契約の森 精霊の瞳を持つ者

thruu

45.

 波紋が広がるように揺らめく。シルフの風を防ぐための分厚い水の川は、中心部分がへこみ、廃墟の中へとゆっくりと歪みながら落ちてくる。反対に、中心から離れた場所は、水が変形しながら上空を目指す。


 タカオ自身でも、思うように水を操れていることに驚いていた。そして、この力が自由になるのなら、シルフの風をどうにかできると考えついていた。


 まるですり鉢のような状態になった水を、タカオはさらに上空に手を伸ばすように広げていく。


「これは一体、何を……」


 思わずそう呟く。声はタカオの声だったけれど、実際にはウェンディーネが呟いた言葉だった。それには、タカオは得意げになって答えた。


ーーこれで空に戻せばいい。防いでもあの竜巻が移動するだけなら意味がないし、シルフだってきっと後悔する。


 ウェンディーネがあまりにも穏やかな心持ちだったので、タカオは油断していた。ウェンディーネは変形していく水を指差す。


「水が足りてない。この薄い水の壁ではあの風は防げないどころか、巻き込まれて風の威力が増す。それこそ、森への被害が増えるだけ。そもそも、こんな形で空に戻るとでも……」


 それは相変わらずタカオの声だった。穏やかな声は一言一言発せられるたびに怒りが混じる。見上げれば、ウェンディーネの言うように水の壁は薄くなっていた。上へと壁を伸ばすほど、中心部も薄くなる。かといって、いまから水路の水を引き上げても遅すぎる。


 タカオはやっとそれに気がつくと、もうウェンディーネの代わりに力を使うことを止めた。けれど、上に伸ばしていた薄い水の壁はすでに竜巻に巻き込まれて、その形を崩しはじめていた。


ーーそんな……。


 タカオの沈むような声は、ウェンディーネにしか聞こえない。


 竜巻は水の壁をたやすく巻き込み、その威力はウェンディーネの言うように増していた。薄くなった水の壁は、巻き込まれた部分を補おうと中心部から水が移動する。そのせいで、もう竜巻が目前に迫っているのを、タカオの目からでも確認できるほど壁は薄くなっていた。


ーーどうしたら……。


 目の前の危機にタカオはもう何も考えられなかった。


 真っ黒なもやが空を渦巻き、水を巻き込みながら襲いかかってくる。その向こうは次々と黒いもやが押し寄せていた。星も、月もない。何も見えやしない。


 黒い風は到達してもいないのに、地上の全てを巻きこもうとするように、ギリギリで耐えていた廃墟の壁さえも、もぎ取っていく。タカオの側を、大きな壁やかけらがかすめていった。


 タカオが言葉に出さないでも、自分のせいだという思いはウェンディーネに筒抜だった。ウェンディーネはこんな状況で微かに笑う。


「目的は果たせた。もういい」


 ウェンディーネは右手を水路へと向けると、水を引き上げる。


ーー目的?それより、今から水を引き上げても間に合わないだろう?


「力は自由につかえるはずだ。それにこれは、水の壁ではない」


 そう言って、引き上げた水の塊を掴むと、水は弾けて床に落ちた。掴んだ手のひらには、何か生き物のようなものがいた。それに視線を移すよりも早く、ウェンディーネの視界は上空に向けられていた。真っ黒の渦が空を覆っている。その中で、微かな光が見えたのだ。



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