異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第二十九話(一)「ちっちゃくなっちゃったっスね」
召喚術式の上に立った少女は、ポニーテイルをなびかせながら振り返った。
頑丈そうなデニムの上下に足首を覆うトレッキングシューズ。右肩にデイバッグを下げ、左肩にはあのアーチェリー用具を入れている平たいバッグを引っかけていた。
「……ここは、魔王城の地下! 何てなつかしい光景……私は戻ってきたのですね、速人君」
ニヤリと口の端を上げて朝倉先輩が笑い、ぼくは微笑んでうなずいた。
「ハイアート様、あ、あの者が『アサクラ・ハイウーミ』っスか? ど、どういったアレなんスか」
いつのまにか、モエドさんはぼくの背後に身を隠していた。意外と人見知りするタイプ?
「おお、モエド魔術官! 久方ぶりだな、息災であったか」
朝倉先輩が台座を降りて歩み寄ると、モエドさんはさっとぼくの陰に完全に隠れて、片目だけをのぞかせた。
「え? あ、あたしは初めてお会いしたんスが……何であたしをご存じっスか? あんた一体、誰なんスか」
「うん、予想どおりの反応だな。さて、私は誰か? さあ当ててみようか」
ニシシと歯を見せて笑いつつ、先輩は言った。モエドさんの困惑した表情に、ぼくもつい苦笑してしまう。
「んー、やっぱり分からないか。じゃ、ヒントを出そう──モエド魔術官。君……オルロルの腕は上達したのか?」
オルロル?
確か小さめのピアノのような、魔界生まれの鍵盤楽器だったはずだが──その一言を聞いたモエドさんは、愕然として身体をぶるぶると震わせた。
「どうした、モエド魔術官。私が聞いた話では、週に一度、王都まで行って習っているはずだが。皆に知られると恥ずかしいから内緒だと──あ、速人君。この話は聞かなかったことにしてくださいね」
朝倉先輩がぺろっと舌を出し、ぼくは笑顔で首を縦に振った。モエドさんはお化けでも見たような顔で、じっと先輩を見つめている。
「そんな……あ、あたしがオルロルを習ってることは、ヘザ様にしか話してないっス……ま、まさか、あなた様は……!」
「さて。ひとりしか心当たりがないのなら、それが答えではないかな──モエド魔術官、再び親友に逢えたことを、私は嬉しく思う」
「わ……分かる、分かるっスよ。あなたは、ヘザ様っス……あああ、ヘザ様! ヘザ様ぁぁ!」
よろよろとぼくの背後から朝倉先輩へと歩み寄って、モエドさんは先輩の胸に顔を埋めて抱きついた。
そして、声を殺して、彼女は泣いた。
「こら、泣くなバカ者……すまなかった、心配をかけて本当にすまなかった……!」
モエドさんの頭をなでる朝倉先輩の目の端にも、涙のつぶがにじんだ。この再会だけでも召喚してよかったと、しみじみ感じる。
「……ヘザ様。ひとつ、いいっスか」
「何だ」
「……ちっちゃくなっちゃったっスね」
モエドさんの脳天にゲンコツの落ちる鈍い音が響いた。
「すまぬ、意味が分からん。もう一度だけ言ってくれ──彼女が、何だって?」
魔界防衛大隊作戦本部、またの名を魔王城会議室。
グークは、腕組みをしたまま、不機嫌そうに訊いた。
どうやらタチの悪い冗談だと思っているようだ。
「分かった、もう一度言おう。彼女はヘザで、日本で転生して、こちらに召喚してきた」
「……モエド魔術官、彼が何を言っているのか、説明してもらいたい」
「ハイっス。あの方はヘザ様で、日本で転生して、こちらに召喚されてきたっス」
「…………ハイウーミ殿とおっしゃったか。君について、詳しい話を訊きたい」
「はい、殿下。私はヘザで、日本で転生して、こちらに召喚──」
「もういい! 分かった、分かった。一応は信用しよう……」
グークはうんざりした表情を隠さず、首を横に振った。
「それで、どういう理屈でそうなったんだ。まずそれを聞きたい」
「そっスね。じゃあ、順を追ってご説明するっス。まぁ、推測の域は出ない話っスが……」
モエドさんはA4サイズ程度の黒板を机の上に立てて、白墨で図を描き出した。説明が必要になるだろうとは予想できたが、用意周到なことだ。
