もののけモノノケOH!魔が通るっ!!

水無月六佐

第二記:ポンティアナック

「ねーえ、バナナの木ってどこにあるのー?」
 第一声がソレかよ。
「バナナの木、ですか? というか、座ってから話しましょうよ」
 吸血幽霊……いや、響槽院さんが言うには『吸血鬼』か。その呼び名に警戒心を抱きながら待っていると予想に反する気の抜けた声と共に女性が部屋へと入ってきたのだが……バナナ?
「はいはーい。よっこいしょっと」
 どっかりとソファに座る女性。肩幅いっぱいに腕を広げ首を少しだけ傾けているという、一見すると柄の悪い人の座り方である。
 しかし、彼女の顔色を見るとかなり体調の悪い人のようにも見える。
 信じられない程に青白い顔、ほんの少し垂れた目、一点の汚れも無い真っ白な服。
 これは偏見だとは思うが、『無理矢理外出した重症患者』というのが率直な印象だ。
「それじゃあ気を取り直してもう一回聞くけどー、バナナの木って何処にあんのー?」
 ジッと顔を見つめられているが、やはり妖怪、いや、『魔』というべきなのか、それだけでかなりのプレッシャーを感じる。
 先ほど抱いた『重症患者』というイメージが段々と恐怖に蝕まれていく。
 虚無へと引き摺り込まれるような真っ黒な瞳、不自然なまでに艶やかで滑らかな黒い髪、そしてハッキリと見えるほどに長い二本の牙がキラリと光り……
「…………」
 返事をしなければ。彼女の質問に答えねば。
 そう思っても言葉が出てこない。
「んー、そもそも、ポン……なんだっけ? ポンちゃんはさー、何でバナナの木を探してんのー?」
「ポンティアナックだよぉー。まあ、ポンちゃんでもいいんだけどさー。可愛いし」
 何も言えない俺に代わって隣に座っているキツネさんが尋ねる。二人の会話を見ていると気の緩むようなのほほんとした雰囲気が漂っているというのに、どうにも緊張感が消えない。
「えーっとねー、バナナの木は私の寝床なんだー」
「寝床……? バナナの木の近くで寝ているんですか?」
「え、バナナの木の下で寝てんの?」
 キツネさんとリアクションが被ってしまったが、バナナの木が……寝床?
「あー、えっと、そうだねー。近くで、とか、下で、とかじゃなくてー、中でっていうのが正しいかなー?」
「中で……というのは?」
 ソレはソレでよく分からない。緊張感が消え去った訳ではないが、好奇心の方が勝っているのか無事に質問をする事が出来た。
「んーっと、いきなり言ってもわかんないかもしれないからー、順番に話していくねー? えーっと、こんな所にいるくらいだからさー、この世界とか私達の世界の事は知っているよねー?」
「ええっと、俺達が今いる現世の裏側には『妖怪たちの世界』があるんですよね? 実は俺、新入りなので実際に行った事はないんですけど……」
 この事実について知らされたのも二日前程なので、自分の発言でさえフワフワとした現実味の無いモノに感じてしまうが……
 世界の裏側って何だよって気持ちは少なからずあるし、何故か妖怪たちの世界では日本以外の全ての土地が繋がっているという事実に『何で日本だけ仲間外れ状態なんだよ』とツッコミを入れたい気持ちもある。
 ちなみに『魔』と『物の怪』と区別して呼ばれているのはコレが理由の一つらしい。
「あ、そうなんだー。けど、行かない方がいいよぉー。人間が行くには物騒が過ぎるからねー。私でさえ長居はあまりしたくないくらいだからー」
 相変わらずのほほんとした表情と口調で彼女は言う。
 一体どんな世界なんだ……いつかは仕事で行く事になるのだろうか?
「それに、存在さえ知っていれば話は通じるから大丈夫だよー……ところでそのヒト、ぐっすり眠ってるけど大丈夫なのー?」
 ……ん?
