偽悪皇帝アルヴィクトラ・ヴェーネ

月島しいる

09話 暗雲

「敵軍は完全に統率を失い、これで貴族連合の再起は不可能となりましょう」
 アルヴィクトラの眼前で、頭席騎士ディゴリー・ベイルが血に濡れた膝を折り、報告をあげる。
 アルヴィクトラは頷いて、ディゴリーの背後に並ぶ万の兵を見渡した。最前列の兵たちに緊張が走る。
「追撃を加えよ。反乱に加担した貴族は全て殺せ」
 抑揚のない声で、アルヴィクトラは虐殺の命令を下す。
 アルヴィクトラは、十三歳になっていた。
 父である虐殺皇帝が病に倒れ、帝位を継いだアルヴィクトラに対する有力貴族の反乱が起きていた。
 その鎮圧はディゴリーを中心とした帝国騎傑団によって速やかに行われ、後は残った残党を潰すだけとなっていた。
 アルヴィクトラはディゴリーの忠言に従い、徹底的な殺戮を繰り返していた。虐殺幼帝と呼ばれるようになったアルヴィクトラは、圧倒的な暴力によって有力貴族を押さえつけ、先帝の悪政の影で私腹を肥やしていた大臣、官僚、地方の有力者を次々と粛清していった。
 危機感を覚えた有力貴族たちは秘密裏に反皇帝の武力集団を形成し始めたが、有力貴族を排除する口実を待っていたディゴリーの諜報網に引っかかり、帝国騎傑団の上級団員が一斉に敵本部を強襲。更に帝国軍によって反乱に関与したと見られる地方の有力者たちが一斉に排除されることとなった。
 僅かに生き残った一部の有力貴族たちが体勢を立て直して対抗したが、帝国軍の前に為す術もなく敗走することとなった。
 アルヴィクトラが即位してから行ってきた虐殺は一定の指向性を持ち始め、帝国内に新たな秩序が現れ始めていた。腐敗しきった統治機構に流れていた血肉は入れ替わり、皇帝とその手足となる帝国騎傑団は恐れの象徴となった。
 騎傑団による貴族連合軍への追撃が開始されるなか、アルヴィクトラは後方へ戻り、全てが終わるのを待った。その傍には、護衛を務めるリヴェラ・ハイリングの姿がある。
「有力貴族の排除が終われば、ようやく本格的な改革に入ることが可能となりますね」
 リヴェラの言葉に、アルヴィクトラは静かに微笑んだ。周囲に人がいない今だけは、虐殺幼帝ではなくただのアルヴィクトラ・ヴェーネとして振舞うことができた。
「ここまで来るのに随分と時間がかかりました」
「アル様が即位されてからまだ二年です。腐敗しきった内部をここまで一掃できたのはむしろ短すぎるくらいです」
「抵抗勢力を一掃しただけです。まだ改革には手つかずのまま。私はまだ何も為し得ていない」
 アルヴィクトラはそう言って、リヴェラをじっと見つめた。
「リヴェラ。私は善き支配者ではありません。排除の口実を作るため、多くの無関係な命を失わせてしまった。だからこそ、ここで立ち止まるわけにはいきません。これからも力を貸してください」
「もちろんです。改革が進めば、アルヴィクトラの行いに対して多くの者が考えを改めるでしょう。これから、全てが始まるのです」
 リヴェラが深く頭を垂れる。その時、閉じていた扉が勢いよく開けられ、一人の男が室内に飛び込んできた。騎傑団の中で頭角を現し始めた若き魔剣士、バルト・リークだった。
「報告致します。市場を支配していた有力商人たちの一部が貴族連合への支援を開始。これを機に沈黙を貫いていた潜在的な抵抗勢力が一斉に起つと見られます。ベイル様の指示によって前線へ送っていた軍の一部を帝都の防衛へ回しております」
 視界の隅で、リヴェラの顔が強張るのが見えた。
 アルヴィクトラは虐殺幼帝の仮面を被り、バルト・リークに向かって冷徹に言い放つ。
「逆らう者は全て殺せ。内応の疑いが強い者も見せしめに殺し、広場に死体を並べよ」
 虐殺は、止まらない。
 改革への道は、まだ見えない。
 
