異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第二十八話(三)「某小説投稿サイト系ハーレム型テンプレ主人公だったのか?」
「んっ……」
軽いうめきと共に、ハム子は身じろいだ。どうやら目を覚ましたようだ。
「起きたか。気分はどうだ」
ベッドの傍らに座る朝倉先輩が、腕組みをしながら訊いた。ハム子はベッドの掛け布を押し退けて上体を起こすと、ぼんやりした眼でゆるゆると辺りを見回した。
おっと危ない。
彼女がこちらを向く寸前に、ぼくはさっと隣のベッドにあるカーテンの陰に顔を引っ込めた。
ハム子が目覚めたら話の続きをするからと、朝倉先輩にここに隠れて見ているよう言われたのだ。
「副会長さん……ここ、保健室?」
「そうだ。君は、私と話をしている時に突然気分が悪いと言って倒れたので、ここに運んだ。もう大丈夫か」
「うん……副会長さん、ごめんなさいなのだ」
再び、カーテンの隙間から覗き込む。ベッド上のハム子は沈んだ表情をしているものの、先ほどまでの苦しそうな様子は見て取れなかった。
「気にすることはない。それで、話の続きをしてもよいかな」
ハム子がこくりとうなずいたので、先輩はわずかに微笑んで話し始めた。
「──君は、好きな人なのに嫌な気持ちになってしまうことについて……自分を『悪い子』だと責めていた。だが、それは──」
「副会長さん。私、わかったのだ」
大声ではないが力強く放たれたハム子の言葉に、先輩は目を見開いて口をつぐんだ。
「……ヘンな夢を、見たのだ。夢の中にハヤ君が出てきて……私……」
ハム子の顔面がいきなり真っ赤に染まる。朝倉先輩は面白くなさそうに口をへの字に曲げた。
「……それで、気づいたのだ。今までハヤ君が、私と一緒にいてくれたことじゃなくて──私だけと一緒にいてくれたことがよかったんだ、って……副会長さん、それって、やっぱり──」
朝倉先輩は眉をハの字にして、ただうなずいた。
「そっか……そうなんだ。私は、男の子が苦手で恋愛とかできないんだと思ってたけど、そうじゃなかった……ずっと前から、私は……もうとっくに、恋を、してたんだ……」
微笑むハム子の頬を、ひと筋、雫が伝う。
「私──ハヤ君が好き。大好き。イヤな気持ちになっても、そんな自分が嫌いで、苦しくても……それだけは、絶対に捨てられない。捨てたくない。私だけのハヤ君でいてほしい……!」
ぼくはふらふらとカーテンのそばを離れ、ベッドの縁にすとんと座り込んだ。
頭が真っ白だった。
朝倉先輩はあの問答の末に、ハム子がこの結論に達することも予想していたのだろう。確かにぼくはとんでもない唐変木だが、こんなものをダイレクトに聞かされたら嫌でも理解しないわけにいかない。
理解はした。が、腑に落ちない。
ヘザ=朝倉先輩といい、ハム子といい、ぼくなんかを好きになるその心情がまったく分からない。
もしかして、ぼくは本当は女性にモテるのか? 超モテモテなのか? 某小説投稿サイト系ハーレム型テンプレ主人公だったのか?
いや、問題はそこじゃない。朝倉先輩が真剣に考えろと言ったのは──
いや、いや。無理だ。とても頭が働きそうにない。冷静になれる時間がほしい……。
そう考えた、正にその時。
左手首の腕時計に、チカチカとした輝きが宿った。
ああ、モエドさん。ナイスタイミングだよ。
しばらくあっち側で、頭を冷やそう──
周りの情景が、薄暗い地下へと一瞬で変わる。
召喚術式の前には、魂が抜けたかのようにひどく消沈した表情のモエドさんが、ぼんやりと立っていた。
「モエドさん……」
「……ハイアート様、今回もお疲れさまっス。……まずは、ご報告申し上げるっス」
彼女はため息をひとつ挟んで、それからぼそぼそと、抑揚のない声で言葉を継いだ。
「……ヘザ様の葬儀は、もう終わってるっス。殿下はハイアート様にも最期のお別れをと希望されてましたが、ご遺体がお見苦しくなる前には召喚が間に合わないので……申し訳ないっス」
頭をわずかに垂れ、肩を震わせる。ぼくは術式から降りて、モエドさんの肩をポンと叩いた。
「モエドさん。あの──うっ」
ぼくは小さくうめいた。強くはなかったが、モエドさんがぼくのお腹をこぶしで打ったのだ。
「……ハイアート様……なぜ、ヘザ様をお守りくださらなかったんスか……! 救世主なのになぜ、たったひとりが救えないんスか……!」
何度も鼻をすすり上げる彼女を、ぼくは暗たんたる思いで見下ろしていた。
「……モエドさん、すまない。ヘザを亡くしたのは、ぼくのミスだ……本当に申し訳ない」
