契約の森 精霊の瞳を持つ者

thruu

29.

 レノが息を吸う音が微かに聞こえ、次にはもう吐き出されていた。


「そうね、病気なのかもしれないわ。でもそうだとしたら、それはきっと心のほうだわ」


「心の?もしかして、あの写真……」


 タカオはふと、弟は自分のせいで死んだと言っていたシアを思い出した。レノはカップを持ち上げたり下ろしたりしながら、少しづつ話し始めた。


「そう、シアンというの。シアの双子の弟。シアンがいなくなってから、あの子はずっとふさぎこんでいて……。精霊が現れたと聞いてからは、前みたいに振る舞ってはいたけど、立ち直ったわけじゃなかったのね。分かってはいたけど……」


 レノはカップをのぞきこむようにうつむいた。


 タカオも同じようにカップをのぞきこんだ。


「その、シアンがいなくなったというのは……」


「10日ほど前よ。でも、時間は問題じゃないわ」


 そう言う時には、レノの声は震えて、目には涙が浮かんでいた。泣いているのを知られたくないのか、レノは顔を横に向けていた。


 タカオは希望を持てる言葉を言いたかった。けれど、結局は何も言えずにいた。


「レッドキャップにさらわれたんだから、助かるわけないのよ。諦めるしかないわ。でもシアは、シアンがまだ生きてるってどこかで思っているのかもしれない」


 タカオはレノの言葉に驚いて、まだ何か話そうとしているレノの言葉を遮った。


「さらわれた……?」


 レッドキャップ。それはシアが精霊に追い払ってもらおうとしていた奴だ。タカオは瞬時にそれを思い出した。


「ええ、あの日、夕闇と共にレッドキャップが村にやってきて、あっという間だった。シアンだけじゃないわ。他の子供も……」


 レノは言葉に詰まって、しばらく黙っていた。けれど、呼吸を整えると涙を堪えて話しを続けた。


「あの日は、特に変わったことなんかなくて、普通の日だったのよ。いつものように、いつもの毎日が終わるはずだった」


 レノはタカオのずっと向こうを見つめているようで、タカオに顔を向けてはいたけれど、目線は一向に合うことはなかった。


「わたしも、あの人……ライルも、この家にいたの。暗くなってきたのにあの子達、全然帰ってこなかった。今までもそんな事は何回かあって、そのたびに怖い顔で怒らなくちゃならなくて、今日もそうしなきゃならないわ、ってライルと話していたの」


 レノは淡々と機械的な調子で続ける。


「でも、すぐにそんな状況ではいられなくなったわ。外から悲鳴が聞こえて、ガラスが割れる音や、子供達が泣き叫ぶ声、その中に、あの子の……シアンの声がね、私たちを呼ぶ声が聞こえて、泣いてたわ、助けてって、パパ、ママって」


 レノは涙を流している事にも気がつかないのか、それとも、もうそんな事はどうでもいいかのように、目からあふれた涙が頬を伝ってテーブルに落ちていった。それでも、レノは相変わらずタカオのずっと向こうを見つめていた。


「私たち慌てて外に出たけど、あの子の姿はどこにも見えなかった。でもどこか近くから、遠ざかって行くのだけは分かったの。私たち、何もしてやれなかったのよ。何もよ。何も、何も、何もしてやれなかった」


 タカオは、一言も喋れずにレノを見つめていた。食事をしている時と、今、目の前にいるレノはまるで別人だった。


 明るくて優しいレノ。けれど、今は後悔と悲しみと怒りで崩れ落ちそうだった。

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