◇◆◇

 世界は、血で溢れていた。
 全身を鮮血に染めた近衛兵がアルヴィクトラの前で報告する。
「死霊です。敵は死霊と契約し、死の力を行使しております。最早、ここを守ることは叶いません。どうかお下がりください」
 俄には信じがたい報告だった。
 死霊と一度契約すれば、その者は死後においても安寧を得る事が出来なくなると言われていた。
 その魂は穢れ、死霊に食われてしまう。
 その為、死霊との契約という禁忌を侵す者はアルヴィクトラが知る限り聞いたことがなかった。
「愚かな」
 アルヴィクトラに付き従っていた騎傑団の誰かが呆然と呟くのが耳に届いた。
「陛下、退避を」
 リヴェラがアルヴィクトラの腕を掴み、強引に拠点から連れ出そうとする。
 その時、アルヴィクトラは世界が歪むのを感じた。
 強い魔力の波が、空間を食い殺すように波打った。
 直後、壁を破って何者かが室内に飛び込んでくるのが見えた。
 人ならざるその動きを見て、死霊との契約者であることがすぐに理解できた。
「陛下!」
 親衛隊の魔剣士リズ・ウィークがアルヴィクトラを守るように前へ飛び出し、長いブロンドの髪が大きく乱れる。
「帝国騎傑団序列四位、リズ・ウィーク。司る魔力特性は"閃光"。いざ参る」
 彼女の宣言と同時に指向性を持った強烈な光が放たれ、死霊の契約者の視界が潰れる。その間に長剣を構えたリズが距離を詰めて斬りかかる。
 一対一の戦闘において、彼女の魔力特性は強い優位性を持っている。初見で彼女の魔力特性とその剣技から逃れることは難しい。
 故に、アルヴィクトラはリズの勝利を確信した。
 リズの長剣が襲撃者の肩に振り下ろされる。その瞬間、襲撃者の影から何かがぬうっと姿を現した。次の瞬間リズの長剣が止まり、彼女の身体が突然崩れ落ちた。
 何が起きたのか理解できなかった。
 リヴェラの叫び声。
「退け。契約者に触れるな。死の呪いを受けるぞ」
 その言葉を皮切りに、襲撃者がアルヴィクトラの元へ突撃してくる。一人の近衛兵が持っていた剣を投擲するが、襲撃者の横を通り過ぎていく。
「アル様!」
 リヴェラの悲鳴。
 彼女の指先から熱線が放たれるが、死霊の契約者は人ならざる不可思議な動きで攻撃を躱す。
 アルヴィクトラは立ち上がると同時に、支配者の魔力を解放した。アルヴィクトラの足元を中心に床が凍りつき、広間全体を覆うように領域を広げていく。
 その大規模な奇跡を前に、死霊の契約者は戸惑うように足を止めた。
 そこにリヴェラの熱線が煌き、その腕を消し飛ばす。
 死霊の契約者は悲鳴を上げることもなく、冷静に数歩下がり、荒い息を吐く。
 黒いフードに覆われているが、若い男のようだった。
 幾度も死霊魔術を行使したせいか、その瞳は尋常ならざる赤色に染まり、生を感じる事が出来なかった。
 吐き出す息は荒く、魔力の使いすぎによって足元は大きく震えている。
 互いの出方をうかがうような沈黙が落ちた。
 近衛兵たちがアルヴィクトラを守るようにゆっくりと動き、死霊の契約者は広間に集まる騎士たちの注意深く観察している。
 そして、状況が動いた。
 死霊の契約者の身体が、浮き上がった。
 はじめは何らかの魔力特性によるものかと思った。
 しかし、すぐに異変に気づく。
 宙に浮かぶ男の身体は、まるで何者かに吊り下げられているかのようだった。
 契約者の身体が、不自然な形に折れ曲がっていく。
 骨の折れる音が広間に木霊した。
 その場にいる誰もが、予測不能の事態を息を呑んで見守っていた。
 宙に浮いた男の身体は完全に二つに折られ、更に捻じ曲がっていく。
 驚愕と苦痛に顔を歪めた契約者の死に顔が見えた。
 眼球が浮き上がり、涙のように血が流れていく。
 そして、嫌な音を立てて死霊の契約者の胴体は真っ二つに千切られた。
 蛇のような腸が溢れ、血が滴る。
 そして、宙に浮いていた男の身体は力なく床に落ちた。
 この世のものざる咆哮が響き、のっぺりとした黒い何かが襲撃者の身体から抜けて宙に溶けていく。
 後には死体と静寂が落ちた。
 アルヴィクトラは虐殺幼帝の仮面を被る事も忘れ、縋るようにリヴェラを見た。
 リヴェラは深く息を吐き出し、目を閉じて告げた。
「これが恐らく、死霊と契約した者の最期なのでしょう」
 この二日後、前線で指揮をしていたディゴリー・ベイルから敗走の報せを受け、終わりに向かっていたはずの貴族連合との戦いを暗雲が覆い始めた。

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