契約の森 精霊の瞳を持つ者

thruu

5.

 グリフがいなくなると、タカオは心細くなった。焚き火の炎は夜空を目指し、それをたどると今日も沢山の星が瞬いていた。あの時と同じ夜空だ。


「疑いもしなかった」


 どうしてあんなに簡単に信じたのだろうかと、タカオはあの夜の事について考えていた。あの時、何か気になっていた事が思い出せなかった。何かに違和感を感じたのだ。あれは苦い食事の前だった。


「さっき出会った人間だ」


 タカオは記憶を巻き戻すようにその場面を思い出し、その言葉を呟くと顔を夜空に向けた。ゴブリンは確かにそう言ったのだ。彼らは一度だってタカオの名を呼ぼうとしなかったし、聞こうとさえしなかった。


 それはタカオを『人間』という食料としてしか見なかったからだろう。これから食べる人間の名前に、ゴブリンが興味を持つはずがなかった。


 そんなことを思い出すたび、タカオの心は暗く沈んでいくようだった。どうしようもない闇が、自分の奥のほうにあるような気がして、恐ろしくなる。


 あのゴブリンの罠にかかった者はどれほどいるのだろうか。グリフや自分のように、助かった者はどれほどいるのだろうか。


 あの優しそうな、ドワーフと名乗った時のゴブリンを思い出すと吐き気がする。タカオはスープを見つめたままため息をついた。


「信じろって言われても……」


 タカオはそう呟きながら、グリフの背中を思い出していた。あの倉庫での、血だらけのグリフの背中を。あの時、グリフは命をかけていた。


 命をかけて、なぜ守ろうとしたのだろう。タカオはそれが不思議だった。グリフのあの態度も。


「変な奴」


そう呟くと、意を決してスプーンを握りしめた。理由は分からないが、グリフが命がけて守ってくれた命だ。このまま食べなければ、グリフにムリヤリ食べさせられる未来は目に見えている。

ーー大人として、それはなんとしても避けなければ。


 手はガタガタと震え、上品という言葉は無に等しいほどかけ離れ、まるで犬のような勢いでスープを口に流し込んだ。


 味わう事も出来ず、どんな味かも分からない。それでも、タカオは必死で口を押さえ、今、胃に収まったものが逆流しないように努める事に全神経を集中した。


 何度も何度も、体が食べ物を拒否するように、逆流しようと試みているようだった。けれど、体が拒否しているわけではない事くらいは分かっていた。恐怖に心を侵略され、逃げ出そうとしていたのだ。


ーー逃げるな。


 夢の中のウェンディーネの声を思い出すと、タカオは自分でも声に出していた。言い聞かせるように。


「逃げるな」


 そう言いながら体を横たえると、頭が急にぼんやりとした。


ーー「信じろ」って言葉はグリフにとって、大切な言葉だったんじゃないかな。


 タカオはそんなことを考えて、あとは気を失うように深い眠りについていた。

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