「……いえ、ただの八つ当たりっス。ヘザ様を亡くされたことは、ハイアート様の方がずっとお辛かったはずっス。ごめんなさいっス」
モエドさんは首を振って、それからおもむろに外衣のポケットを探り、ぼくの前に何かを差し出した。
眼鏡だ。
大きめの丸く細いフレームのそれは、長年見てきた馴染み深いものだった。
「これは、ヘザの──」
「ハイっス。これだけは、ハイアート様にお渡ししておこうと思いまして……」
手渡された眼鏡をハンカチーフに包んで、そっとブレザーのポケットにしまい込んだ。
「ありがとう。これは、本人に返しておくよ」
「? えっと、とりあえずいつもの会議室でみんな待ってるっス。急ぎお召し替えを──」
「あ、モエドさん。申し訳ないが、みんなには先にやることがあるから待ってくれと伝えておいてくれないかな」
「はい? 先にやること……っスか?」
目を見開いて、モエドさんはきょとんとした。ぼくは小さくうなずきを返す。
「ああ。そしたら、ここに戻ってきてほしい。モエドさんにも手伝ってもらいたいんだ」
「……ハイっス。あたしにお手伝いできることでしたら、喜んで……でも、一体何をなさるんスか?」
「うん。この部屋に、もうひとつ作りたいんだ──召喚術式を」
少しの間を置いたあと、モエドさんは目をまん丸にして、叫んだ。
「はあぁっ?」
ほどなくして、いつもぼくを召喚している術式の隣に同様の石碑と台座が据えられた。
「よくこんな石を、すぐに用意できたね」
「ハイアート様の召喚術式用の予備っス。これと同じものがまだ四つあるっスよ。──さて、術式を彫るのに人手がいるっスね。王宮の魔術官をかき集めて──」
「いや、ぼくがやろう」
ぼくはさっと魔術式を組むと、既存の召喚術式の上にかざした。その「コピー術式」が放った銀の光が、転写された術式を浮かび上がらせる。
転写術式を新しい台座へと移動させて、そこに土精霊術をぶち込んだらアラ不思議。術式のとおりに石の表面がペコっとへこむのです。
「うっわ、ずるいっス! ハイアート様、何でもできすぎっス!」
「まあ、一応救世主だし多少はね? さて、この術式の中で、ぼくの名前が書かれている箇所はどこかな」
「あ、ハイっス。ここと、ここと……ここの三箇所っスね」
モエドさんは人差し指の先に魔力をまとわせ、示した部分に銀色の印をつけてくれた。
「ありがとう。じゃ、ここをちょっとばかり細工して……」
土精霊術を使い、彫られた図式を埋めて、彫り直す。
「対象者を書き換えたっスね。えーと……『アサクラ・ハイウーミ』? どんな人なんスか?」
「それは、呼んでみてのお楽しみだ。モエドさんもきっとビックリするぞ。……さて、術式の準備はこれで全部できたかな」
「ハイっス。では、こちらをどうぞっス」
モエドさんが、ひと抱えもある大きさの、常識外れに分厚い本を差し出してきた。広辞苑の二倍ぐらいはありそうだ。
「これは?」
「召喚魔術の言語論理式っス。一万とんで五一六ページあるっスよ」
膨大だとは思っていたが、いざ目の当たりにすると渇いた笑いしか出てこない。これを、モエドさんは毎回全部読み上げてるのかと思うと、彼女には本当に頭が下がる。
「──いや、それは使わないよ。儀式魔術は、極めて高度な魔力制御が必要な時に、記述と言語を組み合わせて行う魔術だろう」
「そのとおりっスが……まさか、ハイアート様?」
「うん。自慢じゃないが、ぼくの魔力制御力は──無限大だ」
石碑の制御術式に、一斉に魔力を吹き込む。三つすべての魔術が起動したところで、召喚術式の紋様を徐々に銀色に輝かせていった。
「詠唱なしに……制御魔術を三つとも動かしながら大魔術を……! ものすごい力業っスね」
モエドさんは感心したように言うが、ぼくからしたら力不足を技術で補う彼女のやり方こそぼくには上手くできそうにないし、尊敬に値する。
詠唱速度に縛られない分、召喚魔術は急速に完成へと進行する。それでも発動に至るまでには、手元の時計が五時間の経過を示していた。
目には見えないが、「魔力の手」がはるか彼方へと伸びていき、何かをつかみ取る感触を覚える。引っ張り込む。
台座上の空間が一瞬、ノイズが走ったようなぶれを起こした。
直後、そこに最初からいたかのように、人間のシルエットがパッと生じて台座の上へと降り立つ。
「──おかえり、ヘザ」
ほっと息をついて、ぼくはかの女性の背姿に、小さくつぶやくように声をかける。
ポニーテイルが翻った。
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