異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第二十七話(二)「ベッドに横になってください」
「ええ、ヘザの記憶と一緒に。確かに、とても少なくて驚きました……ふふ、速人君。顔の周り、火精霊だらけですね」
「……ほ、ほっといてください。だとすると──精霊術も使えますか」
「やってみましょう」
朝倉先輩は、右手を皿のように開いて、念じるようにしかめっ面を浮かべた。
「ああっ、これは……精霊力を集めるのが相当辛いですね……」
「精霊が少ないですからね、がんばってください」
手の中に、わずかな火精霊がぎゅーっと凝縮していくのが見える。やがて──すぐに消えたものの、ポンと小さな火が現れて、一瞬揺らめいた。
「はー……で、できました」
「すごい。たったあれだけの精霊力をここまで効率よく具現化できるなんて……やっぱり、ヘザなんだなぁ……」
「恐れ入ります」
ぼくが感心したようにうなずくと、先輩は照れたようにはにかんだ。かように火精霊術のスキルの高さを見せられると、そう確信せざるを得ない。
以前に、モエドさんから聞いた「魂」の話を思い出す。世界と「縁」の切れた魂は、新たな縁を世界と結び、別人として生まれると──
普通に考えたら時系列がおかしいが、朝倉先輩はきっと──ヘザの魂が転生したのだ。
生まれた時から、そして初めて校門で出逢ったあの時からも……気づく由もなかったが、ずっと、彼女はヘザだったのだ。
ダーン・ダイマではなく、この世界と縁をつなぎ、日本人として生まれ変わった──
「……!」
雷鳴のように、ぼくの脳裏にひとつのアイデアがひらめいた。もし、それが可能ならば──!
ごくりとつばを飲み込みつつ、ぼくは、朝倉先輩に言った。
「先輩。お疲れのところ申し訳ないですが──水精霊術を使ってみてください」
先輩は、小さな驚きに目をパチパチさせた。
「え、ですが私の染性は──」
そこまで言って、そのことに気づいたのか、朝倉先輩は息を呑んだ。
手のひらを開き、苦悶の表情を浮かべながら、水精霊に働きかけていく。
「水精霊力の扱いは、火精霊力とは感覚が少々違いますが……大丈夫ですか」
「座学だけですが、一応……」
火精霊術よりも時間をかけて、彼女の手のひらの上に精霊力が高まっていく。
指先をかざしてみると、清水に触れたような冷たさを感じた。十分に水精霊力がコントロールされている。
「ハイアート様! これは──」
「『速人』ですよ、先輩。そうです──日本人として生まれた『朝倉先輩』には、染性がない……あなたも今や『無垢なるもの』であり──『六行の大魔術師』なんです」
脱いだ「魔術師の外衣」を、例によって押入れの奥に押し込む。
「押入れを開けさせたくなかった理由は、それが入っていたからなんですね。……エロ本じゃなかったんだ」
「残念そうに言わないでください。あの時──先輩を強引に振り払ってしまって、本当にすみません。召喚されかかったものですから……」
「あれは、本当にショックだったんですよ。その時はショックのあまり夜も寝られず、当時買ったばかりの『アルティメットファンタジーCCV』を徹夜で遊んでしまいました」
「全然ショック受けてないでしょ、それ。というかそのこ○亀の巻数より多いゲームのシリーズって何なの」
「とにかく、すごく落ち込んだんですから。これは責任取ってあの時の続きをさせていただかないと。速人君、ベッドに横になってください」
ポンポンと敷布団を叩いて、朝倉先輩は不機嫌な表情をしてみせる。ぼくは眉間にしわを寄せて、深くため息をついた。
「さっきも言いましたが、節度を守ってください節度を。責任と言えば何でも言うことを聞くと思ったら大間違いですよ?」
「お言葉ですが、速人君もキスぐらいでケチケチするのもいかがなものかと存じます。いいじゃないですか、一回したなら二回も三回も同──」
朝倉先輩が口を押さえて、よそを向いた。
「……先輩。ぼく、その一回もまったく身に覚えがないんですが、一体何の──いや、今日はもう帰らないと親御さんたちが心配しますよ。その話はまた今度にしましょう」
先に階段を下りていき、そのあとを先輩が続く。
ダイニングの脇を通りがかったタイミングで、母親が夕飯のいい匂いと共に廊下に顔を出してきた。
「朝倉さん、ご用事は済んだのかしら? あの、よかったら夕飯食べていかない?」
はい?
