気分は下剋上 chocolate&cigarette

こうやまみか

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「あの、病院の専制君主とも密かに言われている斉藤病院長が、流石に前非を悔いたようですね」
 病院長の公用車が――ちなみに一度たりとも乗ったことがない、まあ乗りたいとも思っていなかったが――徒歩圏内のマンションに無駄に横付けされていてその横に昔懐かしい物干し竿のように直立不動で白い手袋をはめた運転手さん立っているのを見た裕樹が手の甲をごく自然に触れ合せて皮肉っぽく言った。
 脳外科の元研修医――確か内田教授の発案で病院の内規が変わって問答無用で除籍されるようになっていたハズだ。あの発案もタイミング的に考えて祐樹が内田教授に働きかけたような気がする。今思えば、教授会で内田教授の案に賛成するようにそれとなく示唆していたので。
 祐樹の孤軍奮闘ぶりが良く分かった。といっても森技官や呉先生などの協力を得ていたのも間違いはないだろうが、外科のこととか教授会やそして北教授まで動かせるのは祐樹しか居ない。
 学生時代から救急救命室に入り浸っていた自分は北教授の薫陶を受けたとも言えるし、国際的に名が知られている教授らしくなく至って気さくな人なだけに、教授会の後に「一緒に帰ろう」と言われて特に何も思わなかったものの、あれも今思えば裕樹が頼んでくれたに違いない。
 通常業務だけでも自他共に認める病院一の激務をこなす医師が裕樹だというのに、自分のことでそれ以上の負荷を掛けてしまったことや、それ以上に申し訳ないのは祐樹の水も漏らさないハズの計画が――いや、個人的には完璧だったと思っている。腱を切られそうになったのは事実だし、あの時は血が凍るかと思った。しかし、祐樹が身体中に残した紅い情痕の花があの研修医の注意を逸らしてくれて、祐樹しか許していない場所の硬く閉じた門に熱い塊を押し付けられたことも事実だったが、ただ、それだけだった――裕樹の心の中では「杜撰だった」と判断してしまっていて、精神の奥深くに傷を負っている。
「頭上お気を付け下さい」
 運転手さんがドアを開けてくれて、乗り込もうとすると手でドアと天井が交わる辺りをクッションのように押さえていてくれた。
 中は完全に――多分どこかを押すと、運転手さんと会話も出来るのだろうが――区切られていて小型のテレビや何が入っているのか見当もつかない引き出しめいたものも備え付けられていた。
 ただ、そんなに距離はないので――実際のところ歩いた方が早いような気がする――病院長公用車探索よりも、隣に座った裕樹と病院の正面玄関まで手を繋ぐ方が重要だった。
 祐樹の指はまるで神様に祈りを捧げているような感じで自分の右手をしっかりと握ってくれていた。
 しかし。

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