「うわホントだ寝てる」
 ポンティアナックさんに促され隣を見るとキツネさんがソファの背もたれに頭を乗せ、静かに寝息を立てていた。
 涎を垂らしながら眠っているその様子は何とも気持ちよさげであるが、ソレを見ている俺の感情は穏やかなモノではない。
「キツネさん! 何こんな短時間で寝てるんだよ! 今は仕事中だから!」
 先程までビビりまくっていた俺を置いて夢の世界に行かないでほしい。
「ん、んー……おはよぉっ!」
 何度か肩を揺さぶると、か細い声の後にボリュームを間違えたような声の大きさで朝の御挨拶をするキツネさん。
 いや、今は夕方だけど。というか口だけじゃなくて目も開けてくれ。
「眠っちゃってて大丈夫だったのー? その間に私がこの人の血をチューチュー吸い尽くしていたかもしれないよぉー?」
 俺が辛うじて言わないようにしていた、考えないようにしていた言葉をサラッと言うポンティアナックさん。話す度にチラチラと見える牙のせいで冗談に聞こえないのが怖すぎる……
「んー? 大丈夫大丈夫っ! その時はワタシがちゃーんと護るからぁーー……」
 そう言いつつ今度はグデーっと俺の膝の上に倒れてきてそのまま丸くなって眠るキツネさん……ってオイ。
「キツネさん? キツネさーん? ……駄目だ、もう寝てる」
 普通に重いのと身体が密着していて気が散るのと寝ないでほしい感情で頭がショートしそうだ。
 というか、このままだと何かがあった時にも身動きが取れないじゃないか!
「……大変そうだねー、少年ー」
 僅かながらに口角を上げながら、からかうように彼女は言う。
 助けを求めたいところだが、立場上、そうはいかない気がする。
「少年って歳でもないでしょう……」
 来年に成人式を迎えるというのに少年呼ばわりは何だか恥ずかしい。まあ、彼女から見ると俺は単なる少年に過ぎないのかもしれないが……
「まあ、顔つきとか身体つきはー? そうかなぁー?」
 ニッコリと笑みを浮かべるポンティアナックさん。こうしてみると美人だが、からかわれているのがよくわかるのであまり好い気はしない。
「あ、そうそう、バナナの木の話、続けていいー?」
「ええ、どうぞ……」
 正直、この状況はとても不安ではあるが、本当に危ない時は助けてくれるのだと信じる事にした。というか、そうするしかない。
「ほら、さっき私ー、妖怪の世界は危ないって言ったでしょー?」
「ええ、あまり長居はしたくないと言ってましたね」
「うんうんー、それでさー、そんな世界だったら眠る事も満足に出来ないワケー」
「というかそもそも……妖怪にも睡眠って必要なんですか?」
「ん」
「ああ……」
 俺の素朴な疑問に対し、彼女は俺の膝の上で眠っているモフモフ尻尾付きおねーさんを指差す。
 必要かどうかという質問に答えてもらった訳ではないが、ここで『必要ない』などとハッキリ言われようものなら意地でも彼女を叩き起こす事になると思うので、ある意味正解なのかもしれない。
「で、だったら人間の世界で寝ればって話になるでしょー? けど、ソレはソレでNGなんだよねー。お金持ってないし、稼げないからー……野宿したらしたで面倒くさい事になったしー」
 詳しい事情はよくわからないが、要するに現世で寝る事も厳しいらしい。
「それで、バナナの中に……?」
 正直、先程までの話と等号で繋がる気はしないが、そういう事なのだろう。
「ん、そうそうー。人間の世界のー、バナナの木の中に入れる事に気づいたワケー」
「何をどうしたらそういう事になったんですか……」
 そもそも、『そうだ、バナナの木の中に入ってみよう』なんて考えつくだろうか?
