偽悪皇帝アルヴィクトラ・ヴェーネ

月島しいる

01話 内応

「我が名はアルヴィクトラ・ヴェーネ。虐殺皇帝の血を引く唯一の者である」
 広間にまだ幼い皇帝の声が響いた。
 それまで熱線と剣戟が煌めいていた広間は一瞬で静まり返り、声の主であるまだ十四歳の皇帝に視線が集まる。
 皇帝アルヴィクトラは悪意の満ちた視線に怯む事なく、その端正な顔を壮絶な笑みで歪めた。
「余の血が欲しいなら、求めるがいい。そして、無駄と知れ。我が魔剣はお前達のくだらない理想を食い尽くし、その血肉とするだろう」
 アルヴィクトラはゆっくりと広間の中央に進み、禍々しい装飾が施された長剣を構えた。
「求めよ。そして、奪うがよい。欲しよ。そして足掻くがよい。虐殺皇帝の後継者、このアルヴィクトラ・ヴェーネが司る魔力特性は"絶念の檻"。全ての望みを切り捨て、無に還す特性。さあ、絶望に身を沈めるがよい」
 咆哮があがった。
 広間に集まっていた騎士たちは、それぞれの武器を構えてアルヴィクトラのもとへ殺到する。
 それを阻止しようと、別の騎士たちがアルヴィクトラの前に広がり守ろうとする。
 クーデターだった。
 その兆しは、前々からあった。
 先帝の悪政に、国は疲弊していた。崩壊は時間の問題だった。
 頭席の騎士に二心の動きが見られた時から、アルヴィクトラは自身の中に流れる血が絶える必要を知った。
 運命に逆らえば、大きな派閥闘争に繋がる事は易々と予想できた。そして、この機に国を割れば増長する隣国に呑み込まれることも予想できた。だからアルヴィクトラはより強い悪を演じる事を選択した。それが、この結果だった。
 アルヴィクトラは、邪悪を演じる。宝剣を魔剣と偽り、邪悪な仮面を浮かべる。
 国力を落とすつもりは、ない。最後まで付き従ってくれた部下たちには適当なところで退くように命じている。そして、アルヴィクトラ・ヴェーネは壮大な死を迎えるのだ。
 悪くない。
 アルヴィクトラは宝剣を構え、大きく息を吸った。死の香りがした。
 殺到する騎士たちの間に、閃光が煌めく。吹き飛んだ護衛の向こうから一人の男が突っ込んでくる。
 帝国騎傑団序列二位、バルト・リーク。
 国内でも屈指の魔剣士であり、今回のクーデターの中心人物。
「その首、貰うぞ!」
 バルトの突撃を防ごうと、護衛が動く。バルトはそれを軽々と抜き去ると、アルヴィクトラのもとへ肉薄した。
 アルヴィクトラは、嗤った。
 この男には、理想を実現するだけの力がある。権力に擦りよってくる者たちを叩き伏せるだけの力がある。帝国は彼の者によって完成されるだろう。
「後を、頼みます」
 小声で囁くと、バルトは確かに頷いた。
 そして、その切っ先がアルヴィクトラの胸元へと吸い込まれていく。
「陛下!」
 女の悲鳴。
 同時に、轟音と閃光が世界を支配する。
 アルヴィクトラの胸元へ突き刺さるはずだったバルトの剣先がずれ、腹部を掠める。アルヴィクトは閃光の中、横から衝撃によって無様に吹き飛んだ。
「陛下! 陛下!」
 倒れ伏したアルヴィクトラのもとへ、黒衣を纏った女が駆け寄ってくる。
 帝国騎傑団序列一位にして、頭席魔術師であるリヴェラ・ハイリングだった。
 彼女の魔術で助かったことを理解すると同時に、その魔術の衝撃によって意識が朦朧とした。
「陛下。どうか、お許しください。貴方には生きて頂きます」
 最後に、そんな言葉が耳に届いた。

◆◇◆

 荒い息が、聞こえた。
 そして、心地良い振動。
 誰かに背負われているのだと、朧げに理解できた。
「誰、ですか?」
 自分でも驚くほど掠れた声が口から零れた。
「リヴェラです。アル様、怪我に触ります。喋らないでください」
 アルヴィクトラは混濁する思考の中、問いかけた。
「私は、生きているのですか?」
「生きています。これからも、生きて頂きます」
「生きている……」
 呟いて、アルヴィクトラは薄く目を開けた。
 暗闇。
 そして、広がる木々。
 山の中のようだった。
「どこへ行くつもりですか?」
「わかりません。追手を振り切るまでです」
 リヴェラが荒い息を吐きながら、淡々と答える。
「リヴェラ。言ったはずです。私の中を巡る血が、生贄として必要なのです」
「高度な政治的判断というものが、私には理解できません。アル様が生贄になったとして、帝国にどういった益があるのですか。既に抵抗勢力は削ぎました。これからようやく改革に取り掛かる事が出来るはずでした。なのに、これ以上多くの血を流す事にどのような意味があるのですか」
「そうすれば、民は納得します」
「私は、納得できません。アル様、貴方に付き従っていた人は、誰一人納得できていません。貴方は世界を善き方向へ導く事ができる人です。少なくとも、私はそう信じています」
 だから、とリヴェラは言葉を続けた。
「だから、生きてください。生きて、光となり、私を導いてください」
 そして、暗闇にリヴェラの荒い息が響く。
 アルヴィクトラは、何も言わなかった。

