永久凍土の御曹司

こうやまみか

4

 来るべき時が来たと言うべきか。家具などのめぼしい物を売り払った末に退去せざるを得なくなった。
 身を抉るような寒さを実感したのはこの時が生まれて初めてだった。
 帰る場所がどこにもないという不安さとか索漠とした寂寥感は味わった人間にしか分からないだろうと身に沁みて実感した。
 身一つと言っていい状態でタワーマンションを出ようとした。賃貸契約期間内だったが、家賃を払える余裕がなかったので。
 一階のラウンジスペースでは楽しそうに談笑している奥様方の笑い声までもが、私を寒々しい気持ちにさせた。
 もう、この暖かな空間と永訣しなければならない――そう思うと父の死亡や母の第二の旅立ちの時にも感じなかった寂寥感で心が冷えていく。
 北風が一際身に沁みる東京の街を歩きながら、これからのことを考えては更に寒々しい気持ちで身も心も氷点下に下がったような気がした。
 こんな境遇に身を落としても、私が人好きのする人間だったら気の置けない独身の友人の家にしばらくは置いて貰うことも出来たのかもしれないが、あいにく人との接し方が苦手で哲学科を選んだ私にはそういう知り合いすら居なかった。
 知り合いに会うことを恐れ、そして面白おかしく「一族の凋落」を未だ追っている週刊誌の記者などの目を憚って辿り着いた渋谷の繁華街も、若者などが楽しそうに笑っているのを見ても身を切るような疎外感に襲われてしまう。
 財布の中の一万円札を少しでも増やそうとリサイクルショップを探したが、目に入った店舗は――ワザと客の目を惹くためにそうしているのだとは頭では分かってはいたものの――その明るい照明に照らされた店に気が引けて何軒か通り過ごした。
 サウナやインターネットカフェで過ごす「難民」が増えていると以前、全くの他人事として読んだ雑誌には書いてあったので、しばらくはそこで過ごすしかない。
 楽しそうに笑いさざめく通行人の姿を見るのすら苦痛になって狭い路地に入った。すると、そこだけ昭和の時代で時を止めたような質屋の暖簾のれんが目に入った。
 女性ならば――少なくとも母はそうだった――ダイアの指輪などの宝飾品を数多く身に着けているだろうが、あいにく金目の物は腕時計程度しか残されていない。
 背に腹は替えられないので、二十歳の誕生日に父から貰ったロレックスの時計を手放そうと決意したものの、身も心も寒さで強張った身体は大地に釘を打たれたように動かなかった。

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