異世界列島

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16.将軍と長Ⅱ

 ♢
 外地派遣部隊司令部庁舎・応接室―――。


「あなた方の今後について―――」


 宮内大雅一等陸尉の一言に、室内の空気が一気にその重みを増した。……ように感じたのは、実際には避難民代表としてこの場にいるモロだけだった。


 ヒト種である日本人が狼人種である自分たちを、今後どのように処遇するつもりであるのか。モロの不安は募るばかり。


「それは……貴殿らが決定することであって、受け入れてもらう側の我らに選択肢はない。……違いますかな?」


 モロは冷静さを装ってそう問いかける。だが、全身の毛という毛が奮い立ち、緊張の汗がそれらを湿らせる。


 日本人は確かに獣人種に対する差別感情を持っていないのだろう。だが、政治というものは感情ではなく理性でするものだ。


 自分たちの利益を最大限に勝ち取ることこそ政治の果たす役割であり、選択肢というボールは日本側が握っている。


 もしスラ王国に与することが日本国の益となるのであれば当然―――。


 日本は狼人を外交の道具として利用するだろう。と、モロは覚悟する。


 仮にも一部族を纏め上げる長である。村ではまつりごとを担ってきた。


 しかしモロの不安は良い方向に裏切られる。


「……いえ、あなた方の今後を決めるのは、あくまであなた方一人一人ですよ」


 宮内は、トレードマークの銀縁眼鏡を片手の指で持ち上げ、そう言い切った。宮内に代わるように、黙って話を聞いていた新留真一陸将が口を開く。


「我々はあなた方をできうる限り支援します。医療、教育、自立支援……支援の幅も、量も、我々が出来うる範囲内でその提供は惜しみません」


 医療支援は現在も実施中であるし、自立支援は相馬小隊―――再編が決まっているが―――が行っている。これらは一過性のものではなく、今後も継続されることがはっきりと明言された。それだけでなく、今後は教育も行うという。


 新留の言葉は、相馬の口を通してモロに伝わる。


「……それは」


 ―――なんとも気前の良いことだ。


 少なくともスラ王国に引き渡されることはなくなったのだ。そればかりか支援の確約も得ることができた。


 全身から出ていた嫌な汗が一気に冷える。モロは一つ緊張が解けるのを感じた。


 新留はモロの張りつめていた空気が和らいだことに気づき、胸を撫で下ろした。


「しかしあなた方が保護と支援を受ける権利は何の法的な後ろ盾を持ちません。故に、不安定な地位に立たされている状況にも変化はありません。我が国の難民認定制度は……おっと、これでは訳が難しいか?」


 新留の言葉の最後は、翻訳を担当する相馬に向けられたものだ。


 相馬は狼人たちとの会話の中で、度々、言葉の意味を説明しなければならなかった。


 言葉にはあっても、原始的な暮らしを守ってきたモロたちの知らない言葉や、そもそも現地には存在しない概念、単語などがあるからだ。


「いえ、大丈夫です。お気になさらず先を続けてください」


 相馬の返答を受け、新留は「分かった」と言葉を続ける。


「……我が国で難民申請を行うには国内で、正確に言えば〝出入国管理局〟という機関で手続きを行う必要があります」


 難民の地位に関する条約(通称、難民条約)を批准する日本国において、難民と認定されるには日本国内の入国管理局に出頭し難民申請を行うことが必要である。国連U難民N高等H弁務官C事務所Rによるマンデート難民というものもあるが、これは日本では一般に認められていない。


「ですが現在、この東岸地域はまだ・・日本国の領有に属していません。故にそのような機関は存在しませんし、また、日本本国と東岸地域との行き来は〝外地派遣特措法〟によって厳しく制限されています」