◆◇◆

 気付けば、木陰で横になっていた。いつの間にか、意識を失っていたらしい。
 辺りは既に明るくなっていた。
 身を起こすと、腹部に激痛が走った。目をやると、血の痕があった。バルトの剣を腹部に受けたことを思い出す。リヴェラが魔術を行使したようで既に血は止まっていたが、傷ついた肉は元に戻らない。当分、まともに動けそうになかった。
 アルヴィクトラは呻き声をあげながら、周囲を見渡した。
 どこまでも深い緑が広がっている。酷く、静かだった。リヴェラの姿が見当たらない。
 アルヴィクトラは額に嫌な汗を浮かべながら、身体を丸めて楽な姿勢をとった。腹部が熱を持っていて、じわじわと痛んだ。
 どれほどの間、そうやって痛みに耐えていたのかわからない。
 太陽が真上にのぼった時、草木を踏み鳴らす音が聞こえた。顔をあげると、リヴェラが草木の間から戻ってくるところだった。その手には、血が抜かれた小動物の死体が握られていた。
「目を覚ましたのですね。食欲はありますか?」
「……ない、と言えば嘘になります」
 アルヴィクトラの言葉にリヴェラは薄い微笑みを浮かべ、それから解体を始めた。アルヴィクトラは樹の幹に背中を預けながら、それをぼんやりと眺めた。予想以上に体力が落ちているようで、自由に身動きをとることができなかった。
「ここは、静かです」
 解体を続けながら、リヴェラがぽつりと呟く。
「政治などという、わけのわからないものはありません」
 アルヴィクトラはリヴェラをじっと見つめた。
「その政治の中心である私が、嫌いですか?」
「アル様を中心にまで巻き込むから、政治が嫌いなのです」
 ナイフが振り下ろされ、肉が真っ二つになる。
 どこか憎悪の籠った言葉だった。
 アルヴィクトラは何も言わず、解体された肉塊を見つめた。既に生命の名残は消え去り、別の何かになってしまっている。今の私のようだ、と思った。
 リヴェラが火をつけ、肉を焼き始める。香ばしい匂いが、辺りに漂い始めた。
 アルヴィクトラは周囲を警戒するように見渡した。肉食の獣が匂いに釣られてやってくる可能性がある。
 そこで、気づく。
 自分が生きようとしていることに。
 アルヴィクトラは苦笑して、それから泣きたくなった。
 死にたいはずがなかった。
 先帝が、父が病に倒れる前から内部の掌握に努めてきた。当たり前のように生きて、帝国内の平定に尽力するつもりだった。それがいつか、当たり前のように死ぬ事が定めとなり、アルヴィクトラは生贄としての責を全うする為に尽力することとなった。
「アル様?」
 リヴェラの心配する声。
 顔をあげると、焼けた肉を差し出すリヴェラの姿があった。
「食べて下さい。食欲がなくても、です。それと、これを」
 肉と一緒に、三本の枝が差しだされる。
 キートの枝だった。
 中に大量の水分が蓄えられている事から、旅人がよく利用する植物だ。
 アルヴィクトラはすぐに枝を折り、それを口に含んだ。喉の渇きが癒えていく。
「食事を終えたら、すぐに移動しましょう。暗くなるまでに出来るだけ距離を稼ぐ必要があります」
「わかりました」
 頷いて、肉を噛み切る。
 何の味付けもないただの肉を、美味しいと感じたのは初めてのことだった。

