異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第三十二話(一)「シュポン!」
パッチン!
マンガみたいな巨大骨つき肉を手に取ろうとしたぼくの手が空を切った。
ヘザと鹿屍砦を攻める作戦について打ち合わせをした後、「ハイアート様、少し仮眠を取られた方がよくないですか。私とご一緒に」とベッドで寝転がって手招きする彼女を無視して兵舎を後にしたちょうどその時、ガバに遣わされた兵卒がやって来て祝勝会の準備があると言われ、ついていった訓練場ではバーベキューが行われており、ガバから「長官殿のは特別に大きい奴をご用意してあります」と出されたデカい肉の塊にぼくがニコニコしながら手を伸ばした、その瞬間の「パッチン」だった。
せめてひと口ぐらいガブリといかせてほしかった……ぼくはトイレの個室で便座に座ったままの姿勢で、天を仰いで静かに深くため息をついた。
とりあえず、今すぐやるべきことをやろう。
ぼくは着ている「魔術師の外衣」を脱いで、足元に置いていたスポーツバッグへとぎゅうぎゅうに押し込み、代わりにバッグから取り出したバッテリーチャージャーをスマートフォンに接続した。
全部で六件しかない連絡先リストから「朝倉先輩」を選んで通話ボタンを押す。
「──ヘザ、ぼくだ。今、行って帰ってきた。話す内容がよそに聞かれるとアレだから、ダーン・ガロデ語で話すが──」
ひと通り伝えるべきことを話し終わり、通話を切ったぼくは、トイレを出てハム子のいる席に戻った。
「おかえりなのだ」
「ああ、待たせてごめんね」
対面に座り、ハム子の前のトレイを見ると、半分以上残っていた北海道ホタテコロッケバーガーが跡形もなかった。ぼくのいない間に、おちょぼ口で食べるのはやめたらしい。
「……やっぱり、ぼくも食べようかな。今、無性に肉が食いたいんだ──なるだけデカい奴を」
ぼくは財布だけ持って、再び席を立った。
「鹿屍砦を奪還しました」
その夜、朝倉先輩からの電話に出ると、真っ先にその一言が届けられた。
「そうですか、ついに──作戦は、上手くいったんですか」
「ええ。砦の前に陣を敷いて警戒を外に向けさせたら、地下から砦のど真ん中に二個中隊が全隊突入しても気づかれませんでした。見事な作戦でした」
「そんなに簡単だったんですか。かえって驚きです」
「そうですね。できるだけ目立つようにと、砦前の布陣の陣頭指揮を殿下にお願いしたのが良かったのかもしれません」
「えええ、グークをおとりに使ったんですか? そんなこと頼んで、文句言われなかったんですか」
「はい。鹿屍砦攻めはぜひ王子にご出陣いただきたいと申し上げたら、嬉々として──あ! 私としたことが、殿下がおとりだということについてはすっかり言い忘れてましたわ。ウフフ」
「……わざとだ。絶対わざとだ」
「さてハイアート様──いえ、速人君。今後の戦略についてですが、残る蝦蟇口砦を落としましたら、国境まで進軍させてデゼ=オラブ以下五国への終戦講和を迫る、という流れで連盟議会の承認を取ってあります。講和には私が速人君の代理で臨むということでよろしいですか」
「ええ、結構です。交渉ごとはヘザ──先輩の方が向いてますからね」
「では、その際に代理の証明として、ゲイバム王国騎士の剣をお借りしたく存じますので、お引き渡し願えますか」
「もちろんです。えっと、お渡しするのは──」
「速人君のお部屋にお伺いするのでも構いませんし、私の部屋にお越しいただいても──あ、今度の土曜日は両親とも休日出勤でいないので──」
「明日の放課後に生徒会室におじゃましますのでよろしくお願いします」
「……了解しました」
電話の向こう側から、舌打ちの音がはっきりと聞こえた。
蝦蟇口砦は、魔界の南側の玄関口に建つ、比較的小振りな城塞だ。
魔界への侵入に対する最初の構えではあるが、他の砦とは違い険しい山岳や断崖のような自然の防衛機構はなく、守りはそれほど固くない。
「いたって普通の砦ゆえに、逆に正攻法で攻めるしかないが──こちらの戦力も攻城に足るとは言いがたい。ヘザ、どうするんだ?」
砦の表構えを遠くに眺めながら、ぼくは訊いた。ヘザに良いアイデアがあると聞いていたので特に考えもなくここまで来たが、実際に砦を見ると少し不安になってくる。
「では、早速取りかかります。おい、例のものをここに据えつけよ」
ヘザの命令に一礼して、兵士たちが隊列の最後尾にあった荷車に取りつく。幌が取り去られ、そこにあったものにぼくは目を丸くした。
長さ一メートル、直径十センチメートル以上はある円筒状の鉄製のモノ。それが木製の台座の上に、仰角をつけて鎮座している。
「大砲……だと……?」
「いいアイデアでしょう。城砦も何も、これでドカンとやってしまえば楽勝です」
意表をつかれて唖然としているぼくに、ヘザは両手にボウリング球ほどの鉄球を抱えてニヤリと笑ってみせた。
