偽悪皇帝アルヴィクトラ・ヴェーネ
07話 虐殺
巨大な木があった。
その木は他の木のどれよりも温かな太陽に近づこうと成長し、結果的に膨れ上がった質量によって潰れかかっていた。
自重によって幹は捻じれ、暗雲の下では死霊の化身のように見える。
その大木の下、捻じ曲がった幹の間にアルヴィクトラは身を置き、自らよりも大きいリヴェラの身体を抱え込んだ。
雨は止む気配を見せない。
濡れた衣類が、アルヴィクトラの熱を奪っていく。
そして、リヴェラの体力も。
「リヴェラ? 大丈夫ですか?」
腕の中で小刻みに震えるリヴェラに、アルヴィクトラは不安そうな視線を向けた。
「……寒い」
リヴェラの震える唇から、か弱い声が零れる。
彼女の額にそっと触れると、燃えるように熱かった。
そして、それはアルヴィクトラも同様だった。
創傷から大量の毒素が入っているのだろう。
加えて、魔力の使いすぎによる抵抗臓器の酷使。
休息が必要なのは、明らかだった。
ともに体力の限界が来ている。
アルヴィクトラはリヴェラを抱く腕にぎゅっと力を入れた。その瞬間、リヴェラがふっと微笑む。
「アル様の身体はとても温かい」
弱々しく呟いて、リヴェラの細い腕がアルヴィクトラの首に巻きつく。
雨に濡れたリヴェラの腕は冷たく、そして弱々しかった。身体が密着することによって濡れた衣類が肌に張り付き、ひんやりとした感触が全身に広がっていく。
ざー。ざー。
天から降り注ぐ雨は、衰える様子を見せない。
「アル様」
リヴェラの柔らかい瞳が、アルヴィクトラへ注がれる。その優しすぎる瞳を見て、アルヴィクトラはこれからリヴェラの口から放たれるであろう言葉を理解してしまった。
「私を置いていってください。これ以上は、荷物にしかなりません」
アルヴィクトラは正面からリヴェラの瞳を覗き込むと、怒気を孕ませて短く言った。
「もう一度同じことを言ったら怒ります」
リヴェラは困ったような、そして疲れたような表情を浮かべた。
「アル様。私は貴方の剣です。剣の為に、自らの身を危険に晒すことはなりません」
アルヴィクトラは反論することなく、自らよりも大きいリヴェラの身体を抱きしめたまま動かなかった。
ざー。ざー。
絶え間なく雨音が響く中、疲労感が眠気となって襲ってくる。
少しだけ。
リヴェラに身を寄せながら、目を瞑る。
そして、アルヴィクトラの意識はまどろみの中へ堕ちていく。
◇◆◇
「どうか、お許しを」
謁見の間に震える男の声が響く。
十二歳のアルヴィクトラは玉座から、目の前で跪く男を冷ややかに見つめていた。
「許す」
アルヴィクトラの口からゆったりとした、それでいて感情の篭らない声が響く。
「それは、余が怒っていることを示すものだ。余の感情を推定する権利を与えた覚えはない」
男が動揺したように顔をあげる。その瞳は、恐怖に染まっていた。
謁見の間に緊張が走るのがわかった。アルヴィクトラはそれを意識しながら、無言で右手をあげる。ゆっくりと、恐怖を与えるように。
「陛下、どうかお許しを。どうかお慈悲を」
声を無視して、アルヴィクトラの指先が男を捉える。
「楽にするがよい」
放たれた言葉を合図に、男の足元が凍りつく。
途端、謁見の間に男の悲鳴が響き渡った。
アルヴィクトラの魔力特性が男の下半身を徐々に凍結させていく。
凍りついた足。
徐々に凍結範囲を広げていく身体。
男は氷像に書き換えられていく自身の身体を見て恐怖に声を荒げる。
謝罪。罵声。懇願。
そして、誰かの名前を大事そうに呟いたのを最後に、その身を完全な氷像へと変える。
アルヴィクトラは残された氷の塊をぼんやりと見つめて、すぐに興味を失ったように腕を下ろした。途端、氷像に亀裂が走り、頭部から真っ二つに割れ、カランと甲高い男を立てて幾つもの氷の欠片が床に転がった。
沈黙。
謁見の間に、恐怖の色が広がっていく。
そして、アルヴィクトラは立ち上がった。酷く緩慢な動作だった。
かつん、と冷たい足音が響く。
謁見の間に居合わせていた者たちは皆一様に頭を下げ、アルヴィクトラが通り過ぎるのを待っている。