「寝不足になりながら人間たちの話をコッソリ聞いていたらさー、野生のバナナの木の中には妖精? 神様? が住んでいるって話を聞いてー」
「なるほど、それで自分も入れないかと試したって訳ですか」
「そうそうー。それで、試してみたら普通に入れてー、その中の空間は人間の世界と妖怪の世界の間って感じでー」
 ……バナナの木の中に入るって、傍から見てどんな感じなのだろう。かなりシュールな気がする。
「けど、中には妖精が居てー」
「あ、実際に居たんですか」
 てっきり、そういう伝承なのだと思ったが……いや、言い伝えられた結果、妖怪が生まれるパターンもあるらしいが。
「うん、いたよー。それで、同じような妖精が沢山いるらしくてー、『この国のバナナの木全てに自分達がいるわけじゃないけど、いっその事他の国のバナナの木の中に入ってみたら?』って言われて、とりあえずテキトーに移動してみたんだー」
 それが良いアドバイスだったのかどうかはわからないが、まあ、そんなやり取りがあった訳だな……
「それで、移動先の国でバナナの木があったから其処に住み始めたって事ですか?」
「うん、そうだねー。インドネシアって島国でー、過ごしやすい良いところなんだよー!」
 インドネシア、か。何処にあるかは度忘れしてしまったが、暖かい気候の地域であったはずだ。
「朝とか昼は日光でクラクラしちゃうから基本的にバナナの木の中にいたけどぉー」
 説明を続けている彼女であるが、ここで一つ、俺の頭の中にとある疑問が過った。
「……そういえば、何で日本に来たんですか?」
 暮らしやすい場所を見つけたのならばわざわざこの国に来る必要はあるのだろうか?
「ん、それはねー。生まれてからずーっと行けなかった物の怪達の国に行けるようになったって聞いたから、興味本位でー」
 要するに、観光という事か。
「要するに、sightseeingってワケ!」
 さ、サイ……何だって?
「……? ああ、sightseeingって、観光って意味だよー」
「な、なるほど……」
 おそらくは外国語なのだろうが、英語などは殆どわからない……もしかすると、仕事のために勉強した方がいいのかもしれない。
「あれ? この国って今は英語教育してるんじゃなかったっけー? ダメだよー、私みたいに日本語を話せるようになってから観光に来る『魔』ばっかりじゃないんだからー」
 ……マジか。
「私の知り合いも日本語勉強しているんだけどさ、色んな言葉が混ざってすごい事になってるからー!」
 ……今から不安になってきたぞ。
「頑張ります……」
 あまりの自信の無さに絞り出すような声しか出なかったが、何とか頑張るしかない。
「多分、私みたいな観光目的の『魔』は沢山いるから頑張ってねー」
「はい……」
 やっぱり不安だ……それと、いい加減膝が痺れてきたぞ。
「で、私の話の続きなんだけどさー、しばらくこの国に滞在しようと思うから、寝床のバナナの木が欲しいなーって思ってここに来たワケー」
「なるほど……だから開口一番に『バナナの木』と」
「うん、そういうコトー!」
 正直、初めに響槽院さん辺りに言っていたら直ぐに解決できたような悩みだとは思うが、こうしてやって来る『魔』達の事情を詳しく聞くのも仕事らしいので、仕方のない遠回りだったのだろう。
 ……そういえば、吸血幽霊だとか、その辺の話も聞いておいた方がいいのだろうか?
