竜と女神と

水無月六佐

登校する二人

「あら、晴ちゃん、どうしたの? 忘れ物?」
 中から声が聞こえる。鍵を開けてこっそりと家に入ったハルだが、呆気なくおばさんに見つかってしまったようだ。
「う、うん……あっ! 燐斗! すぐに取ってくるから!」
「ああ、分かった。まだ時間はあるからそんなに急がなくてもいいぞー」
「はぁーい!」
 返事はしてくれたが、声がさっきよりだいぶ遠くから聞こえるので、早歩きをしているようだ。
「まあ! 燐斗君!」
 俺の声を聞いて、玄関から顔を出すおばさん。……正直、この人はおばさんと言っていいのか分からないくらい若く見えるし、性格も少女みたいなので、『おばさん』と呼ぶのに少しだけ罪悪感を感じてしまう。かといって、『おねえさん』と呼ぶのもアレだし……
「お久しぶりッス。二週間ぶりくらいッスかね……」
 あの時までは殆ど毎日のように会っていたのだから、もしかしたら心配されていたかもしれない。
「本当にお久しぶりね! ……忙しくてウチに来る時間がなかったの?」
「ええ、まあ……ああ、お土産、ありがとうございました」
 同棲生活を始めた事を言うべきなのか……?
「御礼なら御母様に言ってくださいな。今は眠っていらっしゃるから、学校帰りにウチに来ればいいわ」
 やんわりと微笑むおばさん。普段はハルと歳の近い姉のように見えるが、表情を変えるときはハルよりも断然大人っぽく感じる。……これが人生経験の差だろうか。
「えーっと、バイト帰りなので八時過ぎくらいになりますけど……」
「あら、そうなのね。御夕飯、作っておきましょうか?」
 二週間前まではその好意に甘えていたわけだが、今は家でアイツらが待ってくれているわけだし……
「いえ、大丈夫ッス。……実は、一週間前から俺と同じような境遇の人をウチで預かることになって、三人で同棲生活をしているんッスよ」
 意を決して言う。……隠していて面倒な事態になっても困るし。
「……もしかして、同世代の女の子?」
 そこが一番気になるのか……というか、何ッスか、そのキラッキラした顔。
「……十五歳と二十歳の女の人ッス」
「なぁるほどぉ! 少し前から陽ちゃんが焦っている様子だったのはそういう事だったのね!」
 ポンッと手を叩くおばさん。途端に表情が分かりやすく明るくなった。
 こういう事に関しては、女性っていつまでも乙女なんだな……
「はは……ハルもとっても可愛いと思うんッスけど、俺と同棲している二人もすっごい美人なんッスよ」
「たしかに、それは陽ちゃんにとって危うい状況ね…………それで、燐斗君は、どうなの?」
 ニヤニヤと笑いながら俺の顔を見るおばさん。……どう答えればいいのだろうか。
「どうって……いや、今のところ、分からない、です」
 今の俺にはこんな答えしか言えない。
「そう……燐斗君、自分が幸せになれる道を自分で選ぶのよ。ずっと一緒にいたからって、私たちの目が気になるからって理由だけで陽ちゃんを選んだとしても、お互いに幸せにはなれないわ。……陽ちゃんと、その二人としっかりと向き合ってね」
 先程の表情とは一転して、空気が凍り付いてしまったと錯覚してしまうほどの冷たい表情だ。……しかし、何故だろう。こんなときに、『二人のうちの一人は恋愛対象ではないッス』というツッコミが脳内に響いた。
「分かっています。……自分が後悔しないような選択をするつもり、です」
「……ふふ、こんな事を言ってしまったけれど、燐斗君なら心配ないと思っているわ」
 俺の答えを聞いて、柔らかく微笑むおばさん。表情を作っているのか、本心なのか、今でもたまに分からないときがある。
「……ありがとうございます」
 でも、この微笑みは、本心の現れなんだと思う。
「……それにしても、遅いわねー、陽ちゃん」
「遅いッスねー……」
「そもそも、忘れ物って何かしら? 陽ちゃんが忘れ物をして家に帰ってくるって、珍しいでしょう?」
「……どこにあるのか分からないものなら探すのを手伝ったほうがいいのかもしれないッスけど、ハルは整理整頓がきっちりと出来るタイプッスもんね」
 探し物がなかなか見つからないってことはないだろう。
「……あ、燐斗君、陽ちゃんの顔が真っ赤だったけれど、何かあったの?」
 何て言おう。性欲の塊に襲われました? ……いや、全部真に受けられても困るな。説明不足過ぎるし。
「えーっと、俺の同居人が粗相を……あ、来たみたいッスね」
「お、おまたせ……」
 まだほんのりと顔が赤いハル……色っぽいなぁ。
「忘れ物はあったか?」
「う、うん! あったあった!」
 ……なんでそんなに焦っているんだろう。
「ねえ、陽ちゃん、燐斗君の家で何かあっ……」
「お、お母さんには帰ってから全部話すから!」
「あら、そう? じゃあ、陽ちゃんが帰ってきてからのお楽しみにしようかしら」
「……俺には言えないことなのか?」
「っ! さっ、察してよ燐斗ぉ!」
「あ、ああ、悪い! もう聞かないからさ!」
「……絶対に知られたくないもん」
 小声でボソッと呟くハル
 。……これは本当に聞かない方が良いヤツだな。
「……それじゃあ、改めて、行ってきます。お母さん」
「……行ってきます」
 あれ? 今、俺……ちゃんと言えた?
「あら……っ! ふふ、行ってらっしゃい! 二人とも!」
 むーっ! と口を尖らせているであろうハルの手を引いて、第二の俺の家を出た。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品