追わせ屋

東雲いつ佳

1. 「出逢い」

プロローグ 現在

 その日、日本列島の南に位置する沖縄に、二度目の雪が降った。

 東シナ海から吹き込んだ低気圧は、大気中の水蒸気を小さな氷の結晶へと変え、
地上に落としていく。

 雪が舞い落ちる光景を、一人の女性が涙ながらに見詰めていた。彼女は窓を引き、ベランダに立った。

今まで彼女を苦しめていた疑問が一瞬にして消え、何かによってせき止められていた記憶が、淀みなく流れ込んでくる。大切なあの人への想いが溢れてくる。一瞬一瞬が宝石のように輝いていたあの頃が、まるで昨日のように思い出される。

 吐き出した息が白く弛み、消えていった。

 あの人のように。。。






1. 「出逢い」
 欠伸を噛み殺した際に滲み出た涙が、雨宮弘樹あまみやひろきの視線に映る、夜の国際通りを煌めかせた。

 戦後の焼け野原から、目紛しい復興と発展を遂げ「奇跡の1マイル」とも呼ばれる国際通りだが、午後十一時を過ぎると、人の姿も疎らだ。

 弘樹は、吐き出した息が白く染まっていく事に気がついた。気温が一桁台まで下がる事が滅多に無い沖縄では、珍しい現象である。興奮した弘樹は、何度か吸っては吐いてを繰り返した。

 営業時間を過ぎ、シャッターが閉ざされた三越前に着くと、弘樹は背負っていたギターケースを床に寝かせ、カバーを開けた。「どっこいしょ」と年齢にそぐわない掛け声を発しながら、シャッターに背を預けて座る。コートの内ポケットから手帳を取り出し、ページを捲った。手帳に書かれている通りに、首を前後左右に傾け、首や肩周りの筋肉を入念に解していく。

 そんな時、何処からともなく響いた口笛が、彼の耳に届いた。聞こえてきた方向に目を向ける。米軍基地から羽を伸ばしに来ている、薄着の外国人が、通り過ぎ様に一人の少女に声をかけているのが見えた。彼女は流行のファッションを身に着け、真冬だというのに、肩と足を露出していた。外国人達は、少女の露出した肌を見ていたが、弘樹は彼女の目を見ていた。少女の瞳は公設市場に陳列されている魚のように、生気を失っていた。
 その無気力な瞳が、いつかの自分と重なる。少女は外国人の横を素通りし、そのまま弘樹の前を、通り過ぎようとしていた。

「おい、お前」弘樹は少女に声を掛けたが、彼女は歩き続ける。

「おーい」弘樹がもう一度呼び掛けると、少女は足を止めて振り返った。

 弘樹が手招きをすると、少女は怪訝そうな表情を浮かべながらも、ゆっくりと距離を縮めた。

「なに?」

 弘樹はギターケースから段ボールの切れ端を取り出し、少女に見せた。
「おわせ・・・や?」

 少女が小さな声で読み上げると、弘樹は段ボールを叩き、そう追わせ屋、と警戒されないように爽やかな笑顔で答えた。

 しかし、少女の後ろを通りかかったカップルが、ナンパか?と囁いた所為で、少女は警戒を強めてしまう。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる少女に「ギャルに興味はない」と弘樹はナンパ説を一蹴した。
「じゃあなに?歌聴けってこと?」
 少女の問いに、弘樹はたまらず笑みを浮かべた。
「聴きたい?」
「別に」少女は腕を組んで横を向いた。
「それにしてもさ、追わせ屋って名前はないと思うよ。ダサすぎ」
 弘樹は人差し指を立てて、左右に振った。「追わせ屋っていうのは、俺の職業の名前。歌は客寄せだよ」弘樹は段ボールを掴んで、もう一度持ち上げた。少女はゆっくりとした動作で、顔を近づける。

「夢を諦めてしまった人に、もう一度夢を追わせる。ここに書いてある通りだ」
「ゆめ…」

 少女が一瞬悲しげな表情を浮かべたように見えた。
「馬鹿じゃないの」

 少女はそう言うと、腕を組み、開きかけた心に封をした。
「馬鹿じゃなきゃ、こんな仕事出来ないよ」
 弘樹は少女を真っ直ぐ見据えた。
 その真剣な眼差しに取り乱しながらも、少女は、格好悪っ、となじった。

 夢を追い、泥に塗れる事が格好悪い時代。そんな寂しい時代になったのは、誰のせいなのだろうか。弘樹は眉をひそめた。
「ってか夢を追わせるとか、あんた何様だよ」少女はそう吐き捨てると、踵を返し歩き始めた。

 弘樹はケースからギターを取り出し、指の腹でコードを押さえると、目を閉じた。頭の中で譜面をなぞっていく。ゆっくりと目を開けると、弘樹は優しく弦を弾いた。
 暗がりの中、街灯はスポットライトのように彼を照らし、人気のない通りは、その旋律を反響させていく。
 弘樹は吐き出す息に、音という形を与えていった。
「夢なんて叶わないと思っていた。叶わないから夢なんだって…」
 少女の足が止まる。
「過去は取り戻せないけど、未来は掴むためにある。夢を追いかけて良いですか…たった一度の人生だから」
 弦を弾く弘樹の指先に力が入っていき、曲調が盛り上がっていく。
 しかし弘樹はそこで演奏を止めてしまった。


 冷たい風が、少女の茶色い髪を揺らす。寒さのせいだろうか、彼女の華奢な身体は小さく震えていた。
「何で止めちゃうの?」少女は弘樹に背を向けたまま。
「この曲にはまだ….サビがないんだ」
 弘樹がぼんやり呟くと、少女は鼻で笑った。
「曲一つまともに書けないのに、人に夢を追わせる?本当何様だよ」
 振り返った少女は、今にも零れ落ちそうな涙を、その目に浮かべていた。
 弘樹は何かいおうと口を開いたが、言葉が上手く出てこない。
「じゃあね」消え入るような声で、少女は微笑んだ。
 弘樹は歩き去る少女の後ろ姿を、見送る事しか出来なかった。

コメント

コメントを書く

「文学」の人気作品

書籍化作品