「バナナの木の件は了承しました。ですが、調べる前に『吸血幽霊』という呼び名について、聞いておきたいのですが」
「ん……いいよー?」
 これは俺の気のせいかもしれないが、というか、そうであってほしいが、彼女の纏う雰囲気が変わったような気がする。
 しかし、彼女をこの国に迎え入れるのならば、その辺りの事情も把握しておかねばならないのだろう。
「先程、貴女をこの部屋まで案内した人が言っていたんですよ。表では『吸血幽霊』と呼ばれている『吸血鬼』だ、と。そして、それについても聞いておくように、とも言われていて……」
「ふんふん、なるほどねー。聞いておくように、かぁー……ホントの事を言わないで初めから『吸血幽霊でーす』って言えばよかったかなー……?」
「それでも結局聞く事になったような気もしますが、その事についてあまり話したくないって感じですかね……?」
 聞いてはみるが、その必要もない程に明白だ。
 彼女はこの話題を振られる事を好ましく思っていない。
「……んー、いや、大丈夫だよー。だって私は、ポンティアナックだからねー」
「……?」
 その言葉の意味はよく分からないが、こう言われてしまっては聞くしかないだろう。
「えっと、そもそも、『吸血幽霊』と『吸血鬼』って、どういう違いがあるんですか?」
「それは言葉の通りだよー。血を吸う幽霊か、血を吸う鬼って種族かって違いだねー」
 ほんのりと苦笑いを浮かべながら答えられた……もしかして、超初歩的な質問だったのだろうか。
「ポンティアナックさんは幽霊じゃなくて吸血鬼という種族って、事ですか?」
「そうだねー。それに元々、名前なんてなかったんだよねー……」
「いつの間にかポンティアナックという名前になっていた、という事ですか?」
 これは昨日聞いた事だが、名称不明の妖怪はその当時の人間たちによって名前が付けられ、語り継がれていくという。
 そしてその名前や肩書のようなモノはその妖怪の行動に基づいている事が多いという。
 ポンティアナックという言葉の意味は分からないが、『吸血鬼』ではなく『吸血幽霊』と呼ばれているのも、何か理由があるのだろう。
「うん、そうだねー」
 しかし、元々吸血鬼なのだから、『吸血』は分かるとして、その後に続く言葉が『幽霊』なのは……?
「けど、幽霊と思われるような行動って、色々とあるような、ないような……」
 そもそも、『幽霊』の定義とは何なのだろう。
 大多数の人間は『妖怪』の存在を知らない。つまり、妖怪が起こす怪現象も『幽霊』の仕業とされるし、そもそも、『妖怪』の中に『幽霊』が含まれている場合もある。
「んーっとねぇー、私、殆ど男の人ばっかり殺してたんだー」
 殺す、という言葉に反応して背筋がじんわりと冷えていく。
 覚悟が出来ていない訳ではなかったが、平然とそう言われるとやはり、得も言われぬ恐怖が湧き上がってくる。
「別に積極的に殺してたワケじゃなくてねー。生きていく為に必要だったからなんだー。私、吸血鬼だしー」
 どこかフワフワとしていて生温かい、そんな雰囲気のまま、話は進んでいく。
「……男ばかりっていうのは、ソレも必要だから、ですか?」
「んーん、ソレは違うかなー? 結果的に、だよー」
「結果的に……?」
「バナナの木でまったりしてたらさ、たまに聞こえてくるんだよー。恨み節とか、悲しそうな泣き声、とかねー……」
 ……なるほど。
「そこから、ターゲットを定めていったって事ですか」
「うん、そういうコトー。例えば、旦那さんが知らない女の人を妊娠させてー、その人と一緒に逃げたっていう女の人がいたよー。それで、めっちゃくちゃ泣いていたから可哀そうだなーって思って、その旦那さんを殺してー、内臓食べてー、血を飲んでー、来世では悪いコトしないようにっていう願掛けでアソコを引き裂いてー」
 その願いは決して悪い事ではないが、行動が怖すぎる。彼女は今、別の例を語っているが、全然耳に入ってこない。