 新留の言葉には、〝将来的に東岸地域を日本国の領土に編入する〟という、日本政府の思惑が滲み出ていた。


 ちなみに現在、東岸地域はどこの国の領土でもない。しかしそれでは無法がまかり通ってしまう。そこで、東岸拠点を始めとする施設には日本国の主権が及び、日本国民(外地派遣部隊の隊員)には暫定的に日本国の法が適用されており、同様にアメリカ軍基地及びアメリカ軍人にはアメリカ臨時政府の主権と法が適用されている。


「つまり、現時点・・・ではあなた方は難民条約が規定する難民としての地位を日本政府に申請できない……そして、難民申請者としての権利も保証されていないのです」


 それはもし自衛隊がこの地を離れるようなことがあれば彼らの安全は保障されない。または、強制送還・国外退去を否定する難民条約の外に置かれ、日本国への在留も帰化もできない。といった非常に不安定な状態であることを意味する。


 難民認定制度に関して一通りの説明を受けたモロだが、新留の予想よりその表情は暗くない。それもそのはず、自分たちの安全は保障されるばかりか、日本からの支援を継続して得られると分かったのだから。


「もっとも、日本政府はあなた方を人道的見地・・・・・からこの東岸地域で保護し、その生活再建を支援すると言っています。また、今後、特例であなた方を難民として認定する意思も日本政府にはあるようです」


「本当ですか……それはなんとも喜ばしいことです」


 人道的見地というのも本当だろうが、政府が最も重要視しているのは、彼らの〝生態研究への協力〟と〝大陸の情報へのアクセス〟、そして、そこから導かれる〝アメリカ臨時政府に対する牽制〟であろう。と、新留は考えている。


 新留のその考えが正しいであろうことは、防衛省から外地派遣部隊に通達として下された命令が証明していた。それは―――。


「ここから先は任意でのお願いになるのですが」


 新留はそう前置きして切り出す。


「ものによりますが……我々にできることであれば」


 何をお願いされるのか……モロは再び不安な表情を見せる。


「いえ、難しいことではありません。主に二つほど。一つは、この世界について教えていただきたい。国家、宗教、地理、風土、種族、民族、魔法……なんでも、知っているありとあらゆることについて」


 そう言って真っ直ぐにモロを捉える新留に、モロは自信なさげに答える。


「……我々は大平原に住まう獣人種の中では外部と交流があった方です。しかしあくまで伝聞。我々の知識がどこまでお役に立てるか」


「いえ。それでも構いません。我々はこの世界に関して何も知らないのですから」


 と、新留。どんな些細なことでも、今の日本にとってそれは貴重な情報に他ならない。


「……では、もう一つというのは?」


 モロの問いに、新留はすかさず言葉を返す。


「我々の研究・調査に協力していただきたい」


「研究?ですか?」


 その響きに、モロの顔に少しだけ陰りが見えた。世もや、恐ろしい人体実験に利用されるのではないだろうか……そう思っていても不思議ではない。そのことに気づいた相馬は、慌てて言葉を付け足した。


「何も物騒なものではありません。簡単に言えば、昨日の検査のようなことを行いたいのです」


 昨日の検査では血液サンプルの採取、簡単な問診などが行われ、結核やインフルエンザなど地球由来の感染症や疾病を予防するワクチンが接種された。


 しかし、現地由来の病原菌や疾病の存在は無視できない。


 アメリカ側から提供された情報によると、アメリカ軍が保護した二人の男性からはいくつかの未知の病原菌が発見されたという。しかし不思議なことに、地球人類にはそれらに対する免疫が備わっていた。未知の病原菌に対する免疫。それは医学者を悩ませる。


 相馬たちがモロたちと接していられるのもそういった事前情報あればこそだ。もっとも、今後、地球人類の脅威となる病原菌やウイルスが現れないとも限らないので、万が一を考え、モロたちと接触する人員は限られている。それはモロたちが普段は人があまり来ない外れの宿舎に収容されていることにも繋がる。


 また、免疫が備わっているからといって、確実にその病気にかからないというわけではなく、やはりワクチンの開発や治療法の確立は行わなければならない。加えて、アメリカ側の情報の信憑性を保証する意味でも日本独自の情報は必要である。


