黒い花

島倉大大主

第二章:田沢京子 4

 あたしと真木は外で半分眠りこけていた保美を部室に運んで寝かせると、駐車場に向かった。素性も得体もしれない今日会ったばかりの男の車に乗る、ってのは中々に非常識な行動だと思うが、真木は黒い染みの話に酷く興奮していた。
 もしかしたら黒い染みは君の家の周辺にかなりの数があるんじゃないか? ゴミ捨て場周辺はどうかな? それと葦田のおばちゃんに是非会ってみたい! なんて言いながらスキップしてるんだから、仕方がない。ここまで盛り上がってる奴に冷や水をぶっかけるのも無粋な話だ。
「いや、君、僕の為に仕方がないみたいな感じだが、君もノリノリじゃないか」
「まーなー。あたしもオカ研にいるぐらいだからその手の話は好きだし? 自分ちの玄関に謎ありと聞かされればテンションもあがるってもんだ」
 駐車場には運動場を突っ切っていけば早く着くのだけど、今は野球部が練習試合の真っ最中であり、仕方なく、ぐるりと迂回することにした。運動場の周りは杉や松が植えられており、蝉の声は酷いが木陰は涼しく、あたしは快適だったが、真木はふうふう言いながら真っ赤なハンカチで汗をぬぐっている。だからなんで赤なんだ。
「ところで先輩、道の件はあたしの記憶違いでさ、いつの間にか工事しただけって可能性があると思わないか?」
「大いにあるねえ。まあ、それも染みを調べてみれば答えが出ると思う。その染みが僕が思っている通りの物なら、昔何かがそこであったのだ!」
「何かって……何よ?」
 真木は頭をガシガシと掻き毟った。
「それがわからない! 参ったよ。僕はその――いや、これは車に乗ってからにしよう。ああ、暑いなまったく! ん、そう言えば――」
 真木は足を止め、あたしを見て周囲を見回した。
「僕みたいな男の車に大学生の女性を一人で乗せるというのは、世間的に見てちょっとまずいのかな、噂とか、その……ううん、しかし他に手段が無いしなあ」
 あたしは、はっはっはと笑うと真木の背中を軽く叩いた。
「デリケートですな先輩殿は! あたしなら大丈夫だって。そんな色っぽい噂が立ったら、あたし自身が喜ぶってば! この前プロ研三年、イトウ・ザ・デストロイヤーってのとスピリタスデスマッチ、まあ、あれだ、飲み比べやったんだけどね、あたしお酒弱いんで、途中で意識飛んじゃって、後から聞いたかぎりじゃ、そいつに抱き着いてキスしながらグランドコブラかけたらしいんだよねえ。でも色っぽい噂は立たなかったぞ」
 真木は真面目くさった顔で頭をゆるゆると振った。
「京さん、僕は君に決して酒を飲ませないと天地神明に誓おうと思う」
「マジか」
「マジだ」
 そうこうするうちに視界が開け、駐車場に到着した。砂利が敷かれた広い空間の片隅を目指し、真木は、やあクーラークーラーとか言いながら小走りになった。その先にあったのは――
「おおっ、それ先輩の!?」
 目の前にでんと横たわるのは、黒光りする古風な外見の車だった。古い洋画に出てくるような厳つい昆虫と爬虫類のあいのこのような外観で左ハンドル。
 外車か。
 真木は真っ赤な手袋を取り出すと装着し、運転席側にまわった。
「一九三四年式のフォード。僕は密かにレディなんて呼んでいる。ボディラインがエロティックだろう? ま、外観だけで中身は今の車の物にしてあるんだがね。それと色々改造も施してある。席は狭いが五人までならなんとかいけるね」
 あたしは箱乗りはちょっとなあ、と言いながら車に顔を近づける。深い黒というか、光沢があるが顔が映らないので、まるで重油か何かを覗いているみたいだ。少しだけだが、エロティックの意味も判る気がする。恐る恐る触ってみるとひんやりとした金属の感触。そのまま軽く指を滑らせると、小さな凹みが幾つかあるのに気がついた。目で見てもわからない、だが確かに丸く小さなへこみが幾つも幾つも……。
 真木が突然、声を荒げた。
「おいおい、彼女をあまり撫でるもんじゃない。くすぐったがるじゃあないか」
「はへっ? あ、ごめんなさい! いや綺麗なボディだったからつい触っちゃって――」
 額に縦ジワを寄せていた真木は、すぐにぶふっと吹き出した。
「いやいや、京さんは初心うぶだねえ! 指紋が付くのが嫌なら、外を乗り回したりしないよ!」
 ……そりゃそーだな。はぁ、なんていうか、こいつ……。
 あたしの溜息を真木は無視して、車の上を撫でる。