 順番的には死んだ後に引き裂かれているようなので、痛みはないのかもしれないが、それでもショッキングな姿になっているのは変わりないだろう。
「あ、あとねー、奥さんに裏切られたっていう男の人もいてー、その時は奥さんを殺して―、内臓をぜんぶぜーんぶ抜き取ってー……」
「なるほど……」
 コレ以外の言葉が出ない。
 目の前の女性は人の形をしてはいるが、どうあっても『魔』、『妖怪』であるのだと、思い知ってしまう。
 もしかすると、今は俺の膝の上でスヤスヤと眠っているキツネさんにもそのような一面があるのかもしれない。
 恐怖が不安へと繋がり、ソレは止めどなく膨らんでいく。
「まあー、こんな感じでー、人の怨みを晴らしてたワケー。あ、もちろんー、人間が疑われないようにー、『妖怪』が殺したんだってわかるようにねー」
 それは人間への配慮であるのだろうが、そうする事で『妖怪』としての『魔』としての彼女は確立していったのだろう。
「それでー、あまりにも怨みを晴らしてたし、それが男女間の問題ってコトが多かったから―、『妊娠中に死んだ女性の幽霊』だって噂され始めてー。いつの間にか『出産時に死亡した女性』っていう意味の言葉をモジった『ポンティアナック』っていう名前になっていたワケー」
 人々の怨みや悲しみの原因となった人間を殺し続けた結果、そのような名前になった……もしも俺が彼女の立場ならば複雑な気持ちになるのだろうと思うが、当の本人はどう思っているのだろうか……?
「なるほど……教えていただきありがとうございます」
「ううんー、別にいいよー。減るモノじゃないしー……あー、でも、お腹は減ってるなー」
 まあ、本人の気持ちまで土足で踏み入って尋ねる必要はないだろう、などと考えを巡らせていた脳の動きが一瞬だけ止まった気がした。いや、正気に戻っても、身体は恐怖でカチコチに固まってしまっているのだが。それにキツネさんが膝の上で寝ているから動けないし。
「えーっと、人の内臓とか血以外に食べるモノとかあります……?」
 いや、だったら先程までの話に矛盾が生じるので可能性は低いだろう。
「うーん、基本的に何でも食べられるけど―、お腹の中に溜まるのはー、人間だけだよー?」
 ……ほらな?
 いや、誰に向けての言葉だよ俺。
「それは、困りましたね……」
 困りましたねどころの話ではないが、とりあえず会話のキャッチボールを途切れさせないようにしよう。
「……ちょっとだけ、血を飲ませてくれないかなー?」
 ちょっとだけ。
 コレは本当に信用ならない言葉だと思う。
 ちょっとってどのくらいなんだ? 何ミリリットルなんだ?
「いや、ソレは流石に……」
「大丈夫ー! 死なないくらいにするからー!」
 こちらの返事を待たずに彼女が立ち上がる。
 ……このままだとマジで吸われるのではないか?
「いやいやいや! そういうサービスはついていないですから!」
「大丈夫大丈夫ー! 私、空気は読める方だからー!」
 だったら今直ぐに座ってくれよという俺の願いも空しく、彼女は段々と近づいてくる。
「爪でちょっとだけつっつくだけだからー」
「その爪で突っつかれたら間違いなくちょっとどころじゃ済まない……!」
 彼女が俺に爪を見せてきたが、コレが信じられない程に長く鋭く、そして厚い。
 牙にばかり意識を寄せていたのだが、全く比べ物にならない。
 彼女は牙ではなく爪を使うタイプの吸血鬼、という事だろう。
 まあ、内臓を引き抜いたりアレを引き裂いたりするのにはうってつけだろうからな……
「はーい、チクッとするよー」
「どう考えても『グサッ』って音がしそうなんですけど!?」
 などと考えている間に腕を掴まれていた。彼女は彼女でなるべく俺を傷つけないようにとゆっくりと爪を近づけているのだが、ソレが逆に怖い。
「それじゃー、いっただっきまー……アレ?」
 正直、諦めの境地に達していた。
 しかし、彼女の両腕が黒いナニカによってガッチリと掴まれ固定されているため、その爪は未だ俺の腕に達していない。
