隻眼の現人神《隻眼のリビングゴッド》

有江えりあ

病魔の冥界神



ヴィンセントは、薄暗く、乾燥した空気が充満した奇妙な洞窟に一人佇んでいた。


光のない世界に瞳は次第に慣れてゆくと、辺りには巨大な生物の牙を象ったような気味の悪い鍾乳洞と、目の前を流れる濁った大河が姿を現した。


ここが地獄か。
主に嘘を付き、犬死いぬじにした惨めな男に相応しい場所だな。


ヴィンセントは自嘲気味に笑うと、その場に座り込んで大河を見つめる。


しばらく身動きもせず川の流れを見つめていると、背後からコツコツと何かの迫ってくる足音が聞こえ、自らの真後ろで足音が止まると、ポンと肩を叩かれる。


「よお兄さん。 死んじまったのかい?」


カラスの羽のような純黒のローブに身を包んだ何者かに声をかけられ、ヴィンセントは顔だけ振り向く。
フードを深く被っており、顔が見えなかったため、声だけで判断するなら男だろうか。


「ええ、未練だらけだったので亡霊にでもなって現世にとどまれると思っていたのですが、生憎と地獄に来てしまいました」


「はは、おもしれえ兄さんだな。 よかったらその未練ってやつ、聞かせてもらえねぇかい?」


男は、ヴィンセントの隣に腰掛け、川の遥か先を見据える。


「俺、10年前まで生きていたか死んでいたかわからないような感じだったんですよ。 


毎日毎日、ゴミを漁って生活して、なんの目的もなくただただ暮らしてて、本当にあの時はいつ死んでも後悔なんてなかったと思います。


でも、そんな俺に命を与えてくれた恩人に出会うことが出来ました。


当時の俺と同じ歳の少女は、俺に人間としての人生と名前、そして生きる目的をくれました。


そんな俺の主が窮地に立たされている時に、俺は嘘を付いたんですよ。 必ず生きて戻ると」




虚空を見上げて遠い目をしたヴィンセントを見つめながら、黒のローブに身を包んだ男は、懐から葉巻を取り出して火を付けると、深く呼吸をし、吐き出された紫煙は暗闇に紛れて消えていく。


「兄さん、あんたは俺とそっくりだねぇ。 俺も似たような事でここにいるんだ。 よかったら俺の話も聞いてみてくれねえかい? 」


「ええ、ここでお会いしたのも何かの御縁ですし、是非お聞きしたいです」


男は、「ありがとよ」と呟くと、再び紫煙を吐き出し、口を開いた。


「昔の俺は手のつけようがない悪者でよ。 
色んな所に攻め入っては破壊の限りを尽くして滅ぼし、色んな宝を奪ってきた。 まあ、特に理由もなかったんだがねぇ。 
今思えば俺自身を満たしてくれる何かを探してたんだろうねぇ。 そんな感じで片っ端から攻めてったんだが、ある時な、薄暗くて小汚い、何も得るものなんてないような国に攻め入ったんだ。 
完全に悪ふざけだねぇ。 ただな、その何もない国を俺は滅ぼしきれなかったんだ。正確に言えば滅ぼせたんだろうけど、そうしなかった。なんでか、わかるかい?」


「皆目検討つきません。 どうしてなのですか?」


男は、短くなった葉巻を地面に押し付け、川の中へ放り投げた後、懐から2本目の葉巻を取り出して火を付けると、ちらりと見えた口元の口角を上げて、続けた。


「見つけちまったんだよ。 俺を満たしてくれる何かを、な。 
そいつは、その小汚ねぇ世界には勿体無いくらいの美人でなあ。 当時の俺はその姿を見るや否や無理矢理組み敷いて犯しちまった。 いやぁ我ながら極悪非道だねぇ。
でな、さすがにやらかしちまったなあと思った俺は自国に逃げるように帰って行ったんだ。 
その3日後くらいかねぇ。
その女は俺の国まで追いかけてきて、俺の目の前に現れたんだ。
まあ、そりゃ殺したくもなるよねぇ。
強姦された男に恨みを抱くのも当然さ。でもな、その女は俺の足に縋り付いてこう言ったんだ。
『私は貴方を愛してしまいました。妻にして欲しい』てな。ぶっ飛んでんだろ?」