 日本政府としては、狼人種の避難民の協力を得てより詳しい研究を進めたかった。


 それを簡単に説明すると、モロは喜んで受け入れた。


「そういうことであれば私は協力を惜しみません。他の者にも話しておきます」


「いいですかモロさん……これは任意ですので決して強制はしないでください。断ったとしても我々の保護と支援に影響はしませんので」


 横から割って入った宮内の忠告にモロは頷く。


 自衛隊としても「支援の見返りに研究への協力を強要された!」などと後になって、後ろ指を刺される事態は望ましくない。どこかの国のように謝罪と賠償を求められるのも御免である。


 その他、細かい話が纏まったところで、応接室の扉が外から叩かれた。


 コンコン―――。


 今、応接室が使用中だということは分かっているだろう。にもかかわらずノックするということは緊急の案件だとうことだ。


「構わない。入れ」


 新留は扉の外側へ聞こえるように、多少声を張ってそう言った。


「お話しのところ失礼します」


 そう言って入室したのは城ケ崎三等陸曹。相馬は嫌な予感がした。


 城ケ崎からは緊張よりも、焦りの表情が見て取れる。城ケ崎のただならぬ様子に相馬も事態を察した。


「どうした城ケ崎」


 相馬の声に城ケ崎は即座に答える。


「―――モロさんのお孫さん……ミラちゃんが拠点の外に抜け出した可能性があります」


「「「「!?」」」」


 一同の視線が交差する。


 最初に口を開いたのは相馬。


「っ!?まさかこの雨の中……しかも拠点の外にだと」


 相馬はそう言って視線を窓の外へと外した。モロと新留、宮内もそれに倣う。


 吹き付ける風が、窓をガタガタと揺さぶる音が室内に響く。雨は一段と強さを増し、時折、雷が空気を震わせ、唸るような低音を響かせている。


 大陸上陸初期に行われた魔物の掃討のおかげで、拠点の周囲に限っては比較的安全が確保されている。が、拠点の周囲には複数の林や森が点在しており、特に南西の森は深い。


 このように雨の日であれば迷いやすく、また、魔物がゼロというわけでもない。自衛隊でも南西の森には武装した上で、複数人で立ち入るようにしていた。


 普段は自衛隊の攻撃を警戒して逃げ出す魔物でも、少女一人であればあるいは―――。


「……なんと。ミラが」


 モロはそう言って絶句する。モロにとってミラは最愛の孫娘だ。何かあったら、と気が気ではないのだろう。
 

「城ケ崎。ミラちゃんが抜け出したのはいつ頃だ?」


相馬に問われた城ケ崎は、即座に頭を下げて答える。


「すみません。自分たちが気付いたのもつい先ほどで……」


幸いなことに、雨が本格的に降り始めるより前に片づけを終えた城ケ崎らと避難民。だがしばらくして、ミラの姿が見えないとの相談が狼人の青年から上がった。ミラが突っかかっていた青年の一人だ。


彼曰く、ミラは終始フェンスの外を眺めていたという。


―――ひょっとしたら外に抜け出したのではないか。


彼の言葉を否定することはできなかった城ケ崎らは、すぐに拠点の警備を担当している警衛隊に事情を説明した。


―――すると。


東岸拠点ここの南第二ゲートからは施設科のトラックが出入りしていたとのこと」


避難民が収容されている宿舎にほど近い、南第二ゲートからおよそ一㎞南にある河川の周辺では、難民キャンプの設営が進められている。故に、南第二ゲートは車両の往来が今朝から盛んになっていた。


「恐らくそのどさくさに紛れて―――」


 城ケ崎の言葉を相馬が遮る。


「捜索は!?」


「はっ。すでに捜索は始めています」


 相馬は朝から感じていた嫌な予感が当たってしまったことに歯噛みした。


「せめて森に入っていなければいいが……」

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