「護るって言ったからにはちゃんとやる、ソレがワタシっ! キツネさんなのですっ!」
 膝辺りからいかにも格好をつけたような声が聞こえる。
「もう少し早かったらありがたかったんだけどな……!」
 というか、貴女が寝ていなかったらこんな事にはなっていなかったと思う。
「えーっと、コレ、どうなってんの? ……手?」
「え、手?」
 ポンティアナックさんの言葉を聞きもう一度見ると、黒いナニカだと思っていたソレは黒光りする手袋に包まれたキツネさんの手だった。
 彼女は拘束の為、両手首の下あたりに人の顔程の大きさの鉄球が付けられている。
 その鉄球から上が浮遊し、ポンティアナックさんの両腕を固定しているのだ。
「キツネさん必殺、『なんか飛ぶ拳』ってところかなっ!」
 名前が絶望的にダサいが、それよりも……
「キツネさん、その腕は……?」
 俺の膝の上で仰向けに寝っ転がったままドヤ顔を決めている金髪美人のキツネさん。ポーズ的には両手でピースをしているようだが、よくわからない。
 なぜなら、彼女の腕は途中でスッパリと切れているように、先端が無いからだ。
 いや、もちろん今、彼女の腕に手があったのならばソレはソレで宙に浮いているヤツは何だという話になるが……
 コレはコレで中々衝撃的というか……
「んー? ちゃんとくっつくから大丈夫だよー?」
「あ、そう……」
 本人がそう言うのならば納得するしかない。
「わかったよぉー、血を吸うのは諦めるからー、離してー……」
 いかにも残念そうな口調でポンティアナックさんが言う。彼女はお腹が空いている訳なので申し訳ないが、やはり安心してしまう。
「はーいっ!」
「あっ」
「あっ」
 安心しすぎてキツネさんが少し抜けている事を忘れていた。
 あろうことか瞬時に腕を離した訳である。
 何か文句でも言おうと思ったが、自分の腕に鋭い爪が刺さっているのを見ているとその気力も無くなり、頭が冷え、目の前がぼやけていき……








「あ、おはようっ!」
「起きたー!」
「……おはようじゃねぇよ」
 まだ頭がぼやけているが、無邪気に挨拶してくるキツネさんにはきっちりとツッコミを入れておく。
「キミの血、美味しかったよー!」
「結局こうなるのか……」
 心なしかポンティアナックさんの顔がツヤツヤしている気がする。
 今日一番の笑みも浮かべているし、結果オーライという事に……しておこう、うん。
「……というか、此処、俺の部屋だよな?」
 脳が働いてきたので周りを見ると、仕事部屋ではなく、俺の部屋だった。
 此処に来てからの日は浅いため、馴染み深いという感覚はないが、そのくらいはわかる。
「うん、そうだよっ!」
「あと、しばらくは私の部屋にもなるよー!」
「……は?」
 今、このヒトはなんて言ったんだ?
「ほらー、見て見てー! バナナの木ー!」
「うわホントだ何だコレ!」
 そこまで大きいモノではないが、たしかに人と同程度の大きさのバナナの木が部屋の隅に設置されていた。
「ついでにワタシもこの部屋に住もうかなー?」
「いやホント、勘弁してくれ……」
 どうしてこんな事になったのだろうか? 俺、何か悪い事しただろうか?
「お疲れ様ですー。初仕事はどうでしたかー?」
 ニコニコと笑いながら響槽院さんが部屋へと入ってくる。何というか、わざとらしい。
「響槽院さん……どういう事ですか、コレ?」
「まあまあ、落ち着いて、廊下で話しましょう。……あ、御二方はごゆるりとお寛ぎくださーい」
「いや、此処俺の部屋なんだけど!?」
 俺の叫びも空しく、彼女に服の袖をグイグイと引っ張られながら自室を後にする事になった。






「議事録、読みましたよ。倒れる寸前まで書き続けるなんて、大した根性をしているじゃないですかー」
「ソレ、褒めてます? 貶しています?」
 自室から少し離れたところで話すことになったのだが、よく考えたら、あの二人がいると困る話でもするのだろうか?
