隻眼の現人神《隻眼のリビングゴッド》

有江えりあ

動き出す冥府

「ええ、何の変哲もないただのロウソクです」
ハトホルは、皿を食器棚から取り出し、テーブルの上に置くと、その上に立てる。


「今が14時半…ですね。 では、今からこのロウソクに火をつけますので、夕食の時間までの間、このロウソクが溶けきってしまわないように火を調節してください」


「待て、こんなの普通に3分もあれば溶けるだろ…物理的に無理だ…」


「ええ、物理的には無理ですね。 ですが、貴方には権能があります。 先ほども言った通り、ホルスの権能は火を操る事に関しては神々の中では一二を争うほどの物、それくらいの時間であれば、可能でしょう 」


ハトホルは少し厳しい口調で、隼人に向かって口を開くと、手に持っていたライターでロウソクに火をつける。


「まあ後3本ありますので、今回はこれを全て使って夕食まで保てば良しとします。 ちなみにホルスは、こういう細かいことは心底嫌いなので確実に手は貸しません。なので、これが出来るようになれば、それは貴方だけの成果です」


「……上等じゃねえか! この一本だけで保たせてやるから見てやがれ!!」
額に汗を浮かべ隼人は、ロウソクに手をかざすと、勢いが少し弱まるが、すぐに元の火力へと戻る。


「難しいな」
隼人は頭を掻きながら呟くと、再度手をかざす。


ハトホルは、目の前の少年と、神としてまだ未熟だった頃の夫の姿が重なり、どこか懐かしい気持ちになりながら、惚けていたが、隼人の声に呼び戻される。


「…新しいのをくれよ。 あとコツとかあったら教えてくれ」


「そうですねえ… 言葉にすると難しいですが、炎に命じて操ろうとするのではなく、炎を、自分の身体の一部と思って動かす、といったところですかね」


ハトホルは新しいロウソクを再び皿に立てると、手に持ったライターはカチっと音を立てて、芯に火を灯す。


「なあ、ホルスの奴はこれをどれくらいキープ出来たんだ?」
隼人は再び手をかざしながら問う。


「大体一晩くらいでしたかねぇ…… 彼はそれでも余裕そうでしたが」


まあ、ホントは30分も出来ずに断念していましたがね… ホルスはどっちかというと、透さんタイプの拳で語る系男子でしたし…


マジかよ、と掠れ声で言う隼人を一瞥し、ハトホルは脳内で呟くと、クスリと笑った。


「すみません、私は少し汗をかいてしまいましたので、湯浴みをしてきます。 ロウソク、ここに置いておきますね」


ハトホルはテーブルに残り二本になったロウソクを置き、ジージャンを脱いでハンガーにかけると、浴室の方へと消えていった。


隼人はハトホルの後ろ姿を見送ると、両掌で自らの頰を叩き、喝をいれる。
 

「身体の一部、だな」
独り言を呟き、隼人は、小さく煙を吐く灯火を、ジッと見つめて思案し始める。


そうは言っても、どうすればいいんだ?
とりあえず、身体に触れてた方がやりやすそうな気がするし、触って見るか。


隼人はロウソクの火に、右手の指先で触れる。
分かっていた事ではあったが、触れた時に熱も感じなければ火傷もしない事に改めて驚くと、隼人は自分に言い聞かせ始める。


この火は俺の身体の一部だ。
俺はこのロウソクを溶かしたくない。俺の身体なら言う事を聞いてくれ。


隼人の指先に触れた炎は、わずかな時間、消える寸前の状態を保つことができたが、すぐに元の火の大きさに戻った。


一瞬とはいえ、自分の思った通りに火が動いた事に、隼人は歓喜の声を上げる。


「よし!! これならいけそうだ!!」




「ふふふ、がんばってるみたいですね」
浴室まで響いた隼人の声に応えるように、白泡の浮いた浴槽に浸かったハトホルは笑みを浮かべた。




__________




「ヴィンセント……ここ……」


時刻は15:20。


夜のとばりその物の様な純黒のドレスにかかる、星の瞬きを思わせるが如く輝くブロンドの髪をサラサラと流しながら、女は荒れ果てた廃寺を指差した。


「なるほど。 実に心地の良い場所ですね。そしてなぜか懐かしさを感じてしまいました」


まるで、喪服のような、漆黒のスーツを身に付けた男、ヴィンセントは、主人の言葉に応えると、ポケットから新緑に輝く宝石を取り出すと、女に対して跪き、宝石を差し出す。


「ティナ様、【神核】ではありますが、力が弱いようです。 おそらく開けるのは2つ目までかと。」


「うん……だから、……沢山殺す。  沢山……殺したら……7つ、開くと思う」


「であれば私が出向きましょう。 3日もあればこの街の生命、全て奪う事も可能かと」


ティナは少し機嫌を損ねたように、顔をしかめると口を開く。


「ヴィンセント……アルラ、また怒ってる。 私が……やった、方が……早い、って」


ヴィンセントは顔を伏せ、頭を垂れる。


「ティナ様、どうか無礼をお許しくださいませ。 しかし、この街には現人神リビングゴッドと思わしき気配が多数存在しております。 御身にもしも何かございましたら、私は……」


「大丈夫…… アルラ……貸して、くれるって」


ティナは、ヴィンセントの手から【神核】を受け取ると、屈んで両掌を地面につく。


ティナの両掌を中心に、紫に光り輝く古代文字が円系に羅列される。 完成した魔法陣から手を離すと、地の底から、金色に輝く棺が浮かび上がってきた。


「…… 神剣に選ばれし、太古の…英雄……? だって」


「おお、まさか、神殺しの勇者の剣技をこの目で見られる日が来ようとは…… ティナ様、並びに女神エレシュキガルよ、先ほどの失言、なんとお詫び申し上げればよろしいか……」


