偽悪皇帝アルヴィクトラ・ヴェーネ

月島しいる

13話 告白

 泉を拠点とした生活が三日続いた。
 アルヴィクトラ、リヴェラともに依然と微熱が続いていたが、高熱は収まり、順調に快復へと向かっている。
「アル様、焼けました」
 ぼんやりと泉を見つめていたアルヴィクトラに、背後から柔らかい声が届いた。
 振り返ると、串に刺さった獣の肉を差し出すリヴェラの姿があった。
 昨日水浴びをしたばかりの為、リヴェラの顔や髪からは泥と埃が落ち、元の鮮やかな容姿を取り戻している。
「ありがとう」
 アルヴィクトラは微笑んで、串焼きを受け取る。焼いただけの肉だったが、香ばしい臭いが鼻をついた。
 硬い肉を噛み切りながら、泉へ視線を戻す。蒼空を映す水面がそよ風で小さく揺らめき、時折魚の影が見え隠れした。
「アル様は」
 リヴェラがアルヴィクトラの横に腰を下ろし、口を開く。
「後悔なされていますか?」
「何を、ですか?」
 視線だけリヴェラに向けて、アルヴィクトラは肉を小さく齧った。
「全てをです。虐殺皇帝の打倒を目指し、結果的にそれを引き継ぐことになったことを」
 アルヴィクトラはこれまでの記憶を思い返すように目を瞑って、それからすぐに首を横に振った。
「わかりません。私の望んだ結果にはなりませんでしたが、全てを無かったことにしたいとは思いません。何もしなければ、帝国は緩やかな崩壊を迎えていた。その影響を受けるのは民です。統治者として、それは許されないことです」
「しかし、アル様のやり方に反抗したのもまた民でした」
 リヴェラの言葉に、アルヴィクトラはゆっくりと頷いた。
「私は自ら虐殺幼帝の仮面を被りました。帝国の建て直しを行うには、それが最も効果的な手段のように思えた。民はその手段に反抗しただけです。私のやり方に非があっただけです」
 アルヴィクトラはそう言って、空を仰いだ。
 沈黙。
 木々が風で擦れる音が響く。
「私は」
 雑音の中、リヴェラの声がはっきりと響いた。
「アル様を戦火の中に引きずり込んだことを後悔しています」
 アルヴィクトラは空を仰いだまま、彼女と初めて出会った時のことを思い出した。
「リヴェラは私と初めて出会った時、魔法をかけてくれましたね」


 ――貴女は魔女なのですか? 父上を、虐殺皇帝を成敗しにきたのですか?
 ――父上? ああ、貴方は……貴方の父は疑心暗鬼に陥っているのです。その環境が誰も信じる事を許さず、虐殺へと走らせた。人の身である私が解決する事は叶いません。でも、貴方が同じ道を辿らないように、魔法をかけることはできます。多くの大きな物語で使い古されてきた古代の魔法です。
 ――古代の魔法?
 ――人の温もりです。
 ――あの?
 ――貴方が疑心に陥らぬように。帝国騎傑団序列五位、リヴェラ・ハイリングが貴方を守る魔槍となりましょう。


 中庭で行われた小さな誓約。
 何の力も持たなかった七歳の子どもと、帝国騎傑団で頭角を現し始めた十七歳の娘の何の効力も持たない約束。
 それはアルヴィクトラの運命を決定付けた。
 アルヴィクトラが絶望的な内部闘争を決意するきっかけとなり、才覚に恵まれたリヴェラ・ハイリングの存在がアルヴィクトラに反皇帝の求心力と現実性を与えた。
「リヴェラがいなければ私は孤立し、目的も持たず虐殺皇帝の後を継いでいたかもしれません。ずっと、感謝していました。私はあの出会いをなかったことにしたくありません」
 アルヴィクトラはリヴェラの瞳を正面から見据えて、優しく微笑む。
「ここまで私を引きずり上げてくれたことにずっと感謝しています」
 リヴェラは一瞬目を見開くと、口を開きかけてすぐに黙り込んだ。アルヴィクトラは彼女が言いかけたことを引き継ぐように言葉を続ける。
「でも、後は私の問題です。皇帝としての、私の問題。あらゆる意思決定は私だけの権利でした。これは私が皇帝である限り、誰にも渡しません。リヴェラやディゴリーにさえも。この権利を侵害することは許しません」
 それから、残った肉を噛み切る。
 既に熱は失われていた。
 冷めて固くなったそれを口の中で転がす。
「……アル様」
 僅かに間を置いて、リヴェラが意を決したように口を開いた。
「一つ、訂正させてください。意思決定は皇帝の権利ですが、皇帝が独占すべきものではありません。特に、特定の一人とその権利を分け合うことができると定められています」
 アルヴィクトラはリヴェラの言葉の意味を理解することができず、じっと彼女の瞳を見つめた。
 彼女の赤い瞳には強い意志が宿り、炎のように深い色を纏っている。
「私は、それをずっと恐れていました。それはアル様が皇帝として在る限り、避けられぬこと。アル様を皇帝に導いたのは私自身であったにも関わらず、私はそれをずっと恐れていたのです」
 だから、とリヴェラは苦しそうに顔を歪めた。彼女のそんな表情を見るのは、初めてだった。
「だから、私は戦が続くことを心のどこかで望んでもいました。私はアル様の望む世界と反対の世界を望んでいたのです」
「リヴェラ? 話が見えません。一体何を――」
 困惑したアルヴィクトラが口を挟んだ時、リヴェラが大きく息を吸った。
「婚姻です」
 泉のどこかで、魚が跳ねる音が聞こえた。
「婚姻?」
 アルヴィクトラはゆっくりとリヴェラの言葉を反芻した。未だに彼女の言いたいことが理解できない。
「そうです。皇帝となったアル様は、必ず皇后を迎えることになります。皇帝としての権利を、いえ、全てを分け合う存在。その時が来るのを恐れ、混乱をもたらす戦が終わらないことを私は心のどこかで望み続けていました」
 皇后を迎えることを恐れていた?
 リヴェラが?
 何故?
 理解が追いつかない。
「アル様」
 リヴェラが立ち上がる。彼女の熱を持った瞳は真っ直ぐとアルヴィクトラへ注がれ、瞳と同様に燃えるように赤い長髪がふわりと眼前で舞う。
「ずっと、お慕い申し上げておりました」
 壊れ物を扱うように、そっと彼女の細い片腕が身体に巻きついた。一拍遅れて、抱きしめられたのだと気づき、彼女の言葉の真意を理解する。
 頭一つ身長が高いリヴェラはアルヴィクトラを包むようにそっと抱きしめ、それから小声でもう一度呟いた。
「狂おしいほどお慕い申し上げております」
 世界から音が消えた気がした。

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