異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
最終話(一)「絶対に帰ってこなきゃ絶対にダメなのだ」
窓の外に誰もいないことをよく確認したのちに、外衣に仮面、武装を備えた『ウィザード』仕様のぼくと「ヘザ」は、家の庭へと飛び降りた。
「さて、発陳までどうやって行くか、だが……走って行くのは時間がかかりすぎるしな」
「現実的な線で考えると、自転車でしょうか」
「そうだなぁ……」
それしかないのは分かるが、今や民衆の注目を集める『ウィザード』が自転車に乗っていくってのはいかがなものかと……。
しかも、問題はそれだけではない。
「ぼくも自転車は持っているが、アレはまずいんだよな」
「なぜですか?」
「その辺の普及品ならいいんだが、ぼくのは父さんの中古のレーサーなんだ。ユニークすぎて身バレが怖い」
「なるほど……では、どうしましょうか」
「……他人のを拝借する」
「ハイアート様。たとえ放置自転車であっても、持っていけば犯罪ですが」
「泥棒をするって意味じゃないよ。行こう」
ぼくは庭からこそこそと通りに出て、その後ろをヘザが続いた。
呼び出しボタンを押すと、家の中から微かにピンポーンと電子音が聞こえた。
「はーい。どちら様なのだ……」
玄関口に出てきたハム子は、こちらの姿が視界に入った瞬間にギョッとした顔を見せた。
「夜分に申し訳ない。君は、我々をご存じか」
ハム子は絶句したまま、こくこくとうなずいた。
「我々は早急に発陳へ向かわねばならない。申し訳ないが──君の自転車を貸してくれないか」
「あ、えっと……」
「貸してほしいと申し上げたが、無事に返せる保証はない。だが事態は非常に切迫している──頼む、我々に協力してほしい」
ハム子は少しの間考えを巡らせ、それからこくんと首を縦に振った。
「ちょっと待ってほしいのだ。マル君ー、ちょっと来てー!」
「──えー。何だよ、姉ちゃんー……」
ハム子が家の奥に声をかけると、中高生と見まがう巨体の児童がのそりと現れ、そしてさっきのハム子とまったく同じリアクションを見せた。
「え、何で? 何で何で、こんなトコに『ウィザード』がいんの? 本物? 魔法使えるの?」
「……すまないが、我々が使える魔力には限りがある。魔物との戦いのために無駄にはできないので、それを証明することはできない」
勢いよく食いついてくるマルに、ぼくは肩をすくめながら答える。マルはつまらなそうに顔を曇らせた。
「ねぇ、マル君。この人たちにマル君の自転車も貸していいかな?」
「自転車を? うん、いいよ。でも、ひとつお願いしていいかな?」
「……我々にできることであればな」
マルはドタドタと家の奥に戻り、ほどなくして表紙に「じゆうちょう」と書かれたノートとフェルトペンを持って帰ってきた。
「あのね、これにサインして!」
マルはぼくたちを芸能人か何かと勘違いしているのだろうか。まぁ、無茶なお願いでなくてよかった。
自由帳を開いて、紙面にペンを走らせる。それをマルと、ついでにハム子が興味深げに覗き込んできた。
「……変な文字。何て書いてあるの?」
「我々はダーン・ダイマという、こことは違う世界の魔術師でね。その世界の言葉で『ハイアート』と書いてある」
「本当? ウィザードは、本当はハイアートって名前なの?」
「ああ、本当だ。──ほら、君も書くんだ」
自由帳をヘザに渡すと、彼女は仮面の下でも明らかに分かる苦い笑みを見せた。
「ウソを書いても分からないのに、ハイアート様はこういうトコで妙にバカ正直ですよね。──はい、これでいいですか」
ダーン・ガロデ語が走り書きされた帳面を確認してひとつうなずくと、ぼくはそれをマルの手に差し出した。
「こっちは『ヘザ』。もちろん彼女の名だ」
「すごーい。ありがとう!」
ノートを抱えて無邪気に喜ぶマルを尻目に、ハム子がため息を小さくついた。
「手間を取らせてごめんなさいなのだ。自転車のカギを開けに行くからついてきてほしいのだ」
サンダルを引っかけて、ハム子が庭の方へ向かう。その後をついていくと、庭の突き当たりに三台の自転車が無造作に並んでいた。
「……えっと、ハイアートさんに……ヘザさん。あのね、二人は、私の知ってる人によく似てるのだ」