「ベイル」
謁見の間から出る直前、アルヴィクトラは側近の名前を短く呼んだ。すぐに控えていた頭席騎士ディゴリー・ベイルがアルヴィクトラの後につく。
ディゴリーを連れて巨大な扉をくぐった後、アルヴィクトラは素早く振り向いて震える声で言った。
「ディゴリー。私は後どれくらい、人を殺めればよいのですか」
そこに、先ほどの冷徹な皇帝の姿はなかった。まだ十二歳の少年は不釣合いな正装に身を包み、心細そうにディゴリーを見上げる。
「アルヴィクトラ様。貴方が虐殺皇帝の後継者であることが広く周知され始めています。これで貴方を利用しようとする者たちはいなくなった。後は徐々に虐殺の対象を腐敗した貴族たちへと向け、反逆の芽を摘みます。これで、貴方の基盤は安定をみる事になるでしょう」
ディゴリーは冷静に次の指示を出す。そこに躊躇いは見られない。
「アルヴィクトラ様。どうか冷徹であってください。貴族どもに隙を見せてはなりません。一時的な虐殺こそが、より多くの民を救うことになるのです」
アルヴィクトラは俯くと、自らの右手を見つめた。既に数え切れないほどの魂を凍結させ、砕いた右手を。
「アル様」
不意に、背後から柔らかいものに包まれる。
振り返ると、すぐそこにリヴェラがいた。
「私は貴方の剣でありたい、と考えています。荒事には私をお使いください。貴方の手を汚す必要はありません」
リヴェラはアルヴィクトラの肩越しに、耳元で囁く。労わるように、庇うように。そっと優しくリヴェラの腕がアルヴィクトラの未成熟な身体を包み込む。
「私が頭脳に」
アルヴィクトラの正面に立ったディゴリーが目線を合わせるように屈み込んで呟く。
「私が剣に」
リヴェラが小さな声で、確かな宣言を下す。
二人の大人は、兄と姉のようにアルヴィクトラの手を引き、背中を押してくれる。
兄と姉に導かれ、アルヴィクトラは血塗られた道を歩いていく。
そして、帝国中に虐殺幼帝の名が広まることとなった。
その木は他の木のどれよりも温かな太陽に近づこうと成長し、結果的に膨れ上がった質量によって潰れかかっていた。
自重によって幹は捻じれ、暗雲の下では死霊の化身のように見える。
その大木の下、捻じ曲がった幹の間にアルヴィクトラは身を置き、自らよりも大きいリヴェラの身体を抱え込んだ。
雨は止む気配を見せない。
濡れた衣類が、アルヴィクトラの熱を奪っていく。
そして、リヴェラの体力も。
「リヴェラ? 大丈夫ですか?」
腕の中で小刻みに震えるリヴェラに、アルヴィクトラは不安そうな視線を向けた。
「……寒い」
リヴェラの震える唇から、か弱い声が零れる。
彼女の額にそっと触れると、燃えるように熱かった。
そして、それはアルヴィクトラも同様だった。
創傷から大量の毒素が入っているのだろう。
加えて、魔力の使いすぎによる抵抗臓器の酷使。
休息が必要なのは、明らかだった。
ともに体力の限界が来ている。
アルヴィクトラはリヴェラを抱く腕にぎゅっと力を入れた。その瞬間、リヴェラがふっと微笑む。
「アル様の身体はとても温かい」
弱々しく呟いて、リヴェラの細い腕がアルヴィクトラの首に巻きつく。
雨に濡れたリヴェラの腕は冷たく、そして弱々しかった。身体が密着することによって濡れた衣類が肌に張り付き、ひんやりとした感触が全身に広がっていく。
ざー。ざー。
天から降り注ぐ雨は、衰える様子を見せない。
「アル様」
リヴェラの柔らかい瞳が、アルヴィクトラへ注がれる。その優しすぎる瞳を見て、アルヴィクトラはこれからリヴェラの口から放たれるであろう言葉を理解してしまった。
「私を置いていってください。これ以上は、荷物にしかなりません」
アルヴィクトラは正面からリヴェラの瞳を覗き込むと、怒気を孕ませて短く言った。
「もう一度同じことを言ったら怒ります」
リヴェラは困ったような、そして疲れたような表情を浮かべた。
「アル様。私は貴方の剣です。剣の為に、自らの身を危険に晒すことはなりません」