「褒めてますよー。こんな仕事ですから、根性がある方がいいに決まっています」
「ああ、それはどうも……」
「貴方が倒れた後、キツネさんが私を呼んだんですよ。そして、貴方が書いた議事録を読んで、状況を把握して、今に至ります」
「いや、何で俺の部屋にバナナの木を設置したんですか」
 一番気になるところが省略されているじゃないか!
「えっとですね……ポンティアナックさんが貴方を気に入ったらしく、この地域に滞在する間はこの施設の貴方の部屋に住ませてくれないかって言ってきたんですよ」
「はぁ……それで、承諾したんですか」
「ええ、即答でした」
「何でだよっ!? 俺の意思は考慮されないんですか!?」
 実を言うと俺もこの施設にタダ宿をさせてもらっている立場なので仕方なくもあるが……
「あら、嫌でしたか? それならば仕方がありませんね……」
 ん? 思ったよりもすんなりと考慮してくれるのか……?
「心苦しいですが、一緒に住むのは嫌だとあの方に伝えて来てください。バナナの木の移動などは此方でしておくのでー」
 ……鬼だこの人。
 正直、吸血鬼よりも怖いかもしれない。
「そんな事言われたら断れないじゃないですか……けど、頻繁に血を吸われるのとか嫌ですよ、俺」
「その点はご安心ください。此方側で何とかいたしますのでー」
 こんな人がいる組織相手に安心していいのかどうかは微妙なところだが、信じてみよう。
「……それで、用はソレだけですか?」
 たしかに、この会話もポンティアナックさんにはあまり聞かれたくないモノではあるが、他にも何かありそうだ。
「いえ、あと二つ程」
 一つじゃねぇのかよ。
「二つ、ですか……?」
「ええ。まずは一つ目ですが、コレは、妖怪たちの世界についてです。議事録を見たところ、『いずれは自分もその世界に足を踏み入れる』と思っていらっしゃったようですが、それは違います」
「あ、そうなんですか?」
「ええ、何があっても人間をアチラ側に行かせる事は危険ですので……『妖怪』絡みの件も、現場に行くという時は『現世』のみだと思っていてください」
 余計に妖怪たちの世界についての興味は増したが、それでも、行かなくていいという事実は嬉しい。
「なるほど、わかりました……ソレで、二つ目は」
「……さて、二つ目は何でしょうかー?」
 何故か唐突なクイズが始まった。何だコレ。
 彼女はニコニコと微笑んでいるままだが、こうやって尋ねているという事は俺に心当たりがある答えなのではないか?
 ……。
「……すみません、考えてもよくわからなかったので普通に教えていただけると助かります」
 というか、何で俺がこうやって謝っているのだろうか。そう考えると首を傾げたくなるが、大人しく正解を聞こう。
「正解はー……実は今日、貴方の名前を呼んでいない、という事ですよー」
「……冗談なのか本気なのかわからないんですけど」
 いや、本気でこんな事を言っているのならそれはそれで訳がわからないので恐らく冗談なのだろうが。
「えーっと、冗談半分、というところですかねー? ……ほら、せっかく昨日、自己紹介をしてお部屋や業務内容の説明をしたのに、今日も私のフルネームを確認したじゃないですかー」
「……え、それが理由で今日は俺の名前を呼ばなかった、っていう話ですか?」
 いやいや、何の話をしているんだよ……
「ええ、なのでお返し、という事でそうしていたのですが、気づいたかなー、と思いまして―」
 出会って一日なのだから話し方なんて把握していないのにどうやって気づけというのだろう。
「いや、言われるまで気づきませんでしたよ……というか、貴女の名前を確認したのも、まだこの施設に来たばかりなので念のために確認しただけですし……」
 しかし、それが彼女の気に障ったのならば申し訳ない……のか?