「ううん…アルラも、私も……許すから…  準備の間… 私を、守って……?」


「有難き幸せ。 このヴィンセント・ル・コープス、命を捨てる覚悟で護衛を勤めさせていただきます」


木々のざわめきの中、ヴィンセントの返答は、森中に木霊した。


_______________________


ハトホルは、身体を包む冷たさに目を覚ます。
浴室はすでに暗闇に覆われ、自分が長時間に及んで眠っていた事に気付く。


「やれやれ、夕食の時間は過ぎていそうですね。 隼人に謝らないと」


彼女は、浴室を出ると、灯りをつけて衣装ケースからバスタオルを取り出し、身体を拭きあげる。


「入浴後はあまり服を着たくないのですが、この前のように、あまり、からかい過ぎても可哀想ですし、適当に羽織るとしますかね。」


一段上の衣装ケースから隼人の学校指定のジャージを無造作に取ると、そのまま身に付けてリビングへ向かう。


「ごめんなさい。 すぐに夕飯の支度をー」
リビングの扉を開きかけて、眼前に現れた隼人の姿を見たハトホルは言葉を止めた。


「おう、随分長い風呂だったな。」
隼人は振り向きもせずに、目の前の、今にも消えそうな灯火を見つめたまま、返事をする。


「隼人……! そのロウソク……!」


ハトホルは驚愕した表情で時計に目をやると、時刻は20:46。
隼人がロウソクと向き合ってから、既に6時間以上の時間が経過していたが、未だに火は消えていない。


「ああ、やっと上手く行くようになったんだけどさ。 結局、全部使っちまったよ」


隼人の言葉と同時に、灯火は白く、細い煙を上げて鎮火する。


「あー、やっぱり集中してねえと無理だ。 当分ホルスは超えられそうにないや」


隼人は、歯をむき出しに、ニシシと笑う。


ハトホルが口にした一晩という期間は、最高神クラスの権能を持ち、一切の集中を切らさずに炎を見つめ続けなければならない。


ましてや、ハトホルの記憶では、最高神でも世界創世の直後はここまでの期間で権能を自在に操る者はいなかった。


本当に、この少年はホルスを超えてしまうかもしれませんね。


ハトホルは笑みを浮かべ、蝋まみれになった皿を手に取り、口を開く。


「まあ、最初にしては上出来です。 遅くなってごめんなさい。今から夕飯の支度をしますので、待ってていただけますか?」
ハトホルは、いそいそとキッチンへ向かい、献立を考えるべく、冷蔵庫を開いて中身を確認すると、硬直した。


「おう、と言っても今日はもう遅いしカップ麺でいいけどな」


「そうしていただけると助かります…… 帰りに買い物をするのを忘れていました……」
項垂うなだれながら、ハトホルは湯沸かし器に蛇口の水を流し込み、スイッチを入れると、戸棚からカップ麺を2つ取り出して問う。


「味噌ラーメンとうどん、どっちがいいですか?」


「味噌って気分だな、ちょっと疲れたしやっぱ濃い味だろ」


「わかりました。 ではお湯が沸くまで少しお待…… きゃああ!!」


ハトホルの言葉を遮るように、ガタガタと家中を揺らす大きな地響きが起こり、食器棚から皿やコップがいくつか飛び出し、床に叩きつけられ、破裂音を上げながら砕け散る。


数秒後に揺れが止まると、ハトホルは息を荒げて床へとへたり込む。


「地震なんて珍しいな。 ハトホル、大丈夫か?」


隼人は、あたりに散らばる割れた食器の欠片を踏まないように気をつけながらハトホルに近づくと、手を差し伸べる。
ハトホルは、伸ばされた右手に縋るように、小刻みに震える両手で力強く握り、今にも消え入りそうな声を、喉の奥から絞り出す。


「隼人……今の揺れは地震ではありません……。 恐らく何者かの権能による物ですが、異質すぎます…… この地には…この世界には……存在してはいけない物です」




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同時刻、不気味に木々が揺れ動く気味の悪い音があたりに響く山中の廃寺の庭。


そびえ立った5メートルはあろうかという、無骨な石造りの門を見上げる2人の男女の姿があった。


「全然……足りない。 捧げなきゃ、命を…【神核】を……」


ティナは、新緑に輝く宝石を両掌に乗せ、目を閉じ、呟く。


「第1の、審判者よ……冥界の主が、命ず… 奪え、奪え、安寧を。 依代を。」


宝石は宙を浮き、眩い緑光を放ちながら門へと吸い込まれる。
門は、不気味な光に包まれると、全体に古代文字を浮かび上がらせ、ガタンと大きな音を立てながら開け放たれた。


「ガルラ達……身体を、手にして…… 現人神リビングゴッドを、殺しなさい」


開け放たれた門から、青く輝く無数の光が飛び出すと、街の方へと軌跡を描きながら飛び去って行く。


「なるほど。 この国は火葬ですから、ガルラ霊を受肉させるには生きた人間の肉体を奪うしかない、実に不便な国ですね」


「でも……腐らない、から……いい。」


ヴィンセントはクスリと笑い、同意を示すと、跪き口を開く。


「それでは、私はガルラ霊の指揮を取って参ります。 くれぐれもお気を付けを」


身体を黒い霧へと変化させ、ヴィンセントは軌跡を追うように街の方へと消える。


1人取り残されたティナは、黄金色に輝く棺を撫でながら高笑いをあげる。


「あははは!! 陽の当たる王国をあの人と共に治めること……私の長年の夢が目前に……はぁ、心が踊るわぁ…!! 貴女も喜んでくれてるのね? 嬉しいわ、ティナ」

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