ナンバーロックのチェーン錠をいじりながら、ハム子はつぶやくように言った。
「私は、その二人のことが、大好きなのだ。だから、二人によく似たあなたたちにも、危ないことはしてほしくない。でも、責任があることだからやらなきゃいけないってのも、分かってるのだ」
一台目の自転車のカギが開けられ、それのハンドルをぼくに持たせる。ハム子は続いてその隣の自転車のカギ開けに取りかかった。
「自転車は、返ってこなくてもいい。だけど……二人はね、絶対に帰ってこなきゃ絶対にダメなのだ。自転車を貸す代わりに、それだけは約束してほしいのだ」
もう一台をヘザに預け、ハム子はいつになく真剣なまなざしを向けてきた。
「……元々そのつもりだが、約束しよう。我々は、必ず帰ってくる」
「──ええ、そしておそらく、この戦いが最後です。魔物に勝って、この世界の人々が普通の暮らしに戻れることをお約束しましょう。あなたも──あなたの大好きなお知り合いも含めて」
ヘザが歯を見せてニヤリと笑い、ハム子は少し驚いたように目を見開いたが──すぐに柔らかな微笑みに変わった。
「……うん、二人ともがんばって。早く終われるよう願ってるのだ」
ヘザはハム子の言葉にただ手を振り返して、庭を出ていく。ぼくもその後に続き、自転車にまたがると先を急ぐヘザを追いかけた。
ぼくとヘザは、発陳児玉駅近くの踏切から発陳の市街地へと入った。
呉武から発陳に向かう幹線道路は、発陳市内から逃げ出す車と人とでごった返していて、まったく通れなかったが──
「上手くいきましたね」
「ああ。ヘザが電車の止まった鉄道を通るってアイデアを出してくれたおかげだ」
街の中は政令都市とは思えない人気のなさだった。上空はヘリコプターの音が絶えず響き、やや遠くで時折何かが破壊されるような轟音がこだましている。
「あっちが主戦場のようだな」
「現場に入っている警察や自衛隊に見つかっても厄介です。慎重に進みましょう」
停電が起きているのか、灯りひとつない真っ暗なビル街を進む。満月に近い月がこうこうと照らしているのが救いだ。
やがて激しい炸裂音や、上空にチカチカと光が閃くのが見えてきて、ぼくたちは自転車を置いて建物伝いに身を隠しながら魔物の所在を探し回った。
「ヘザ。この辺りから大分、魔素の気配が濃いな。魔力を集めながら出所をたどってくれるか」
「了解しました。しかし……魔力感知もなく魔物と戦うというのは、とても厳しいですね」
「ああ。この世界に魔物が出るようになった当初は魔物が感知できないどころか、魔物の倒し方すら手探りだった……毎回死にもの狂いで、生きているのが不思議なくらいだ。あれから多少知恵はついたが、戦いが厳しいことに変わりはない。ひと時も気を抜くな」
ヘザは指先にか細い銀の光をまとわせながら、こちらを見ずにうなずきを返した。彼女は信号も着いていない通りの真ん中へと進み、ぼくは周囲を警戒しながらその後を追う。
「ハイアート様、ここから上空の方に魔素の帯が伸びています」
「くそっ、空を飛ぶ奴の追跡は厄介だな……とりあえず、高い場所から痕跡を探してみよう」
手近なオフィスビルに赴き、通電していない自動ドアを手でこじ開ける。立派な不法侵入だが、この際仕方がない。
階段を駆け上がり、屋上に出て、大きく息をつく。
「少々運動不足ではありませんか、ハイアート様」
「重々承知してるよ。この戦いに生き残れたら、何かしらのトレーニングを始めてみようかな」
「いい心がけです。私もおつき合いしますよ」
お互い顔を見合わせ、ふっと微笑む。
「……まぁ、それは一旦忘れようか。未来の約束は死亡フラグだから──」
冗談めかしてつぶやいた、その時。
先ほどからずっとうるさく鳴っていたヘリコプターの音が、急激に大きく迫ってきた。
一瞬早くヘザが身を低くして、ぼくも倣うようにコンクリートの床面に腹ばいになる。その数メートル頭上を飛翔して、それは隣のビルの屋上に、腹をこすり火花を散らしながら停止した。
ヘリコプターだったその鉄塊は、テールローターのシャフトがあらぬ方向へ折れ曲がっている。何がしかの攻撃を受けた跡だった。
「ハイアート様、来ます!」
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