三尊

ハッシャー

kick start

「お入りください」
半刻ほど待たされた上ようやく呼び込まれた部屋で、その男は端然と座っていた。

すっと伸びた背筋、髷を結わず総髪で整った目鼻立ちではあるが、その容姿よりも強く印象に残るのは理知的な切れ長な瞳であろう。
その瞳は柔らかな光をたたえ、人好きのする笑顔で、もの柔らかな雰囲気を漂わせている。

そこは美しい蒔絵の豪奢な襖に囲まれた部屋で、真新しい畳特有の芳香を漂わせている。噂では一旦客を通したら畳替えを行うのだという。
そこに座れと無造作に置かれた絹張の分厚い座布団には見たこともない異国の文様が金糸で刺繍されており、部屋にさりげなく飾られた装飾も控えめながらも一見して名物逸物とわかるようなもので、この男の尋常ではない財力を裏付けている。

「こちらがお招きしたにもかかわらずおまたせいたしまして申し訳ございませぬ間宮さま、前のお約束の方が手間取ってしまって」
間宮と呼ばれた男は特に気を悪くした風でもなく、気にするなとばかりに手を振り豪奢な座布団にどっかと座り、胡座をかく。

すいと襖が開く。

侍女らしき若い女が折り目正しく茶菓を客と亭主の前に置くと一礼して立ち去る。

それを目で追いグビリと茶を一口飲んで、間宮と呼ばれた男は口を開いた。

「例の件、ほぼ見えてきたぞ」
「それは重畳、して、どちらで?」
「お主はどう見る」

問われた男はしばし目をつぶりふと一息つき、ぼそりと呟いた。

「娘御の方でしょう」

そう答えた男の名は、 若橋屋 義左衛門という。
昨年、隠居した若橋屋の先代から先物商の鑑札を譲り受けた。

義左衛門はつい最近までは飲む打つ買うを極め、若橋屋の財を目当てに集まってきた取り巻きと共に盛り場で暴れまわり人を傷つけて、お上から目をつけられた。
それをきっかけに一時は若橋屋の身代を取り潰し、鑑札の取り上げの話まで出たような絵に描いたような親不孝ものであった。

先代の義右衛門の父親である若橋屋 小右衛門の必死の取りなしと諸方への働きかけによりにより、若橋屋の取り潰しだけはなんとか切り抜けたものの、しかし若橋屋を大きく傾けた。

そのような極め付けの愚か者がある日突然、それこそ生まれ変わったように、身を慎み先代を補佐し商売に精を出し始めるや、みるみるうちに往年からは見る影もなくなっていた若橋屋を立て直し、代を譲られてからはさらに大きく業績を伸ばした。
愚かで親不孝ものがひと夜を境にこのように活躍を始めたことは、江都の浄瑠璃語りが面白おかしく語って流行りとなったこともあり、下々から子供まで知らぬ者はないほどで、江都の七不思議とすら言われた。

このことを義左衛門本人に問うとニヤリと伝法な口調で一言
「おいらは一度死んだのさ、で、あの世で閻魔さまにお前のような悪たれを落とす地獄もないと叱られてね、おめおめと戻って来てしまった。次に死ぬ時はちゃあんと分相応な地獄に落としてもらえるよう精進することにしたのさ」

さて、今最も勢いのある先物商人である義左衛門だが、米をはじめとした穀物全般仲買先物を扱うと共に、その豊かな財力から、様々な領主や豪族、他の商人に金貸しも行ってい、冷酷とも言える手腕で富の山を築く一方、貧しい者や困窮した者が技能を身につけられる訓練所を開いたり、夫を亡くして子供を抱えて途方にくれている寡婦に若橋屋の仕事を周旋したり、身の立つようになるまで金利を取らずに金を貸すなど徳政家としての顔も持つ。
その相反するとも言える二面性に義左衛門は二人いると冗句まじりに噂された。

時は相生あいおい、50年近く続いた血みどろの戦乱を終焉に導いた初代 将軍 瑞穂忠敬が、東の温暖で広大な盆地を首都『江都』として幕政を開き、ちょうど100年が過ぎた。

その治世のもと、さまざまな大衆文化が花開き、それに比例するかのように経済も活発に動いている。
領主から庶民にいたるまで明るく日のさしたような時代といえよう。
しかし、どんな時代にも、いや、明るく日が差しているからこそ、闇は暗く重いものにながちで、飢饉があれば餓死者もでるし、娘の身売りもある。わずかな金を狙った辻切りなどの陰惨な犯罪も繁栄した都の盛り場の闇でしばしば起こり、捕方を悩ませていた。

そんな世の中で、豪商で金貸しであるうえ、徳政家でもある義左衛門の元には様々な問題を抱えた人々が毎日多く訪ねてくる。

間宮は目の前の穏やかな微笑みをたたえた、自分を呼び出した男を改めてしげしげと見やった。

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