修羅道 ~レベルを上げたいだけなのに~
第24話 教会のある町で、シスターのピアノに近いものの音色を聴く。
フレデリーク=シャルパンティエは転移者である。
彼女はかつてピアニストであった。
彼女がピアニストを目指したのは24歳のとき、それまでの人生で見向きもしなかったピアノという楽器に強烈に魅了される。
切っ掛けは、当時付き合っていた彼氏と、たまたま入ったジャズバーで聴いたピアノがあまりにも愉快で軽快で楽しそうであったこと。
それからというもの、貯金をはたいてピアノを購入し、プロのピアニストを目指す。
昼は仕事、夜はレッスン。ピアノのレッスン料金は決して安くない。
24歳という年齢はプロを目指すには遅すぎた。家族や友人からも反対されるが、彼女は諦めなかった。
レッスンがない日と余暇は全てピアノに費やした。
お金がなくなるとフレデリークは体を売るようになった。周囲からの孤立が進み、それがさらに彼女をピアノにのめり込ませる。
30歳になった頃、曲をつくりレコード会社の門を叩くが、誰も彼女と彼女の曲を認めはしなかった。
入りなおした音楽学校を卒業した35歳のとき、ようやく小さなジャズバーで僅かながらのお金を頂いて、演奏する機会を得る。
最初で最後のプロのステージだった。
ステージの帰りに、酔っ払った運転手が乗る車に轢かれてこの世を去った。
――気づいたとき彼女は教会の前にいた。体は子供に戻っていた。
シスターに拾われた彼女は只のフレデリークとなり二度目の人生を歩む。
やがて彼女が肉体的に10歳を迎える頃、この世界にピアノが存在しないことを知る。
教会にはオルガンがあったが、フレデリークにとっては全く、ピアノの代用品にならなかった。
それでも彼女のピアノへの情熱は風化しなかった。そしてひとつの回答と着想を得る。
『無いのなら作ればいい。私はこの世界にピアノを広める為に来た。これまでの、私の人生はその為にあったのだ』と。
ピアノとオルガンは共に鍵盤のある楽器だが、音の出る仕組みが全く異なる。
オルガンは管楽器だがピアノは弦楽器と打楽器の両方の性質をもっており、構造もより複雑だ。
基本的な構造は理解していたフレデリークではあるが、実際につくってみると作業は難航を極めた。
素材の選定と加工、弦を張ったものを叩いて音を確認する。
またダメだ、どこがいけないのか、どこを変えれば良くなるのか……。
フレデリークは焦らなかった。教会の仕事を手伝い、貧しい暮らしをしながらも、出来ることから少しずつ作業を進めた。
やがて10年の歳月が過ぎ、試作1号が完成した。
慎み深いが変わり者のシスターとして、町の人に映っていた彼女は教会でピアノを弾くようになる。
その姿はあまりにも美しく、その音は人々の魂を感動させた。
――――そして、ある日のことである。
「待てキャサリン。異常事態だ。レベルを持ったやつがいる」
「え? それってダーリンと同じ?」
「そういうことかもな、あの教会だ」
ミュルスで遭遇した竜以来、レベルをもった奴をみたことがなかった。
[レベル感知]が前世にはなかった知覚で知らせてくる、ごく弱い反応だ。
ピアノの旋律が聞こえる教会をそっと覗く。
女だ。若いシスターがピアノを弾いてる。LVは1だ。
脅威ではなさそうだがどうするか? 話を……してみるか。
教会にゆっくり、しかし気配は消さず、堂々と侵入する。
さも自然に、通りすがりの旅人であるという風に。そうして数ある長椅子から最前列、フレデリークに一番近いものに腰をかける。
「こんにちはシスター、素敵なピアノですね」
――途端フレデリークの表情が激変する。