「……あら、そうだったんですかー。それならば私が貴方の名前を呼ばなかったのは単なる嫌がらせになってしまいますねー……申し訳ありません、『幸成君』」
 俺の名を呼びながら謝罪の言葉を口にする響槽院さん……いや、俺としては気にも留めていなかったのだが。
「いえ、こちらこそ、気に障ってしまったのなら申し訳ありませんでした、響槽院さん」
「……では、二つ目の話に移りますがー」
「えぇ……」
 じゃあさっきの話は何だったんだよ。本当にこの人の考えがよく分からない。
「キツネさんの手の件ですが、ソレについての情報収集は基本的にノータッチでお願いできますでしょうか?」
 ……おそらく、彼女が最も言いたかったことはコレだろう。
 何も変わらぬ笑み。普通の仕草。だが……
 理由がある訳ではないが、なんとなく、そんな気がする。
 もしかすると、少し重めの話をするためにさっきの謎の話を入れたのかもしれない……正直、俺としてはこの話もそこまで気にしていなかったのだが。
「ええ、わかりました。パートナーとして、お互いに快適な距離感を保ちながらやっていきますよ」
 これは完全なる俺の本音だ。正直、キツネさんの距離感は近過ぎる。
「では、よろしくお願いいたしますね、幸成君」
 ニコリと首を少しだけ傾けながら微笑むと、クルリと踵を返して彼女は去っていく。
 その背中は、掴みどころのないような、何とも言えない浮遊感がある。
 ……いつかは彼女とも友達のように話せるのだろうか。






「おかえりなさーいっ!」
「おかえんなさーい」
 部屋に戻ると二人が俺を出迎える。
 迎えられるというのは、何だかんだで嬉しいため、ついつい口角が上がりそうになってしまう。
「というか、キツネさん、自分の部屋にはちゃんと戻るんだよな……?」
 出迎えられるのは嬉しいが、ソレはソレとしてこのまま居座られるのはキツい。
「んー、そうだねー……今日のところは戻ろうかなって!」
「何だよ今日のところはって」
「……あ、そうだー。私もしばらく此処にいる事になったからさー、自己紹介しようよー」
 というか、本来ならば既に自己紹介していてもおかしくないのだが、開口一番のバナナにそのタイミングを奪われてしまった。
「うん! そうだねっ! ワタシは『キツネ』! 『二尾の狐』っていう名前もあるけど、気軽にキツネさんって呼んでよっ!」
 犬歯をキラリと光らせながらニカッと笑うキツネさん。
 ……黙っていれば本当に美人だよな。
「ん、よろしくね、キツネちゃーん。もう知っていると思うけど―、私はポンティアナック。気軽に『ポンちゃん』って呼んでくれてもいいよー?」
 血を吸って健康的な肌の色、少しだけ目に光が宿っているポンティアナックさん……流石に『ポンちゃん』と呼ぶのは抵抗があるので『ポンさん』と呼ぶ事にするが、こうして見ると、彼女も顔立ちが整っていることがよくわかる。
「何だかんだで一緒に住む事になったのは本当に謎ですが、よろしくお願いします。ポンさん」
「あ、ちょっと待ってー。ポンさんっていうのは別にいいんだけどさー、口調はキツネちゃんと話す時と一緒でもいいんだよー?」
 まあ、其方の方が楽なのでありがたい事だが……
「うんうんっ! そっちの方が絶対にいいよ! 友達ーって感じがするじゃんっ!」
 友達、か……
「ああ、うん……それじゃ、俺の名前は直竪なおたて 幸成さきなる。これからよろしくな。ポンさん」
「うん、よろしくねー! サキナルー!」


 これから先が思いやられるが、一先ずは新しい友達が増えた事を素直に喜びたいと思う。



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