契約の森 精霊の瞳を持つ者

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36.

 タカオが目覚めた時には、空は赤く染まっていた。それも夜の色がつき始めた赤で、神秘的な色だった。ガラス越しに見ても、その空は美しい。


「起きた?」


 その声に我に返ると、笑顔のレノが目の前にいた。タカオは食事をした部屋のソファーに寝転んでいたのだ。一瞬、全ての記憶が吹きとんだ気がした。それも最近の記憶だけ抜け落ちたような、気持ちの悪いものだった。


 その代わりなのか、タカオの中では昔の記憶がやけに鮮明によみがえってくるのだ。小さい頃のなんでもないような記憶や、いつ聞いたか分からない言葉達。


 あるはずのない香りが脳裏に蘇って、まさに今ここにあるような気さえする。甘くて、けれども頭を突き抜けるほどのすがすがしい香り。あれは何だったのだろうか。タカオは自分で自分に問いかけるけれど、返事は何ひとつ返ってはこない。それでも、その香りだけは、はっきりと香っていた。


 その香りと共に思い出すのは、鷹の飛ぶ姿を見守っていた時の事だ。あんなにも嬉しかったのに、あの鷹が一体、自分にとっての何なのかすっかりと抜け落ちている。
 何故「嬉しかった」のかすら、分からなかった。


 ただ分かるのは、その鷹が飛んだ日は、今日みたいに夜の色がつき始めた夕暮れだった。赤も青も紫も全て空で交じり合って、どこまでも澄んで見えた。


「あの日は、そうだ……別れを言おうと思ったのに言えなかったんだ。だから、別れの言葉の変わりに……」


 タカオは頭で整理しきれずに、ついに声にだしてしまった。声に出してしまうと、思い出せそうだった事は全て消えてしまった。


「誰に別れを言おうと思ったの?」


 レノは不思議そうに聞く。


「誰だろう。思い出せないんです。大切な事だったのに……」


 タカオがあまりにも悲しそうに言ったせいか、レノも困ったような顔をする。それから思いついたように声を弾ませる。


「そうだ!お祭り、見に行ってみたら?少しは気分が変わるでしょう?気分が変われば、きっと思い出すわよ」


 レノの明るい声にぼんやりと頷くと、なかば強引に用意されたシャツに着替えさせられた。


 タカオのシャツはサラに破られたり、ライルに矢で貫かれたりと、見事にぼろぼろになっていた。
 レノが用意したシャツは肌触りの良い生地でとても肌になじんだ。


 サイズもタカオにぴったりで、このシャツがライルのものでないのは明らかだった。ライルはタカオよりも背が高く、胸板も厚い。ライルにしてはこのシャツは小さすぎたのだ。


そう考えていると、レノの大きな声が部屋の中に響いた。


「あら!ぴったりね!」


 それがやけに大きな声で、タカオは思わず驚いてしまう。レノはそんなことは気にせず、自分の見立てが間違いなかった事が嬉しかったのか、どこか誇らしげだった。


 タカオはその場で、くるくるとバレリーナのように回されていた。


「ちょっ……ちょっと!止めてください」


 タカオの微かな抵抗など無いのと同じで、レノは楽しそうにタカオを回転させる。


「すごいわ……丈も身幅も完璧だわ!袖丈もぴったりだし!窮屈な感じも、ゆるすぎるところもないでしょう?」


 レノは嬉しそうだったけれど、茶化しているわけではなく真剣だった。その真剣さに引きずられるように、タカオは腕を上げたり下げたり、左右に動かしてみる。


「これ……!動きやすいです!」


 タカオも思わず嬉しそうな声を上げる。レノが自慢げに頷いたとき、あまりにもうるさかったせいか、台所にいたライルがのっそりと出てきた。手には、今見つけたばかりの煙草を持っていた。


「何を騒いで……」


 怪訝そうな顔でそう言うと、ライルは言葉を失っていた。顔色は何一つ変わらなかったけれど、驚いていることはタカオには分かった。


 けれど、タカオはライルが驚いていることよりも、袖に縫われていた刺繍が気になっていた。何かの模様。どこで見たのか思い出せないけれど、なぜか懐かしい気がしていた。



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