「どうだい、可愛いだろう? 僕が呼ぶと犬みたいに尻尾を振ってどんなに離れていても走ってくるんだぜぇ……」
「そりゃすげぇや。あれだ、キングのクリスティーンみたいな感じだ。べんり~」
「なんだいなんだい、もうちょっとノってくれたまえよ……ま、とにかく中にどうぞ」
 しゃがみ込んで車を撫でていたあたしは、真木の声に立ち上がった。見ればいつの間にかドアが大きく開いている。
 乗り込むと、中はやや暑かった。
 真木はエンジンをかけると、クーラーを入れる。
 成程、内装は今の車で、見慣れたタコメーターや速度計が並んでいる。椅子の脇にはレバーが三つ。二つはよくあるリクライニングや椅子調整用の物だが、残る一つは、例えれば映画でよく見る昔の飛行機の操縦間のようだった。あたしがそのレバーに触れようとすると真木が慌てた声を上げた。
「うおおい、それに触っちゃいかん! それは運転手用の緊急脱出用のレバーだ! 押し倒せば僕は古典スパイ映画よろしく車外に天高く強制射出されてしまう!」
 あたしは呆気にとられ、それからさっと手を引っ込めた。それを見て真木は腿を叩いて笑い声を上げた。
 くそっ、また引っかかった。
 ……だが、冗談かどうか確かめるのは来世でいいだろう。
 あたしは改めてダッシュボードを観察する。すると中央にある物がやたらと古臭いのに気がついた。小さなスピーカーらしき物の間に透明なガラス製のメーターがついていて、メーターの中には数字が書かれているから、恐らくは古いラジオなのだろう。つまみが一つと電源スイッチらしきボタンが一つあるが、それらは後からつけられたものらしい。本体は無理やりはめ込んだようで、周囲に指が入るくらいの隙間があった。
「これ、ラジオっすか? めっちゃアンティークなんですけど」
「ああ、それね。ふひひ、どれ、ちょっとやってみようかな」
 やや車内が冷えてきて、さっきまで汗をかいてふうふう言っていた真木に完全に余裕が戻ってきたようだった。スイッチを入れると、あたしににやりと笑いかけた。
「京さん、君はプライバシーには五月蠅いほうかな?」
「ん? うーん、そうねえ、オープンを気取ってるあたしだけど、心は意外に乙女――」
「乙女は助手席に蟹股で座らんと思うねえ。ま、じゃあ変化球で行くか。えーと……今テレビでオンエア中のマヨネーズのCMを知ってるかね? あの強面ラッパーがマヨマヨ言ってるやつだ」
「ああ、あれだろ、マヨマヨマヨオーイエ! マヨマヨってエンドレスに踊りまくるやつ。あれ見て猫が痙攣を起す動画は死ぬほど笑ったね」
「あれは僕も笑ったねえ。猫がマヨマヨに合わせて首を振りまくるのがたまらんね。ハムスターに見せたら死んだって噂にも笑ったな。さて、じゃあ、そのCMを頭の中で再生してみてくれないか。エンドレスで頼む」
 あたしはふんと小さく息を吐くとふかふかのシートにもたれかかり、頭の中でCMをリピートした。このCMは中毒性が高いと言われている。理由はリピートが簡単である点だ。動画サイトにはこの三〇秒足らずのCMを編集し、十五分に伸ばした物があったりする。それを動画プレイヤーで一曲リピートにして再生したりすると、もはや新手の拷問であり、実際それを七百二十分耐久で聞くという動画まであったりする。
「どうかな? リピートしてるかい?」
 あたしは頷くと、鼻歌を歌いながら太ももを指でタップしてリズムをとった。真木は口の端を上げるとラジオのスイッチを入れた。さーっと乾いた砂が零れ落ちるような音が車内に流れ始める。
「……そら聞こえてきたぞ。あ、頭の中でマヨマヨ歌い続けて! 僕も歌い続けるから!」
 それは、大分擦れていたが、確かにあたしと真木の入り混じった声だった。
『――マヨマヨマヨオーイエ、マヨマヨマヨうわなんだマヨこれあたしのマヨ声じゃ――』
 真木はスイッチを切ると、さーてと、とハンドルを握った。あたしが慌ててツッコむ。
「な、なんじゃ今のは!?」
「うっふふふ……ま、移動しながら色々話そう。京さん道順を教えてくれるかな」
 あたしが自宅の場所を教えると、真木は鼻歌を歌いながら車を出発させた。大学の裏口から出ると、住宅街をとろとろと走る。国道に出れば早く着くが、そうする気は今の所ないらしい。

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