「まず前提として、ハイアート様は召喚魔術により、時間と空間を越えて魂を引っぱられた状態でこの世界に来ているっス。それでもって……魔術が力を失うと、ハイアート様は元々の世界の『縁』に引っぱり返されるっス。ここまでは大丈夫っスか」
その場の全員のうなずきを待って、モエドさんは話を続ける。いや、実際はナホイだけが首を傾げていたが、彼女はあえて無視した。
「前回、ハイアート様に『パッチン』、つまり縁に引き戻される現象が起きた際、ハイアート様はヘザ様の魂を『魔力の手』でつかんでいたらしいっス。つまり……こう!」
黒板上に、ギュッと力強く矢印が引かれた。
「ヘザ様の魂は世界から縁が切れているので、ハイアート様につかまれたまま、一緒に日本へと持って行かれたっス。そして、ハイアート様は縁の結ばれた地点で急停止したっスが、同時にヘザ様をつかんでいた魔術も消えてしまったと。すると、どうなると思うっスか?」
ぼくの魂をゴムひもに例えたなら、ヘザの魂は──スリングショットの弾丸だ。
「お分かりっスか? ハイアート様は……ここで止まったっス、しかしヘザ様の魂は縁がハイアート様を引っぱった勢いのまま、さらに……時間と空間をすっ飛ばされて行ったんスよ!」
やや興奮気味に、モエドさんはガリガリと黒板をチョークで引っかく。
「でもって、そのすっ飛んだ先で、ヘザ様は日本という新たな世界と縁を結び、生まれ変わったと考えられるっス。実際は──えっと、今はおいくつでしたっけ、ヘザ様」
「十七歳──いや、こちらの暦で数えると二十四、五歳か」
「そう、実際は約二十四年前、ハイアート様の縁のあった場所から数十万ネリ先の彼方で、ヘザ様は『アサクラ・ハイウーミ』として転生したというわけっスね。説明は以上っス!」
モエドさんは満足げに吐息をつく。やり遂げた女の顔をしていた。
「この娘がヘザの生まれ変わり、ねぇ……俺には何だか納得できねえなぁ。どう見ても別人だしよぉ……共通してるのは、美人だってことだけだし」
ナホイがずっと首を傾げながら、ぼんやりとつぶやく。朝倉先輩はふっと失笑した。
「お世辞が上手だな、ナホイ。私がヘザだという確証が持てないのなら、魔王城に攻め入る前夜におまえがブンゴンの酒を盗み飲みした話をすればいいか?」
「何ですって? アレはナホイ、てめえのせいだったんですかい」
ブンゴンにギロリとにらまれ、ナホイがあわてたようにブンゴンと先輩を交互に見回した。
「あ、いや、それは……その話は死ぬまで内密にするって言ってたじゃねぇか……」
「うむ。文字どおり死ぬまでは内密にしておいたが、何か?」
おどけるように言って、先輩はニヤリと笑った。
「……葬儀も終えて、心の整理もすっかりつけた後にこんなことになって、俺としては非常に戸惑っているところだが……ともかくよく戻ってきてくれた、ヘザ殿──あ、いや、ハイウーミ殿? 困ったな、どう呼んだらよいだろうか」
グークが顔を曇らせる。ぼくはクスッと失笑をもらした。
「こっちでは、ヘザと呼んだ方が通りがよいだろう。ヘザも、こっちに来たならハイアートと呼んでくれた方がいいな」
「ええ、了解です。ハイアート様」
本当に嬉しそうに、「ヘザ」がにっこりと笑う。
すべてが元どおり──ということはないが、彼女がこれまで厳しかった戦いの大きな希望になるはずだという期待に、ぼくは胸を弾ませた。
ラスボスは倒れたが、大洞穴の調査はまだまだ途中だ。
明朝に再出発ということになり、解散後にぼくは城の自室のベッドで横になっていた。
朝倉先輩がヘザであると知ったあの日からずっと抱いていた、彼女を故郷に帰らせたいという望みがかなえられた興奮からか、なかなか眠りにつくことができない。
トントン、と扉を叩く音がした。
「はい。どなた?」
「ハイアート様。ヘザにございます」
噂をすれば、だ。
何となくあの夜のことを思い出し、嫌な予感を覚えたものの、ぼくは身を起こしてベッドの縁に腰をかける格好になった。
「いいよ。入って」
「失礼します」
ドアが開いた瞬間、ぼくは「おっ」と感嘆をもらした。
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