「誰なの? どうしてピアノを知っているの?」
「どうしても何も今演奏してたそれはピアノですよね?」
「おかしいわ、あなた何者なの? もしかしてあなたが私にこれを作らせたの?」
言っていることがおかしい。話がかみ合わない。何かが間違っていた。
「まって、まって下さいシスター落ち着いて、俺は旅人でね、ピアノの音が聞こえてきたから入ってきただけなんだ、怪しいものじゃない」
「いえ、貴方の言っていることはおかしい、だって私、誰にもコレがピアノだなんて教えていないもの、私はこれをギターオルガンと呼んでいるのよ。わかる? 町の人も誰も知らないわ。ねぇ教えて下さらない? どこでピアノの名前を知ったの?」
信頼する第二の母であるシスターは鬼籍に入っていた。この世界に来てからピアノのことを相談したのはシスターだけだった。
彼女はピアノの存在を知らなかったし、文献をどれだけ調べててもピアノや、ピアノに近い楽器はなかったのだ。
それでも、どこかで見落としがあったのかもしれない、遥か遠くの国や、外界から隔絶された集落には存在するかもしれない。
もしそうでないのなら、私をこの世界に送った神に等しい存在でもなければピアノを知るはずがない。フレデリークはそう考えていた。
で、あるにも関わらず目の前の男は当然のように言ってのけた。言ってしまった。……言いやがったのである。
「だってどう見てもピアノですよね?」と。
「この出来損ないがピアノ? これならクラヴィコードやチェンバロの方がまだマシよ! 音もタッチもピアノには遥かおよばない!!」
言っていることがムサシには解らなかった。
解らなかったがその情熱と情念は、数々の修羅場を超えたムサシをもってして、思わず柄に手がかかる程であり[LV1]を脅威ではないと判断した自分を恥じた。
フレデリークの剣幕に、少ない参拝者は驚き、出入り口で待っていたキャサリンも何事かと覗き込んだ。
肌で感じた脅威に従い刀を抜くか、情報を聞き出すために会話を続けるか……。
――結論は、抜いてから聞くことにした。
しゃがみながらの居合いでフレデリークの両足を切断する。フレデリークはまったく反応できていない、ムサシは己の未熟さに苛立ちを覚える。俺はこんな女に臆したのかと、その苛立ちを目の前の女にぶつける。
フレデリークの両足から血が飛沫となるよりも早く、ピアノを弾いた憎き両手を解体する。
フレデリークが仰向けに倒れ、口から痛みと不安と恐怖が這い出した頃、参拝者たちは、どうしよもなく終わっていた。
「サキナス、あの女の血を止めろ」
スキルによって召喚された丸っこい妖精が、切断面の皮膚を閉じ、痛みを消す。
サキナスと呼ばれた妖精の表情には笑顔でも愉悦でもなく、諦めが滲んでいた。
「おい口は聞けるな?」
――痛みはなくなったが両手両足はなくしたままだ、そして認識したくはないが教会内には自分と男と黒い女しかいない。
近所のおじさんも老夫婦も、秘かに想いを寄せていた、冴えないけれど優しい青年も――終わっていた。
黒い女はいつからいたのだろう? 見ない顔だ、細くて曲がった刃を携えた男と良く似た黒だ。一番遠くの長椅子に足を乗せ、背もたれに腰をかけていた。膝の上で頬杖をつき、こちらを見ている。
「おまえレベルイチだよな?」
恐ろしい切っ先を私にに向けて男が言う、私そんな名前じゃない、そんなの知らない。
必死に顔を横に振る、身体が震えるのは股の間が濡れたからじゃない。
「レベルイチじゃないのか? 何年にこっちにきた?」
なんなの? この人が私をこの世界に送ったわけじゃないの? 死にたくない。 答えたらいいの?
