Raison d'etre

月島しいる

プロローグ

 夕陽で赤く染まった世界。
 バルコニーで電子キーボードを弾いていた幼い少女は、ふと空を見上げて演奏を止めた。
「姉さま、何故、お空は夕方になると赤くなるの?」
 少女は隣に座る姉に問いかける。姉はぼんやりと空を見上げ、小さく首を傾げた。
「太陽が真上に来る正午は一日の中で最も熱くなるでしょう? 逆に、夕方になると気温が下がる。つまり、時間帯によって太陽との距離が違ってくるってこと。太陽との距離が遠くなると、青い光は波長が短いから、届かなくなる。でも、赤い光は波長が長いから、太陽が離れても地表まで光が届く。だから、空が赤くなったように見えるってわけ」
「お日様は青い光と赤い光を出しているの?」
「他にもいっぱい出してる。波長ってのは、つまり周波数。それを、私達が勝手に赤色とか青色とかに分けてるだけ。凛の好きな音楽と一緒だよ。あれも音の周波数を勝手にドレミに分けてる。そうした方が都合が良い訳。一旦記号化すると、その記号を操作する事でコードとかを簡単に定義できるから。でも、間の情報は失われる。巨大な情報的損失だよ。そうやって情報をわざと落とさないと人間は現実が理解できないんだ。メモリが圧倒的に足りない」
 少女は難しい顔を浮かべながらも、必死にその言葉を理解しようと努めた。それを見た姉が頬を緩める。
「話を戻そう。夕焼けと同じで、日中に空が青いのは中くらいの光、つまり青波が窒素とかで散乱してるから。それで、空が青く染まる。朝焼けとか、そういうのも光の波長によって色ごとに散乱するから起こる訳。後は、同じような現象に分散っていうのがあるかな。物質中を走る光の速さってのは同一じゃないんだよ。周波数……光の場合は波長かな。波長ってのはさっき言った所謂色に当たるんだけど、実は色ごとに進む早さが違う。だから、白色の光を発すると、ある地点で光は色ごとに時間軸に分散して到達する。って事はさ、光を信号として利用した場合、これがノイズになる訳。信号がさ、太くなっちゃうんだよ。物質を通る以上、こういうノイズは必ず混ざっちゃう。有名なのは、そう、熱雑音。熱があると言う事は、細かく震えてる訳じゃない? だから、あらゆる通信系には必ず雑音が混じる。さっきの話に戻ると、人は常にこういう雑音の影響を受けてる訳。だから、絶対に現実を理解できない。物質的な問題と、認知的な問題。極端に言えば、私と凛は違う世界にいるってこと」
 少女には、姉の話がよくわからなかった。ただ、ノイズという何かが悪さをしている事だけは分かった。
「そのノイズがなくなればどうなるの?」
「ノイズがなくなれば、か。そうだね、もし、あらゆる物質的な影響を受けない何かがあれば――――――――するかもしれないね」
「本当に?」
「そう、多分、そうなる」
 姉が言葉を濁す。
「いや、この話はやめよう」
 姉は口を閉じ、少女の膝に乗っていたキーボードをそっと手に取った。そして、そのままキーボードを弾き始める。それを見て、少女はある事に気付いた。
「姉さま、さっき、音楽は周波数がどうのこうのって言ってたけど、間違ってると思う。音楽はね、和音だけじゃなくて、リズムとか大きさなんかも大事なんだよ!」
 私がそう言うと、姉は手を止めて、じっと少女の顔を見つめた。
「そう、かもしれないね。確かに記号の操作だけじゃない。なるほど、凛の言う通りだ。凛は将来良いピアニストになるだろう」
 姉はそう言って、少女の頭をくしゃりと撫でてくれた。少女は誇らしそうに電子キーボードを抱きかかえた。

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