隻眼の現人神《隻眼のリビングゴッド》

有江えりあ

放浪の女神

「ふぅ…。」
ため息を吐いた隼人は、見慣れたグレーのタイルに覆われた家の扉の前で純白の牛を抱え立ち尽くしていた。


隼人と透の二人は、涼子にこってりと絞られた後、軍学部の片付けをさせられるはめになった。


外で待っていた和奏も結局協力してくれたため、作業はすぐに済むと、日が沈むと同時に解放され「さすがに今日は遅いから」と気を利かせた涼子の愛車で家路に着いた。
重い足取りで玄関の鍵を開け、中に入ると無造作に靴を履き捨て、リビングに向かう。


リビングの電気をつけると、和奏に押し付けられた牛をフローリングに降ろし、ダイニングキッチンへと歩みを進ませる。


隼人の身長ほどの小型の冷蔵庫の最下段の中に存在する冷凍のペペロンチーノを取り出すと、電子レンジに放り込み、そのまま風呂場に向かう。


洗面台の前で前髪を左手で搔きあげると、右手の指先を左の眼球に当て、カラーコンタクトを外す。


右目と同じ、夕陽のように紅い緋色の瞳は姿を消し、灰色の瞳が姿を現す。


そのまま脱衣所で服を脱ぎ捨てると、シャワーの蛇口を捻る。


涼子から喰らったゴッドフィンガーと透からもらった痛恨の一撃によって受けたダメージが、お湯を浴びることで再度痛みが蘇り、ギュッと瞳をつむる。


明日が土曜日でよかった、この痛みで登校は無理だろ…
そんな事を考えながらシャワーを止め、洗面台の横の棚からバスタオルを取り出すとリビングに戻る。


目の前に広がったリビングはいつもと同じ光景だ。
父が世界中から集めた土産物や、遺跡から出土した骨や食器を飾るショーケース。


明日の天気を告げる薄型テレビ。
毛並みのいい黒の絨毯の上に設置された、ガラス張りのテーブル。


そして革製のソファ。
そのソファに腰掛け、レンジに放り込んでいたはずのペペロンチーノを頬張る白いワンピースを着た紫陽花のように美しい青紫色のウェーブのかかった髪をした女性の後ろ姿。


見知ったリビングに違和感があることをすぐに悟った隼人は「へぇあ!!!」と素っ頓狂な声をあげ、身にまとっていたバスタオルは床に吸い込まれた。


彼は幼い頃に母を亡くしている。
父は海外に出ており、後2、3年は帰る予定もない。
姉や妹もいなければ自分の家に勝手に上り込む女性など和奏くらいのものだろう。


この状況はどう考えても異常なのだ。
女性は、隼人の声に気づき、ゆっくりと振り向くと、隼人の下半身を一瞥する。


「随分と自信がお有りのようですが、仕舞っていただけませんか?見せびらかすほどご立派な物ではないと思いますよ?」


美しい小麦色の肌、目鼻立ちがはっきりとした美しい顔に薄ら笑いを浮かべながら、女性は淡々と言い放つ。


隼人は自分がどのような格好をしているかを思い出し、赤面し、バッとタオルを拾い、股間を覆う。


あたりを見渡し、着替えを探すと、畳んであった校章付きのジャージを発見し、大急ぎで身に纏うと、未だ自分の夕食を啜っている女性の方を向き、2つの質問をまくし立てるように投げかける


「お前誰だよ!!!てかなんでウチにいるんだよ!!!」 


女性はまるで精錬されたばかりのアメジストのような美しい瞳を細め、気だるそうに答えた。


「はぁ…まず最初の質問に答えましょうか。私はハトホルと申します。エジプトから、主人を探して世界中を旅している者です。」


ハトホルと名乗った女性は、ツヤツヤと輝く髪を指にくるくると巻きつけながら続ける。


「そして2つ目の質問の答えですが、貴方が招き入れてくださったではないですか。むしろ客人に対して出来合いの料理を出し、あのような粗末なものを見せつけてきた貴方の方が責められる立場だと思いますが?」 