「ヒィ……せ……1983年」
「ほう……この世界に来てから何をしてきた?」
私は本当に必死で説明する、ピアノをつくる使命を神から与えられた思い、今日まで頑張ってきたことを。
男から時折、質問が投げかけられる。質問に答えると男は思案に戻る。
そうしながら試作1号がまだまだピアノと呼べるレベルにないことに不満をもっているとの説明をしたとき、男が飽きていることに気づく。
「わかったよ、おばあちゃん、もういいよ」
「殺すのね? もういいわ。話をしていたら覚悟が決まっちゃった、でも一つだけお願いを聞いてください。私のピアノだけは残しておいて、誰かが発展させてくれるかもしれないから」
「いいだろう、俺が用があるのは命だけだ」
――――――「キャサリン、これ弾いてみるか?」
いやよ、それより騒がしくなるまえに、外も掃除して宿を決めましょう。
「へいへい」ムサシが教会を出ていったあと、キャサリンはピアノを乱暴に鳴らし、力いっぱいひっくり返した。
夜は吹雪になりそうだった。
彼女はかつてピアニストであった。
彼女がピアニストを目指したのは24歳のとき、それまでの人生で見向きもしなかったピアノという楽器に強烈に魅了される。
切っ掛けは、当時付き合っていた彼氏と、たまたま入ったジャズバーで聴いたピアノがあまりにも愉快で軽快で楽しそうであったこと。
それからというもの、貯金をはたいてピアノを購入し、プロのピアニストを目指す。
昼は仕事、夜はレッスン。ピアノのレッスン料金は決して安くない。
24歳という年齢はプロを目指すには遅すぎた。家族や友人からも反対されるが、彼女は諦めなかった。
レッスンがない日と余暇は全てピアノに費やした。
お金がなくなるとフレデリークは体を売るようになった。周囲からの孤立が進み、それがさらに彼女をピアノにのめり込ませる。
30歳になった頃、曲をつくりレコード会社の門を叩くが、誰も彼女と彼女の曲を認めはしなかった。
入りなおした音楽学校を卒業した35歳のとき、ようやく小さなジャズバーで僅かながらのお金を頂いて、演奏する機会を得る。
最初で最後のプロのステージだった。
ステージの帰りに、酔っ払った運転手が乗る車に轢かれてこの世を去った。
――気づいたとき彼女は教会の前にいた。体は子供に戻っていた。
シスターに拾われた彼女は只のフレデリークとなり二度目の人生を歩む。
やがて彼女が肉体的に10歳を迎える頃、この世界にピアノが存在しないことを知る。
教会にはオルガンがあったが、フレデリークにとっては全く、ピアノの代用品にならなかった。
それでも彼女のピアノへの情熱は風化しなかった。そしてひとつの回答と着想を得る。
『無いのなら作ればいい。私はこの世界にピアノを広める為に来た。これまでの、私の人生はその為にあったのだ』と。
ピアノとオルガンは共に鍵盤のある楽器だが、音の出る仕組みが全く異なる。
オルガンは管楽器だがピアノは弦楽器と打楽器の両方の性質をもっており、構造もより複雑だ。
基本的な構造は理解していたフレデリークではあるが、実際につくってみると作業は難航を極めた。
素材の選定と加工、弦を張ったものを叩いて音を確認する。
またダメだ、どこがいけないのか、どこを変えれば良くなるのか……。
フレデリークは焦らなかった。教会の仕事を手伝い、貧しい暮らしをしながらも、出来ることから少しずつ作業を進めた。
やがて10年の歳月が過ぎ、試作1号が完成した。
慎み深いが変わり者のシスターとして、町の人に映っていた彼女は教会でピアノを弾くようになる。
その姿はあまりにも美しく、その音は人々の魂を感動させた。
――――そして、ある日のことである。
「待てキャサリン。異常事態だ。レベルを持ったやつがいる」
「え? それってダーリンと同じ?」
「そういうことかもな、あの教会だ」
ミュルスで遭遇した竜以来、レベルをもった奴をみたことがなかった。
[レベル感知]が前世にはなかった知覚で知らせてくる、ごく弱い反応だ。
ピアノの旋律が聞こえる教会をそっと覗く。
女だ。若いシスターがピアノを弾いてる。LVは1だ。
脅威ではなさそうだがどうするか? 話を……してみるか。
教会にゆっくり、しかし気配は消さず、堂々と侵入する。
さも自然に、通りすがりの旅人であるという風に。そうして数ある長椅子から最前列、フレデリークに一番近いものに腰をかける。
「こんにちはシスター、素敵なピアノですね」
――途端フレデリークの表情が激変する。
「誰なの? どうしてピアノを知っているの?」
「どうしても何も今演奏してたそれはピアノですよね?」