◆◇◆

 リヴェラが荒い息を吐く。
 その背中に担がれたアルヴィクトラは唇を噛んだ。
「リヴェラ、少しくらいなら私も歩けます。下ろしてください」
「少しでも距離を稼ぐ必要があります。ここはまだ危険です」
 リヴェラはそう言って、黙々と険しい山の中を歩き続ける。リヴェラが比較的長身の成人女性で、アルヴィクトラが十四歳の小柄な少年であることを考えても、大きな負担となっていることは間違いない。
「アル様には、生きて頂きます。ただ、生きて下さい。貴方は、もう自由です」
 リヴェラは前を真っすぐと見据えて、言う。その声には、力強い意志が宿っていた。
「先帝の血も、政治的束縛も、高貴なる責任も、全て――」
 そこで、リヴェラは言葉を切った。そして、歩みを止める。
「ヴェガの群れに取り囲まれているようです」
 アルヴィクトラは急いで周囲を見渡した。草木の向こうに複数の気配が感じられた。
「リヴェラ、下ろしてください。私も戦います」
 急いでリヴェラの背中から降りようとする。
 しかし、リヴェラは動じる様子もなく、再び歩き始めた。
「ヴェガが本領を発揮するのは、夜間です。日が高いうちに行動を起こす事はないでしょう。今は一刻も、距離を稼ぐべきです。ヴェガの相手をするのは、向こうが動いてからで構いません」
 そう言って、リヴェラは歩き続ける。それに合わせて、周囲を包囲する獣の気配も移動を続ける。
 アルヴィクトラは落ちつかない様子で周囲を見つめた。
「夜間にヴェガの群れを二人で相手どるのは、危険ではありませんか?」
「危険です。ですが、今は距離を稼ぐべきです。騎傑団の上位グループに遭遇すれば、私一人では何もできません。最も注意すべきは、騎傑団の追手です」
 そこで、アルヴィクトラは今更のように気づく。
 リヴェラが騎傑団序列一位の英傑であることに。
 頭席魔術師の彼女がそこまで追手を恐れるのは、かつての同胞の実力を嫌というほど理解しているからだろう。
 ヴェガの群れなど、騎傑団の前には警戒するに値しない些事でしかない。
「日が落ちてからが勝負です。アル様、それまでに体力を出来るだけ回復させてください」
 アルヴィクトラはゴクリと喉を鳴らした。死が、迫っていた。

 日が沈むと、それまで遠巻きに包囲網を形成していたヴェガの群れが露骨に距離を詰めてきた。
 草木の奥から大型の犬のような姿が見えるようになり、定期的に鳴き声が聞こえるようになった。
 リヴェラが無言でアルヴィクトラを背中から下ろし、周囲の獣の居場所を探るように警戒態勢をとる。
 暗闇の中、アルヴィクトラは近くの木によりかかって荒い息を繰り返した。傷口が燃え上がるような熱を持っていた。
「アル様、走れますか?」
「短い距離なら」
 リヴェラが腰を落とし、右腕をすうっと掲げる。
「帝国騎傑団序列一位、リヴェラ・ハイリング。司る魔力特性は"貫通"。参ります」
 名乗りと同時に、彼女の右腕から血のように赤い熱線が放たれる。
 それは暗闇の中、草木を貫いて直進し、草叢の奥に潜んでいた獣を撃ち抜いた。
 木々が、ざわめいた。
 至る所から獣の咆哮が轟き、幾つもの影が暗闇に走る。
「アル様、走って下さい!」
 リヴェラが叫ぶ。
 アルヴィクトラは痛む腹部を抑えながら駆け出した。背後から三頭のヴェガが飛び出し、リヴェラがそれを迎え撃つ。
 ヴェガは四本足の獣だ。体胴長は人の身長を越えるほどの巨体で、鋭い牙と爪を持ち集団で狩りを行う事から、帝都を行き来する行商にとって驚異的な存在として知られていた。
 アルヴィクトラは息を荒げながら走る。
 背後でリヴェラが次々と熱線を放ち、暗闇が赤く染まった。
 獣の雄叫びが途絶えることなく響く。
 群れを統率する個体が狩りの指示を出しているのだろう。
 前方の木陰から、一頭のヴェガが飛び出す。大きく開いた顎から鋭い牙が伸びているのがはっきりと見える距離だった。
 アルヴィクトラは咄嗟に横方向へ身を投げ出した。柔らかい土が、アルヴィクトラの身体を包み込む。
「アル様!」
 リヴェラの悲鳴。
 一撃目を外したヴェガが、方向を変えて再突撃してくるところだった。
 反射的に右腕をあげ、魔力を放出する。
 放出した魔力の一部が汚染されて体内に蓄積する事を示すように、軽い耳鳴りがした。体内に蓄積された魔力の代償に、飛びかかってきた獣の口元が凍りつき、その牙を封じ込める。直後、その獣の身体を熱線が貫いた。
「アル様! 無事ですか!」
 四方に熱線を放ちながら、リヴェラが叫ぶ。
 アルヴィクトラは急いで身を起こし、周囲の状況を確認した。
 ヴェガの群れが引き上げていくところだった。
「アル様! お怪我は?」
 リヴェラがアルの元へ駆け寄り、手を差し出す。
 アルヴィクトラはその手をとって、痛む腹部を抑えた。
「ヴェガは、狩りを諦めたのでしょうか?」
「いえ、様子をうかがっているだけです。今も包囲網を崩していません。定期的に襲撃を繰り返し、心身の疲労が限界を迎えたところで仕留めるつもりでしょう。ヴェガは執念深い獣です。警戒を怠ってはなりません」
 リヴェラが忠告しながら周囲に目を向ける。闇夜の中、ヴェガの姿はどこにも見当たらなかった。
「行きましょう」
 リヴェラが歩き出す。アルヴィクトラも無言で頷いて、その後に続いた。
 長い夜が、始まった。

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