黒い花

島倉大大主

第三章:歩き種 13

「……京さん、生きてるかい?」
「……なんとか」
 あたしは上半身を起こした。たらたらと何かが垂れてきて目と口に入る。慌てて拭うと、手にべったりと油汗が付いてきた。
 やれやれ……どうやら、五体満足のようだ。
 同じく汗まみれの婆ちゃんが目でどうかと聞いてきたので、頷いて親指を立て、それから真木の右脇腹に拳を一発入れた。体を右にくの字に曲げて悶えている真木を見ながらあたしは拳を開いた。
 小さな蛙の根付が手に乗っていた。
「う~……ん? なんだね、それは?」
「……未海ちゃんがこれを御霊桃子に投げつけた。おかげで助かったよ」
 真木は前傾姿勢のまま眼帯を外すと、蛙をちらりと見て、目を細めた。
「これは――尊いな」
「尊い?」
「ああ。それはお守りだ。誰かを守りたいという『願い』がパンパンに詰まっている。まるで光の手榴弾だよ」
 あたしは蛙を見つめ、起き上がると伸びをした。すっかり陽が落ちている。
 ……ん?
 妙な違和感を覚え、額をごつごつと叩く。
「……狭くなった。そう思ったかね?」
 真木の問いにあたしは頷くと、辺りを歩き回る。
「……なあ、ここの木目がずれてる気がするんだが」
 あたしが床の一点を指差すと、真木は数回手を打ち鳴らした。
「大正解! ご褒美は、君、昨夜の事件の全貌をプレゼントだ!」
 あたしは床の木目をじっと見続けた。
「……動画観てた人の家に、あの出来損ないの芽、いや歩き種が出現した……てことか?」
「そうだ。そして、その習性通り、さっき僕らに襲いかかったように、視聴している人間に入り込もうとしたのだろう。だが、コピーであるから不安定故に爆散、もしくは不完全な開花が起きてしまう。よって鑑賞者は消滅。その際に部屋の一部分も消滅、というわけだ。
 消滅を免れた鑑賞者の場合は、巻き込まれて、体を損壊。神虫本来の特性により損壊した部分は即座に修復――まあ、無くなった部分がくっついて、昔からこうでしたよと歴史改変されたわけだな。
 ところで、さっきの我々の場合はどうやら開花はしなかったらしいね。でなければ床の一部と一緒に我々も消えていたし、この床が昔からこうだった、と記憶が変化しているだろう。御老人、その杭が奴を消滅させた……で、よろしいですかな?」
 婆ちゃんは重々しく頷いた。
 あたしは眩暈を覚えた。
 あの歩き種は大きかった。だけど――
「先輩ぐずぐずしてる時間はないようだぜ。御霊桃子は、さっきのよりも、その」
 真木が目を細めた。
「大きかったのか? ……御老人、我々は現場に向かいます! ご一緒に来ますか?」
「……いや、無理じゃ。恵子をこっちに戻すので疲れすぎておる。足を引っ張るだけじゃ」
 あたしは婆ちゃんの肩をポンポンと叩いた。
「ゆっくり休んでなよ。あ、なんなら下まで乗っけてく?」
「いや、明日までここで休んで、それからタクシーで帰るから心配するな」
「うーん、ホントに大丈夫?」
 婆ちゃんは苦笑した。
「大丈夫。それよりもすまんが裕子を頼む。あれを何とかせんと、町の一角どころか、最悪、関東地方から県が一個消える可能性まである。
 ……あと、やはり腹が減った。何か食べ物は持っとらんか?」
「あ、えっと、エナジーマイトが確か――」
「あれは、ぼそぼそして好かん。それに儂はイチゴ味以外は食わんぞ」
「婆ちゃん贅沢だなー。まあ、ちょうどイチゴ味だけどさ。で、飲み物は――」
「きついコーヒーはないか」
「ないねー。そこらの川で清水を飲むというのは?」
「血も涙もない孫じゃのう!」
 あたしと婆ちゃんは、あっはっはっはと声を合わせて笑った。ほんとの所は、段々怖くなってきていたところなので、この会話はとにかくホッとした。
 まあ、婆ちゃんはそこら辺もお見通しなんだろうけど……。
「おい、真木。孫をよろしく頼むぞ。命だけは何とか守ってくれ」
 婆ちゃんの言葉に、真木はいつものニヤニヤ笑いを浮かべて、恭しく礼をした。
「御老人、お任せくださいませ。ところで、その鞭でしたか? それをお貸しいただけると有難いのですがねえ」
 婆ちゃんは真木に片眉を上げ、あたしに杭を差し出した。
「無論、恵子に預けるつもりじゃ。これは恵子以外が使っても効果が恐らく無い」
「え? どういうこと? もしかして、あたしに秘めたる力があるとかなんとか――」
 婆ちゃんは溜息をつきエナジーマイトをもそもそ齧った。
「ほういう意味ではふぁい……。これは霊力を乗せて使うものじゃが、今のお前には何とか引き金を引く程度の力しかない。そして霊力を乗せれば良いというものではない。あれがなんであるか、知っている必要がある。お前には神虫の構造に対する知識はない。
 だが、さっきの幽体離脱で、裕子との繋がりが強くなった。裕子にならお前は、有効な攻撃を与えられるのだ。そして、裕子は今、歩き種と融合しておる。となれば――」
「『ゆうこ』に『ゆうこう』――というわけですなあ!」
 真木の駄洒落にあたしと婆ちゃんは口を開け、呆れ果てた。顔を見合わせ、もう世界は終わりじゃとか、おお、短い命だったとか嘆きあった。
「……恵子、お前、よくこんな変な奴と一緒におれるのう」
「いや、いたくているわけじゃないんだけどね?」
 そんな、あたし達の反応はどこ吹く風、真木は満足そうに大きく手を打った。
「さあ、京さん、出撃だっ!!!」

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