「おかしいわ、あなた何者なの? もしかしてあなたが私にこれを作らせたの?」
言っていることがおかしい。話がかみ合わない。何かが間違っていた。
「まって、まって下さいシスター落ち着いて、俺は旅人でね、ピアノの音が聞こえてきたから入ってきただけなんだ、怪しいものじゃない」
「いえ、貴方の言っていることはおかしい、だって私、誰にもコレがピアノだなんて教えていないもの、私はこれをギターオルガンと呼んでいるのよ。わかる? 町の人も誰も知らないわ。ねぇ教えて下さらない? どこでピアノの名前を知ったの?」
信頼する第二の母であるシスターは鬼籍に入っていた。この世界に来てからピアノのことを相談したのはシスターだけだった。
彼女はピアノの存在を知らなかったし、文献をどれだけ調べててもピアノや、ピアノに近い楽器はなかったのだ。
それでも、どこかで見落としがあったのかもしれない、遥か遠くの国や、外界から隔絶された集落には存在するかもしれない。
もしそうでないのなら、私をこの世界に送った神に等しい存在でもなければピアノを知るはずがない。フレデリークはそう考えていた。
で、あるにも関わらず目の前の男は当然のように言ってのけた。言ってしまった。……言いやがったのである。
「だってどう見てもピアノですよね?」と。
「この出来損ないがピアノ? これならクラヴィコードやチェンバロの方がまだマシよ! 音もタッチもピアノには遥かおよばない!!」
言っていることがムサシには解らなかった。
解らなかったがその情熱と情念は、数々の修羅場を超えたムサシをもってして、思わず柄に手がかかる程であり[LV1]を脅威ではないと判断した自分を恥じた。
フレデリークの剣幕に、少ない参拝者は驚き、出入り口で待っていたキャサリンも何事かと覗き込んだ。
肌で感じた脅威に従い刀を抜くか、情報を聞き出すために会話を続けるか……。
――結論は、抜いてから聞くことにした。
しゃがみながらの居合いでフレデリークの両足を切断する。フレデリークはまったく反応できていない、ムサシは己の未熟さに苛立ちを覚える。俺はこんな女に臆したのかと、その苛立ちを目の前の女にぶつける。
フレデリークの両足から血が飛沫となるよりも早く、ピアノを弾いた憎き両手を解体する。
フレデリークが仰向けに倒れ、口から痛みと不安と恐怖が這い出した頃、参拝者たちは、どうしよもなく終わっていた。
「サキナス、あの女の血を止めろ」
スキルによって召喚された丸っこい妖精が、切断面の皮膚を閉じ、痛みを消す。
サキナスと呼ばれた妖精の表情には笑顔でも愉悦でもなく、諦めが滲んでいた。
「おい口は聞けるな?」
――痛みはなくなったが両手両足はなくしたままだ、そして認識したくはないが教会内には自分と男と黒い女しかいない。
近所のおじさんも老夫婦も、秘かに想いを寄せていた、冴えないけれど優しい青年も――終わっていた。
黒い女はいつからいたのだろう? 見ない顔だ、細くて曲がった刃を携えた男と良く似た黒だ。一番遠くの長椅子に足を乗せ、背もたれに腰をかけていた。膝の上で頬杖をつき、こちらを見ている。
「おまえレベルイチだよな?」
恐ろしい切っ先を私にに向けて男が言う、私そんな名前じゃない、そんなの知らない。
必死に顔を横に振る、身体が震えるのは股の間が濡れたからじゃない。
「レベルイチじゃないのか? 何年にこっちにきた?」
なんなの? この人が私をこの世界に送ったわけじゃないの? 死にたくない。 答えたらいいの?
「ヒィ……せ……1983年」
「ほう……この世界に来てから何をしてきた?」
私は本当に必死で説明する、ピアノをつくる使命を神から与えられた思い、今日まで頑張ってきたことを。
男から時折、質問が投げかけられる。質問に答えると男は思案に戻る。
そうしながら試作1号がまだまだピアノと呼べるレベルにないことに不満をもっているとの説明をしたとき、男が飽きていることに気づく。
「わかったよ、おばあちゃん、もういいよ」
「殺すのね? もういいわ。話をしていたら覚悟が決まっちゃった、でも一つだけお願いを聞いてください。私のピアノだけは残しておいて、誰かが発展させてくれるかもしれないから」
「いいだろう、俺が用があるのは命だけだ」
――――――「キャサリン、これ弾いてみるか?」
いやよ、それより騒がしくなるまえに、外も掃除して宿を決めましょう。
「へいへい」ムサシが教会を出ていったあと、キャサリンはピアノを乱暴に鳴らし、力いっぱいひっくり返した。
夜は吹雪になりそうだった。
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