「い、いやいや。こんなもの撃ち込んだら、砦が使い物にならなくなるぞ」
「ここは守るに易くありません。防衛線はひとまず鹿屍砦に置いて、戦争が終わってから建て直すということで。殿下は了解済みですよ」
「……それなら仕方ないな。やっちゃおうか」
「ええ、やっちまいましょう。撃ち方ですが──筒の後ろ側に、術式が刻んでありますので」
「魔術で撃ち出すのか? どれどれ」
兵器は門外漢だが、魔術のことであればにわかに興味がわいてくる。ぼくは大砲の後方に回り込んで、砲塔の後方部分をじろじろとねめ回した。
「あった。これは……なるほど、そう来たか」
術式を見つけて読み解き、ぼくは感嘆を上げた。封入した風精霊力を操作して筒の中に圧縮空気を作り出し、空気圧で弾を押し出すやり方だ。
「すごいな、君がこの術式を書いたのか」
「ふふ、すごいでしょう──と言いたいところですが、実はモエド魔術官に大砲のコンセプトを伝えたらサラサラッとデザインしてくれました。本格的に魔術を学んでみて、初めて実感しましたが──あの子、天才ですよね?」
「ああ、ぼくも事あるごとにそう思ってる。分かってくれて嬉しいよ──さて、とりあえず撃ち方は把握したし、やってみよう」
「はい。風精霊術はハイアート様の方がお上手ですので、私が弾を込めたら発射をお願いします」
ぼくがうなずくと、早速ヘザが第一弾を大砲の口からごろりと投じる。術式に魔力と精霊力を与える。
シュポン!
仰々しい大砲から発せられるにしては間抜けな音と共に鉄塊が虚空へ舞い上がり、蝦蟇口砦の頭上を越えていった。
「ありゃ。外れた」
「ハイアート様の精霊力が予想以上に強すぎて、弾道が高くなってしまったようですね。もう少し低くします」
ヘザは台座のネジをいじって、心持ち砲身の角度を低くする。
シュポン!
「おー。いい感じに飛んでるぞ……」
砦の城壁、歩廊のすぐ下辺りから砂煙が飛び散り、遅れてゴーンという轟音が響いた。
「あと半ゾネリ上かなー」
「そうですね。弾はたっぷり用意しましたので、どんどん撃っていきましょう」
シュポン、シュポン、シュポン!
鉄球が立て続けに砦を襲い、次々に被弾していく。
もうもうと砂塵が煙る中、よく見ると、その中に混じって黒煙が立ち上っているのが見て取れた。
「待て、あれは……火災が発生しているのか? 鉄球を撃ち込んでいるだけなのに、なぜだろう」
「ああっ! ハイアート様、私としたことが……」
ヘザが、先ほどから撃ち出している大砲の弾をぼくに向けてみせる。
そこに、術式が刻まれていた。
「うっかり弾丸に、十秒後に炸裂して焼けた鉄が飛び散るよう火土の精霊術を込めた術式を付与してしまいました」
彼女はコツンと頭を叩き、「いっけなーい☆ てへぺろ☆」と言いたげな表情を浮かべる。
「ひどい。ひどすぎる。あんた鬼か」
「敵に情け容赦は無用です。さあハイアート様、もう二、三十発ほどサービスして差し上げましょう」
「いやどう見てももう死に体だろ。オーバーキルだろ。サービスが過剰すぎて労働基準法違反になるわ」
そんなこんなで、蝦蟇口砦は見るも無惨に陥落──いや崩壊した。
それからはこちらの思惑どおりに、滞りなく進んでいった。
ヘザは連盟軍事政府に牙を剥いた国々を講和のテーブルに引っぱり出して、多額の賠償金を条件に連盟国との相互不可侵条約を締結。
連盟軍事政府はこの賠償金をすべて連盟国に分配し、加えて魔界が連盟国へ魔術技術の共有、及び今後の魔術研究の協力を行うことを条件に、先の大戦の賠償金の免除と魔界の王権をグークに認めたのち解体。魔界はバヌバ魔族王国として復活した。
かくして第二次魔界大戦は終戦を迎え、そして──
召喚術式の上に尻もちをついたぼくは、その冷たさに身をぞくりと震わせた。
一瞬前まで、自室に据えたこたつの中でぬくぬくとくつろいでいたのだ。冬のこたつという究極の天国から突然追放されたことはがっかりだが、召喚されたことを怒る気はさらさらない。
「ハイアート様、お疲れさまっス。さて、いよいよっスね」
「ああ。とうとうこの時が──おお?」
声に振り返ったぼくは、見慣れぬモエドさんの姿に素っ頓狂な声を上げた。彼女は薄紫色の、袖口や裾がひらひらと広がった華やかなドレスに身を包んでいたのだ。
……今日は七五三だったかな?
「……何が言いたいっスか、ハイアート様」
「え、いやその。き、綺麗だなって……だが、その格好は少々気が早くないか」
「召喚が済んだらすぐに出られるよう先に支度しておいたっスよ。もうあまり時間がないっスから、早くヘザ様をお呼びくださいっス」
「わ、分かった」
ぼくは急いで台座を降りると、外衣をまとうために部屋の隅の仮設更衣室へと足を向けた。
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