偽悪皇帝アルヴィクトラ・ヴェーネ

月島しいる

03話 遭遇

 リヴェラが頭上を見上げ、星の位置を確認する。
 アルヴィクトラはリヴェラに支えられながら、その横顔をじっと見つめた。月光に照らされた彼女の横顔は、どこか残酷な印象を受けるほど綺麗だった。
「星の導きを受けるのは、魔術師として生きていく上で一つの到達点となる、と恩師が言っていました」
 不意に、リヴェラが懐かしむように口を開いた。
「導き、ですか?」
「そうです。高位の魔術師たちは、天体の動向から導きを受けます。我々はその運命に流されるだけの、矮小な存在でしかありません」
「リヴェラも、運命を覗く事ができるのですか?」
 リヴェラ・ハイリングは間違いなく高位の魔術師だ。その才覚は他の追随を許さない。
 だから、アルヴィクトラは何気なく尋ねたのだった。
 リヴェラの視線が頭上の天体からアルヴィクトラへゆっくりと移動する。赤い瞳の奥で、何かが蠢くのがわかった。
「もちろんです」
 彼女の唇から静かに紡ぎだされた言葉は、どこか空虚なものだった。
 何故かそれ以上奥へ踏み込んではいけない気がして、アルヴィクトラは口を噤んだ。
 草木を踏み鳴らす音が、闇夜に響く。
 リヴェラは元々、静かな性格をしている。アルヴィクトラも喧騒を嫌うところがあり、彼女との間に落ちる沈黙は昔から嫌いではなかった。むしろ、その沈黙を心地よく感じていた。
 ただ、今は無言でいると周囲の暗闇に呑み込まれてしまいそうな気がして、アルヴィクトラはずっと気になっていたことを尋ねた。
「どうやって、帝都の包囲網を脱出したのですか?」
「ディゴリーたちが協力してくれました」
 ディゴリー・ベイル。
 帝国騎傑団序列三位にして、騎傑団一の怪力を誇る武芸者だった。
「彼は、貴方を信奉していた。たった一人で数多の追手を切り捨てていきました。そして最後には追手を食い止める為にその場に残ることを選びました」
 アルヴィクトラは、一人の寡黙な大男の不器用な笑顔を思い出し、それから目を瞑った。
 かつては兄のように慕っていた。その愚直な在り方に、憧れた。
 あの背中を見ることが二度と叶わないことを知ると、胸から熱いものが込み上げ、アルヴィクトラはリヴェラから視線を背けた。
「死は嘆くべきものではありません。彼の魂は彼の意思によって遂行された。彼は、祝福を受けた」
 リヴェラが淡々と言う。
 リヴェラ・ハイリングとしての言葉ではなく、高位の魔術師としての言葉だった。
「祝福……」
 納得できず、反芻する。
 それを掻き消すように、獣の雄叫びが轟いた。
 至るところから獣の叫び声が飛び交う。威嚇するような鳴き声だった。
 リヴェラが足を止め、周囲を警戒するように見渡す。
 アルヴィクトラもそれに倣い、周囲に目を配らせた。
 獣の雄叫びは止まない。しかしヴェガが襲いかかってくる様子もない。
 アルヴィクトラは荒い息を繰り返しながら、一歩後ろに下がった。
 暗闇をヴェガの咆哮が支配する。
「これは……」
 次々と吠えたてるヴェガに、リヴェラが顔を強張らせる。
 嫌な予感がした。
 腰を落とし、リヴェラと寄り添うようにして戦闘態勢をとる。
「グルです」
 リヴェラが呟く。
 直後、木々の間から巨大な影がぬうっと現れた。
 血の気が引いていくのがわかった。
 どっと嫌な汗が噴き出る。
 木々の間から現れた巨体を、月光が照らし出す。
 アルヴィクトラの二倍はある体躯。折れ曲がった背中。ぶらりと垂れ下がった太く長い腕。人と獣の中間のような顔。知性の欠片を宿した獰猛な双眸。
 ヴェガの咆哮が一段と高まる中、アルヴィクトラは思わず後ろに下がった。
 グル。
 猿のような巨人だ。
 その巨体に似合わず、四足歩行での脅威的な走行速度を誇る上、その特殊な骨構造と発達した筋肉によって二足で立つこともできる。軽々と木に登り、獲物を待ち伏せする習性もあり、武芸に秀でた者でも一人でグルを相手取ることは難しいと言われている。
 そのグルが、今、木々の間から姿を現していた。
 微かに知性を感じさせる双眸が、アルヴィクトラとリヴェラを見下ろしていた。
 二本脚で立っていたグルが、ゆっくりと前傾姿勢をとり、前足を地面に沈めていく。
「来ます」
 リヴェラの叫び声を合図に、グルが恐るべき速度で距離を詰めてくる。
 同時にリヴェラが右腕を前方に突き出し、熱線を放った。熱線は真っすぐとグルの巨体へ吸い込まれていく。
 鮮血が舞った。
 アルヴィクトラは確かに熱線がグルの腹部を貫くのを見た。
 しかし、グルの突進は止まらない。
 何事もなかったように巨体が迫る。
 アルヴィクトラは考えるより先に、両腕を前方に突き出した。そして、術式を展開する。
 魔力特性により、グルの後ろ足が凍りついた。
 しかし、グルは止まらない。
 崩れそうになった体勢を持ち直し、勢いに任せてそのまま突っ込んでくる。
 次の対抗策を考えるより先に、アルヴィクトラは横から衝撃を受けた。一拍遅れて、リヴェラに突き飛ばされたのだと理解する。
 回転する視界の中、すぐそばまで迫ったグルが前のめりに態勢を崩しながら、太い前足をリヴェラに向けて振り回すのが見えた。リヴェラが身体を庇おうと、左腕を差し出す。
 ヴェガたちの合唱が続く中、木が折れるような乾いた音が木霊した。

「偽悪皇帝アルヴィクトラ・ヴェーネ」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く