隻眼の現人神《隻眼のリビングゴッド》

有江えりあ

初老の男と奇怪な残渣

「まあ、予想はしてたけどこれじゃあレリーフを見るのは厳しそうだな。」


バスを降りると、全面にガラスの壁を積み上げた近代的な円柱系の建物はマスコミと警察官でごった返し、一面を黄色いテープで囲まれていた。


「そうですね…レリーフを見るのは無理だとしても、せめて中に入ることが出来ればインドラの仕業かどうかがわかりますし、足取りを追うこともできるかと思うのですが…」


ハトホルは、スミレの花弁のような澄んだ紫の瞳を伏せ、弱々しく言葉を紡ぐ。


「入るだけでいいのか?」


「ええ、彼とホルスの酒宴で、よく二人は、大喧嘩してましたので、彼の権能の残渣はよく覚えています。近くに行く事が出来れば、権能が使われたか否かくらいは判断できるとは思いますよ。」


「神様って喧嘩で権能使うのかよ…」


隼人は呆れ顔で呟くと、ハトホルに背を向けて建物へと向かい始める。


「まあ、ちょっと聞いてみるわ! 少しここで待っててくれよ!」


隼人は、人の群れを掻き分けて一直線にガラスの摩天楼を目指すと、人混みの中へ消えて行った。


ハトホルは目を凝らし、真紅の髪が揺れる頭部を見つけると微笑を浮かべる。
しばらく彼の頭をジッと見つめていると、急に小麦色の肌が剥き出しの肩にドンッと軽い衝撃を受けた。


「すまない、少しボーッとしていたよ。怪我はないかね?」


ジン、と身体全体を震わせる荘厳な低音が背後から響くと、ハトホルは申し訳なさそうに振り返る。


眼前には隼人よりも一回り背が高く、黒と白のラインが交互に入る長髪を背まで伸ばし、髪を根元で縛り、整えた純黒の口と顎の髭、ビール瓶のような色をしたサングラスの奥に光る険しい目。


ビロードのロングコートに身を包んだ彼は、左手を自らの胸に当てると軽く一礼をする。


「いえ、こちらこそ申し訳ございません。私も惚けておりましたので…。私は怪我はありませんが、貴方は大丈夫なのですか?」


ハトホルも心底申し訳なさそうに、初老の男に頭を下げる。


「何もないようであれば何よりだ。私も怪我はない」


男は、ハトホルの瞳をジッと見つめると、続ける。


「此処であったのも神の思し召しかもしれぬ。縁がある者皆に問いかけていることがあるのだが1つ質問をしてみても良いだろうか?」 


「ええ、私でわかる事でしたら。」


キョトンとした表情でハトホルは答える。


男は「感謝する」と呟くと逆さにした台形のような形に整えた髭の生える顎を動かし、問いかける。


「神は、人に憎しみを抱いていると思うかね?」


ハトホルは少し考えるように目を閉じると、少し悲しげに口を開く。


「そうですね。一時の感情で怒りをぶつけ、時には争うこともあるかもしれませんが……」


目を開き、彼女は慈愛に満ちた笑みで男を見据えると、続ける。


「私は、人と同じで、自分が産んだ子供達を心の底から憎むことは無いと、そう思いたいです」


男はハトホルの顔を一瞥し、薄く笑うと口を開く。


「初めて聞く回答だ。礼を言うよ。」


そういうなり、彼女に会釈をすると去って行った。


「どこか人間離れした、不思議な方ですね…」


ハトホルは独り言を呟くと、遠くから、さすがに聞き慣れた少年の声が聞こえた。


「おーい!館長さんが特別に入れてくれるってよ!早く来い!!」


一瞬、先ほど浮かべた慈愛に満ちた笑顔を作ると、いつもの表情に戻す。


「よく許可を取れましたね!! 直ぐに行きます!!」


濃い藤色の髪を振り乱しながら、彼女は夫によく似た少年の元へ駆け出した。


博物館に入った二人は、セキュリティが消失したため、一時的に空になっているショーケースの間を歩きながら辺りを見渡す。


元々あった展示品は、街の銀行にて保管されることとなったため、空白となったショーケースに再び展示品が立ち並ぶのは1カ月後との事だった。


「驚きましたよ。まさか、館長さんが2つ返事で許可を下さるとは……」


「親父とすめらぎさんはヴァル校の同期だし、片親の俺の面倒をよく見てくれた母親みたいな人だからな。頼み込めば何とかなるとは思ったけどこんなにうまく行くとは俺も思わなかったよ」


隼人は歯をむき出しにニシシと笑うと、すぐに真剣な表情に代わり、問いかける。


「それよりどうだ?なんか感じるか?」


「ええ、インドラに近い残渣が残っているのですが奇妙な点が2つほどあるのですよ…」


ハトホルは開け放たれたショーケースの下方に設置された蛍光灯に繋がる電線を手に取りながら怪訝な顔をする。


「 なんでだ? お前が感じ取れるんならインドラの仕業で間違いないんじゃないか?」


「それはそうなのですが、残渣があまりにも弱いのです。封印されていたとしても、神の権能と呼ぶには弱すぎる……  これでは残渣を追い足取りを掴むことは不可能ですね……。これが1つ目の不可解な点です」


「そして2つ目です。 これを見てください」


ハトホルは表情を険しくすると、手に乗せた電線を指差した。隼人は指先の方に顔を覗き込むと、電線の赤と黒の二本の電線の一部が混ざり合い、固まっていた。


「おそらく、電線の一部分に電熱を与えて融解したのでしょう。私は彼を器用な神だと称しましたがここまで繊細なことは出来ません。あり得ないことなのです」


ハトホルは手がかりを失った落胆から深いため息をつき、立ち上がる。


「気を落とすなよ? また1ヶ月後にはここに石版が戻ってくるし、それまでウチにいればいいさ。」


隼人は、小麦色のなで肩にパンッと手をつくと、笑いかける。


「ご迷惑ではないですか……?」


「一人より二人の方が賑やかでいいだろ? ま、毎朝あんなことされたら身が持たねえけどな!!」


「やっぱり起きていたのではないですか!!!」


ハトホルは健康的に薄く焼けた顔面を夕日のように赤く染め上げると恥ずかしさを誤魔化すように大声を張り上げる。


「さあ?どうだかな?」


ニヤニヤと笑みを浮かべる隼人は、ポケットに入れたスマホがバイブしていることに気づき、取り出すと電源ボタンを押して内容を確認する。


新着メッセージ1件、和奏からだ。


内容は「はーやとー!!今モールにいるんだけど何か食べたいものはあるー?今日は和奏ちゃんが晩御飯を作ってあげましょー!!」
とのことだった。


メッセージの受信した時間が12時20分を表示している。
隼人はハッと声を上げ、


「ハトホル!! 出るぞ!! 時間がない!!」


「え!? ちょっと!! 置いていかないでくださいよ!」


來花との約束を守るべく隼人は出口まで駆け出した。



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