永久凍土の御曹司

こうやまみか

 それがこんな境遇になってしまったことと、そして何よりワンカップの日本酒の温かさがそのぶ厚い氷の障壁を壊してくれた感じがして、一連のやり場のない憤りをこの見知らぬ人にぶちまけてしまっていた。一方的にまくし立てる私の言葉を頷きながら聞いてくれたことも大きかったが。
「そりゃ、大変だったなぁ。
 ただな、兄ちゃん。まだ、とことんまで落ちちゃいないだろ。
 戸籍を売るとかさ。『たかが』住むトコ――ま、大事っちゃ、大切だが――を無くした程度だ」
 内心ムッとしてしまったが、彼にとっても大切なお酒を分けて貰った――どうやって温めたのかは謎だったが――こととか親身になって聞いてくれたので気持ちまでもが春の淡雪のように溶けていたので言い返す言葉が出ない。
「インターネットカフェも良いが、それだと住所がなくなるだろ?『住所不定・無職』ってヤツになってしまう。マトモな職には就けないわな」
 ホームレスになるような人――偏見かも知れないが――とは思えないほど、その口調には説得力が有った。
「確かにそうですね。しかし、ウイークリー・マンションも手持ちのお金が尽きると同じことです」
 財布の中にある7枚の一万円札が消えるのも時間の問題で、それが無くなれば文字通り無一文だ。
「そんなら、ウチに来るか?といっても、風呂はナシでトイレは共同六畳一間と申し訳程度に台所が有る程度だが、郵便物は届くようになっている。
 ああ、宿賃か……。稼げるようになったら家賃は折半でどうだ?」
 私が咄嗟に財布を押さえたのは「全財産」の入った財布を盗られるかもしれないという危惧からだったが――もしかして本当の意図を分かっていたのかも知れない――のんびりとした口調を崩さない点も私などには想像もつかない人生の辛酸を舐めつくしているだろうにも関わらず、人としての温かさを持ち続けているからかも知れない。そう思うと更に心を覆っていた氷の壁が薄くなったような気がした。
「稼ぐ……。しかし、なかなか就職先がなくてですね……」
 路地を並んで歩きながらそう零した。
 すると、その男は今までの笑顔から一転して厳しい表情に変わってしまっている。


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