アルヴィクトラは反論することなく、自らよりも大きいリヴェラの身体を抱きしめたまま動かなかった。
ざー。ざー。
絶え間なく雨音が響く中、疲労感が眠気となって襲ってくる。
少しだけ。
リヴェラに身を寄せながら、目を瞑る。
そして、アルヴィクトラの意識はまどろみの中へ堕ちていく。
◇◆◇
「どうか、お許しを」
謁見の間に震える男の声が響く。
十二歳のアルヴィクトラは玉座から、目の前で跪く男を冷ややかに見つめていた。
「許す」
アルヴィクトラの口からゆったりとした、それでいて感情の篭らない声が響く。
「それは、余が怒っていることを示すものだ。余の感情を推定する権利を与えた覚えはない」
男が動揺したように顔をあげる。その瞳は、恐怖に染まっていた。
謁見の間に緊張が走るのがわかった。アルヴィクトラはそれを意識しながら、無言で右手をあげる。ゆっくりと、恐怖を与えるように。
「陛下、どうかお許しを。どうかお慈悲を」
声を無視して、アルヴィクトラの指先が男を捉える。
「楽にするがよい」
放たれた言葉を合図に、男の足元が凍りつく。
途端、謁見の間に男の悲鳴が響き渡った。
アルヴィクトラの魔力特性が男の下半身を徐々に凍結させていく。
凍りついた足。
徐々に凍結範囲を広げていく身体。
男は氷像に書き換えられていく自身の身体を見て恐怖に声を荒げる。
謝罪。罵声。懇願。
そして、誰かの名前を大事そうに呟いたのを最後に、その身を完全な氷像へと変える。
アルヴィクトラは残された氷の塊をぼんやりと見つめて、すぐに興味を失ったように腕を下ろした。途端、氷像に亀裂が走り、頭部から真っ二つに割れ、カランと甲高い男を立てて幾つもの氷の欠片が床に転がった。
沈黙。
謁見の間に、恐怖の色が広がっていく。
そして、アルヴィクトラは立ち上がった。酷く緩慢な動作だった。
かつん、と冷たい足音が響く。
謁見の間に居合わせていた者たちは皆一様に頭を下げ、アルヴィクトラが通り過ぎるのを待っている。
「ベイル」
謁見の間から出る直前、アルヴィクトラは側近の名前を短く呼んだ。すぐに控えていた頭席騎士ディゴリー・ベイルがアルヴィクトラの後につく。
ディゴリーを連れて巨大な扉をくぐった後、アルヴィクトラは素早く振り向いて震える声で言った。
「ディゴリー。私は後どれくらい、人を殺めればよいのですか」
そこに、先ほどの冷徹な皇帝の姿はなかった。まだ十二歳の少年は不釣合いな正装に身を包み、心細そうにディゴリーを見上げる。
「アルヴィクトラ様。貴方が虐殺皇帝の後継者であることが広く周知され始めています。これで貴方を利用しようとする者たちはいなくなった。後は徐々に虐殺の対象を腐敗した貴族たちへと向け、反逆の芽を摘みます。これで、貴方の基盤は安定をみる事になるでしょう」
ディゴリーは冷静に次の指示を出す。そこに躊躇いは見られない。
「アルヴィクトラ様。どうか冷徹であってください。貴族どもに隙を見せてはなりません。一時的な虐殺こそが、より多くの民を救うことになるのです」
アルヴィクトラは俯くと、自らの右手を見つめた。既に数え切れないほどの魂を凍結させ、砕いた右手を。
「アル様」
不意に、背後から柔らかいものに包まれる。
振り返ると、すぐそこにリヴェラがいた。
「私は貴方の剣でありたい、と考えています。荒事には私をお使いください。貴方の手を汚す必要はありません」
リヴェラはアルヴィクトラの肩越しに、耳元で囁く。労わるように、庇うように。そっと優しくリヴェラの腕がアルヴィクトラの未成熟な身体を包み込む。
「私が頭脳に」
アルヴィクトラの正面に立ったディゴリーが目線を合わせるように屈み込んで呟く。
「私が剣に」
リヴェラが小さな声で、確かな宣言を下す。
二人の大人は、兄と姉のようにアルヴィクトラの手を引き、背中を押してくれる。
兄と姉に導かれ、アルヴィクトラは血塗られた道を歩いていく。
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