獲物

蜘蛛星

失恋断髪

髪を切った。
それに深い意味を持つのは、私の髪が後悔するほど長かったからだろう。
人は失恋すると髪を切るという。私は失恋したわけではないのだけれど、それに近いものをしたのだと感じる。

毎朝、髪をとかすのに苦労した。癖毛混じりのその髪は、思い通りにまとまってくれない。毎晩寝癖の悪い自分を呪う。いつかこの髪を殲滅すると誓いつつ、何も出来ない自分がいた。それでも私は、その髪を愛していた。

髪を伸ばし始めたのは、確か五年ほど前からのような気がする。元々肩より短い髪を伸ばそうと思ったのは、切るタイミングを失ったという単純な理由からだった。
そのうち、本当に切る理由がなくなった。
人見知りの私は、その髪のおかげで他人と話す口実を作ることができたのだ。だから私はその髪を愛していた。

幼い頃から癖毛だった。パーマでも当てているのかというほど酷い癖毛だった。恐ろしいほどストレートな髪の幼馴染は、私を羨ましいと言った。それがどうしても許せなくて、手を出してしまったことをよく覚えている。
激しい喧騒の末、私の汚い縮れた髪と、彼女の美しいつややかな髪が数本ちぎれてちらばっていた。
短いままでよかった。長くすれば髪の扱いがもっと大変になると知っていた。女性らしさを諦めることが、幼い私にとってどれだけの苦痛だっただろう。

幼馴染と同じ学校を辿っていった。辿りたかったわけではない。それは運命とも言えるのかもしれない。私はいつの間にか、その幼馴染と生まれてからほとんどの時間を共に生きていた。
彼女は美しく、しかし一途だった。私は彼女の彼氏に何度も会う。それが幼馴染の特権だと思うとそこはかとなく嬉しくなるのだ。
相変わらず、彼女の髪は美しかった。それは魔的であり、天使のようでもあった。

幼い頃はよく他愛もないことで喧嘩をしていた。今は随分と落ち着いて、二人で旅行なんて行く仲になっている。彼女の使うシャンプーはとてもいい匂いで、私はそれに憧れて同じものを買った。私の髪は、彼女の匂いに近くなっている。それがとても嬉しくて、私は酷い癖毛を愛せるようになってきた。


それはあっという間だった。
赤の他人と人生が交わり続けていられるはずがなかった。
私が進学するのに対し、彼女は就職が決まったのだと嬉しそうに語る。風になびく彼女の煌びやかな髪からは、いつもと違う香りがした。
夕焼けが、彼女の髪を燃やしているように見えた。私と彼女との思い出を燃やしているように見えた。

卒業式の前日、私は髪を切り、縮毛矯正をかけた。鏡に映る自分は全くの別人だった。床に散らばる私の五年を踏み潰しながら、私は店の外へ出る。なぜか泣きそうだった。私は恋をしていたのだろうか。私は本当に、長い癖毛を愛していたのだろうか。私は、私はなにを愛していたのか。私はただ、自惚れてただけじゃないのか。

幼馴染は、私の髪を見て随分と驚いていた。それから、それからいつものように、私にだけ見せる油断した笑顔で、意外と似合うじゃんとだけ言った。私は号泣してしまって、卒業式まだ始まってないよと笑われてしまった。彼女の目が潤んで見えたのは、私の視界が涙で濡れていたからかもしれない。

卒業証書は随分と軽かった。
私の三年はこんなに軽かったのかと思うほどだった。幼馴染が走って来て、一緒に写真を撮ろうと言う。しかし周りの友人が我も我もと寄ってきて、結局大人数での写真撮影となった。彼女はみんなが解散してからもう一度来て、今度こそ二人きりで写真を撮った。

『あたしね、結婚するの。』

その言葉がとても重かった。
今までお付き合いしてた方と、正式に結婚することが決まったらしい。ありえないと思ってた。まだ学生だからと思ってた。でも、彼女はもう社会人になる。私とは違う。嬉しいのと、何故か悲しいのとで頭がいっぱいになった。私は目に涙をためながら、なんとか絞り出しておめでとうと言った。

彼女が、俯いた。美しい髪がベールのようになって顔が見えなくなる。私はこのベールを上げられないのだ。縋り付くように抱きしめると、彼女は震えた声でありがとうといった。何かが切れた音がして、私と彼女は抱き合って大泣きしていた。



風でなびいた髪からは、パーマ液の匂いしかしなかった。

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