「ふふ、貴方も、その女性もどっちもですね」
ヴィンセントは少し笑いながらフードの男に相づちを打つ。


「それで、その女性と貴方は結ばれたのですか?」


「あぁ。 それからは本当に満たされてたよ。
嫁は特別な事がない限り国から出れねえから俺が向こうで暮らす事になったんだ。 宝も、美味いもんも何もねえそんな国だったが、あいつはそれを退屈に感じることもさせねぇくらいに俺を愛してくれた。生まれ変わった気分だったよ、何をしても、何を手に入れても満たされなかった俺が、あいつの笑顔を見るだけで、手を重ねるだけで嘘みたいに満たされてたんだ。 だが、そんな嫁を俺は守ってやれなかった」


葉巻に付いた火は、男の顔を照らす。
表情はフードによって隠れていたが、顔が濡れていた事だけは見て取れた。


「奥様と貴方に、なにがあったというのですか?」


話に聞き入っていたヴィンセントは、フードの男に身体ごと向き直り、尋ねた。


「あいつに外の世界をもっと見せてやりたかったんだ。 だから、俺が留守番してやるから出かけて来いって送り出した翌日のことだ。 戦争が始まったんだよ。 俺は何もかもを放り出して、一生懸命に走ったよ。 だが、手遅れだった。 嫁は戦争に巻き込まれ、既にこの世界に存在していなかった。
そして俺もこのザマって訳さ」


身体を震わせながら、俯いた男は地面に拳を叩きつける。
自らの姿を目の前の男に重ね、ヴィンセントの目からも清水が溢れる。


「なぁ、兄さん。 一つ頼まれてくれねえかい? もし聞き届けてくれるんなら、代わりに兄さんをここから出してやる。 悪い話じゃねえだろ?」


男は立ち上がり、ヴィンセントの肩を叩く。
肩を叩かれたヴィンセントも立ち上がり、男に向かって口を開く。


「それは、私に再び命を与えてくださる、そういう意味で捉えて良いのですか?」


「ああ、兄さんのご主人との約束を果たさせてやる」


大きく頷いた男に、ヴィンセントは心底嬉しそうに一礼すると問いかける。


「わかりました。 その望みをお聞かせください」


男は、手を前にだし、ヴィンセントの瞳を見据え、口を開く。


「もし、嫁を見つける事ができたら、あいつの好きにさせてやってくれ。そして願わくば、あいつを見守って欲しい。 産まれた時から自由を奪われてた可哀想な奴なんだ。 だから、せめて少しでも自由を謳歌させてやって欲しい」


ヴィンセントはコクと頷くと、差し出された手を強く握った。


「わかりました。 もしよろしければ貴方の名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


「そうだねぇ、ナムタルって名乗っておくよ。 もし、嫁と会う事が出来たら、俺の名はナムタルだと、そう伝えてくれ」


男もヴィンセントに負けず劣らず、手を強く握ると、続ける。


「じゃあ、いくぜ。  武力と病魔を司る冥界神、_____ が兄さんに力を託す。 頼んだぜ、兄さん」




辺りを覆った光の眩しさに、ヴィンセントは気を失うと、再び目を覚ました彼の視界に飛び込んできたのは、見慣れた屋敷の風景だった。


ヴィンセントは、自分の身体を触り、生きている事を確認すると、ティナを残してきた部屋へと駆け出した。


______________


俺が戻った時にはティナ様はおそらく一度死に、心が壊れていた。


快活で、常に明るく笑みを浮かべていたティナ様の姿は無く、男達の亡骸の真ん中で、虚ろな目で宙を見つめて女神と会話をし、黒のドレスを身に纏って座り込んでいた。


俺の取った行動は無意味だった上に、ティナ様を孤独にした事で、身体だけではなく心までも壊してしまった。


そして今、また同じ事を繰り返そうとしている。
俺は本当に不忠者だよ。


ヴィンセントの意識が完全に途絶えようとしていたその時だった。
頭の中に声が響く。


『兄さん、あんたは本当によくやってくれた。 嫁の我儘に付き合ってくれてありがとな。 だからよ、今度は俺があんたの願いを叶えてやる。 少しだけ、身体を借りるぜ?』



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