まあ、味に関しては出来合いにしては中々のものでした。と付け加えペペロンチーノを平らげた。


「招きいれた?俺はさっき一人で帰ってきたんだぞ?仮に一人じゃなかったとしても、連れて帰ってきたのは白い牛…」


ここまで言って隼人は思い出した。


幼い頃、父が仕事から帰って来た時に初めて見せてもらった父の発掘品を。そしてそれに纏わる神の話を。


「お前、ハトホルって言ったよな?」


「ええ、私の名前はハトホルです。何度も聞かないでいただきたいものです。」


あの時、父は話してくれた。
エジプトにはハトホルと言う、美と豊穣を司る美しい女神がおり、時には牛の姿で現れることもあると。


そしてその伴侶は世界創生の際に火を生み出した神の一人であると。


自分の名前は、その神の化身である隼から取ったと笑顔で語る父の顔は今でもよく覚えている。


「…あんたの探してる夫ってもしかしてホルスか?」


ハトホルと名乗った女性は、カッと深紫の瞳を見開き声を張り上げる。


「ええ!!!私の夫の名はホルスと言います!!主人はこの国にいるのですか!?彼に会わせていただけないでしょうか!!?」


「悪いが俺が知ってるのは名前くらいなもんだよ…。ましてや神様なんてものが本当に存在してるなんて事がまだ上手く飲み込めてねえよ。」


未だ半信半疑の隼人だが、辻褄が合ってしまうことで信じざるおえない状況に隼人は苦笑いを浮かべる。


女は落胆したように俯き、そうですか…と呟く。


「だが、なんでホルスは自由に出歩けてるんだ?大体の神様はゼウスと一緒に封印されたって話だろ?あんたみたいに封印されずに済んでるのか?」


「軽薄な見た目の割に博識ですね。」


隼人は引きつった笑みを浮かべ「軽薄は余計だ。」と呟くと、暗い表情をしていたハトホルの表情が少し明るくなり、クスりと笑った。


「おっしゃる通り、遥か昔に我が主人、ホルスは人間との戦に敗れ、彼の化身たる隼のレリーフに封じられてしまいました。」


「彼が封じられたレリーフを取り戻した私は、命からがらエジプトまで逃げ延び、平和が訪れるまでの長い年月をホルスと共に人間の王が眠る墳墓の中で眠りにつくことを決めたのですが、私が目覚めた時にはホルスの封じられたレリーフの姿を消していたのです…」


隼人はなにか考えるような素振りをした後、口を開く。


「そのレリーフってのは石版で、隼の頭の人間が片手に槍を構えてる。そんなレリーフか?」


「ええ…もしかして見覚えがあるのですか?」


ハトホルは顔を上げ、真っ直ぐに隼人の顔を見つめる。


「ああ、よく知ってるよ。」


ホルスとハトホルの話を聞かせながら、寄贈する前に自分に触らせてくれた初めての父の発掘品。


自分が考古学者を目指した理由となった、力強く、今にも動き出しそうな迫力のある石版。


「どこに…!!レリーフは今どこにあるのですか…!!?」


ハトホルは立ち上がり、今にも掴みかからんとばかりの勢いで隼人に歩み寄ると、ハトホルのまるでメロンのような2つの豊満な胸が揺れる。


「市街地の方にある博物館だよ…今の時間は閉まってるから今日はいけねえ…」


ハトホルの2つの大きな果実を、赤面しチラチラと視線を向けながら隼人は答える。


「だから、もしあんたさえよければ明日はちょうど休みだし連れてってやるよ。」


「…なぜ見ず知らずの私にそこまでしてくれるのですか?」


隼人は申し訳なさそうな表情でハトホルに向かって口を開く。
「実は、そのレリーフは俺の親父が初仕事で発掘して来た物なんだよ。だから息子の俺にも責任がある。レリーフがあんたの手元に帰るように俺も全力を尽くすから親父のことを許して欲しい。」


ギュと目を瞑り、深々と頭を下げた隼人に、ハトホルは柔らかく笑い、頰に手を添えると優しく語りかける。


「あなたは少し主人に似ています。その紅蓮に燃える瞳も、薔薇のような真紅の髪も、自らの非をひた隠しにせぬ誠実さも、あと女性に免疫がないところも、ですかね?」


「…女性に免疫がないは余計だ。」


「ふふふ、まあ今回は貴方に免じて、貴方の父の事は許して差し上げます」


ハトホルは頰に添えた手で、隼人の頰を撫でるとそのまま蹴伸びをしながら言う。


「さあ、博物館には明日行くのでしょう?私の寝床を用意してください!!なんなら一緒に寝ますか?貴方に私を襲う度量があるとは思えませんので私は一向に構いませんよ?」


ハトホルはイタズラっぽく笑う。


「…勘弁してください。」


隼人は頭を抱えると寝具の用意を始めるために寝室へと向かった。




  


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