契約の森 精霊の瞳を持つ者

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4.

 イズナが止めるのも聞かず、レノは飛び起きていた。まさに、今やっと目が覚めて、全てのことを把握したのだ。そして本当に理解した言葉がシアの先ほどの言葉だった。


 毛布が翻り、レノを止めようとしたイズナの動きを邪魔する。視界を遮られ、レノの馬鹿力で向かってきた毛布にくるまれながらイズナは倒れるはめになった。


 酷い形相のレノが迫ってくる様子は、シアにしてみれば恐ろしかった。いつもの優しい母親の顔とは違う。まるで何かと戦っている時のような、叱られる時のわざとらしい怒った顔ではなくて、もっと切羽詰まったような表情だった。例えるなら、獣が獲物を見つけた時のような。


 シアは悲鳴を上げて、本能的に逃げようと背を向けたけれど、あっと言う間に後ろからレノ抱きしめられていた。


「ママごめんなさい!もう2度と言わないから!」


 尋常ではないレノの表情と、恐ろしい力で抱きしめられて、シアは自分が本当に酷いことを言ったのだと知るはめになった。


「ええ。2度と言わないことね」


 レノは息も絶え絶えにそう言う。


「覚えてなさい。あなたがもし、またそんなこと言うなら、私はあなたのほっぺたを思い切り叩いてでも、止めなきゃならないわ」


 シアはレノの言うことに、ぶるぶると震えながら何度も頷く。シアが頷くのを確認すると、「分かったのならよかった」レノはそう言って、腕からは力が消えた。シアは恐る恐る振り返ると、今にも泣き出しそうなレノが、微笑んでいた。


「あんな悲しいこと、もう言わないで」


 レノの言葉にシアは涙をこらえて、今度は本当に、こっくりと頷いた。その後ろで、ライルは号泣し、ベットの向こうの床ではイズナが毛布に包まれて倒れたまま、珍しくぼやいた。


「……相変わらずの馬鹿力」


 ため息を吐き出すと、イズナはやっと起き上がった。




 レノが急に動きだしたせいで、ユミルの家では大騒ぎだった。傷口は開き、レノはイズナから何度も「安静だって言ったのに」という言葉を聞くことになった。


 そのたびに、レノはイズナを褒めたり、お礼を言ったり、最終的には好きな食べ物でご機嫌をとる。怪我が治ったら、レノは料理ばかりをすることになるだろう。




 イズナはレノの傷口をふさぐために、自分の鞄に入れてきた薬を使った。


「これって、もしかして……」


 レノとライルは、イズナの使った薬を興味深そうに見つめた。薬を塗っただけで、傷は確かにふさがっていく。


「エントのだろう?」


 ライルは古い記憶の中にあった出来事を思い出しながら聞く。イズナは大事そうにその薬を何重にも布で包んで鞄にしまう。


「昔、エントの部屋からグレイスが盗……貰ったのを、私にくれたの」


 昔のように、イズナがつい誤魔化すように言い直したことがおかしかったのか、ライルとレノは吹き出してしまった。


「そう言えば、そんなことあったな。エントが血相を変えて怒って。貴重な薬なのにって、大変な騒ぎだったからよく覚えてるよ」


「たしか、ウェンデーネとノームの力を使った薬だったのよね。しかも、ドワーフ達まで城に集まって、うんうん悩みながら作ってたわ……いいの?そんな大切な薬を使って」


 初めこそおかしそうに言っていたものの、レノは急に不安になってしまった。


 イズナは、ベット端にへばりついているシアの頭を撫でた。レノの傷口を不安そうに見つめていたシアはイズナを見上げる。


「これは、今みたいに本当に大切な時にしか使わないことにしてる。大きな傷はこれでは無理だけど、レノの傷はほとんどウェンデーネが治してくれてたから、あとはこの薬だけでもなんとかなりそう」


 それを聞いて、シアもやっと安心したように息をつく。
 レノがイズナの顔を覗き込んで、本当に心から「ありがとう、イズナ」と言うと、イズナはくるりと体の向きを変える。


「でも、言うことを聞かずに動き回ったりしたら、次は助からないから」


 イズナの脅すような言葉に、レノではなく、シアとライルが何度も頷く。照れ隠しでそう言ったイズナの背中に、レノはもう一度お礼を言った。

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