なく思っております」
 応接用のソファーに向かい合って座ったが、睡眠も充分取った上に身支度も「自分の手で」完璧に済ませた――その点も裕樹はこの上もなく幸せそうに見守ってくれていた――自分とは異なって、二日間の疲労とか事態収束のために病院長室に居続けた殺気立った感じとか、このまま患者さんの前に出られないような身だしなみが気になったものの、そういう点は他ならぬ内田教授が一番分かっているだろうし、多分これからそういうモノを整えるだろう、多分。
「いえ、教授がお詫びになる筋合いはないです。むしろ、予兆を察知しながらも、何も出来ずに手をこまねいていた我々の方によりいっそうの罪があります。
 黒木准教授を始めとする医局の皆様にも、病院長自らがくれぐれもお詫びを申し上げてくれという伝言を預かってこちらに参上した次第です」
 深々と頭を下げた内田教授は何かを思い出した感じで可笑しそうな表情になっていた。
 先程の深刻さとは異なって。
 何があったのだろう。

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