「ありがとうございます。ですが、ご迷惑では──」
「ご迷惑も何も、お父さんから急に同期生と飲みに行くことになったから夕飯はいらないって連絡があってね、こっちはもう支度始めちゃってるのに……それでお父さんの分余っちゃってるから、食べていってもらえた方がありがたいかなって」
「そうですか、ではお言葉に甘えまして──あ、家に連絡してもいいですか」
「ええ。あ、トンカツはお嫌いでなかったかしら」
「いえ、大好きです。──あ、母さん。父さんは? あ、やっぱり。あのね、今後輩の子の家に──そうそう、白河君。で、お家の方にお夕飯誘われたんだけど──」
ぼくが口を挟む暇もなく、トントン拍子に話がまとまっていく。
というか、何で先輩のお母さんがぼくの名前知ってるんだ……何だか着々と外堀を埋められているような気配に、ぼくは身震いした。
「──はい、家の了解取れました! 改めてご相伴にあずかります」
パタンと携帯電話を閉じる音を立てつつ、朝倉先輩はにこりと微笑んだ。
「そう、よかったわ。じゃ、もうすぐ出来るからかけて待っててね」
「はい、失礼します。……どうしました、速人君? そんな所にお立ちになっていないで、どうぞ速人君もお座りください」
「あ、はい。……ぼくの家なのに、何だかぼくの方がお客さんみたいな感じだな」
先に食卓についた先輩の隣に並んで座る。二人して何も言わず、ただトンカツが揚げられていく台所をぼうっと眺めていた。
「──揚げたてのトンカツって、いいですね。初めてトンカツを食べた時の衝撃は、とても忘れられません。──まあ、さっきまで忘れていたんですが」
ふと、朝倉先輩が小声でささやいて、クスクスと笑う。ぼくは一時首を傾いで、すぐに過去の出来事に思い当たり、同様に小声で話しかけた。
「ああ、マランのアインツ領でしばらく逗留した時のことですね。豚の畜産が盛んな地域なのに、丸焼きにするか煮込むかしか料理法がなくて──」
「ええ。それでハイアート様、もう焼くか煮るかの二択は飽きたと言って、ご自分でトンカツを作られてしまいましたね。あの後、どうなったかご存じですか?」
「『速人』です先輩。どうなったって、どういうことですか」
「ああ、申し訳ありません。──その後、トンカツがアインツ領の名物料理になってしまい、マラン王までがあんな片田舎にまで頻繁に食べに訪れるようになってしまったそうですよ?」
「ええー……えらいことしちゃったなぁ」
「ハイ……速人君はご自身がダーン・ダイマに与えた影響がいかほどのものか、あまり把握してらっしゃらないのですね。その分ですと、ダーン・ガロデ南方のトウガラシをミムン・ガロデの北方小国群に持ち込んだ後にどうなったかもご存じないのでしょう」
「い、いや、聞かないでおこう。何か怖いから」
ぷるぷると頭を小刻みに振る。その時、ちょうどテーブルの上に食事の用意がすべて整った。
「はい、お待たせ。朝倉さん、遠慮しないでたくさん食べてってね」
「はい、いただきます」
「……いただきます」
手を合わせてから、ぼくたちはほぼ同時に美しく黄金色に揚がったトンカツをひとかじりする。
美味い。
少なくとも、ぼくがアインツ領で作ったものより数段上の味だ。揚げ油の質の悪さもあったが、何より中濃ソースまでは用意できなかったのが大きな敗因だ。
「んん、美味しいです。やっぱり揚げたてが一番ですね」
「お家では、揚げ物はしないの?」
「うちは共働きで、父さんの帰りがいつも遅いので、あまり手のかかる夕飯は作らないんです。トンカツや唐揚げは、出来合いのお惣菜ばかりですね」
朝倉先輩が苦笑して答えると、母さんは寂しそうな表情になった。
「それは残念ねー。よければまたご飯食べにいらしてね」
「母さん、無理言わないでよ。先輩からしたら学校から気軽に寄れるような場所じゃないんだから」
そう何度も来られては困る、というのが本音だが、学校から見ればウチは呉武駅と真逆の方向なので、先輩の帰宅ルートから寄りづらいのは間違っていない。
「また何かのご用事がある時のついででいいのよ。──それはそうと、速人。前々から訊きたかったんだけど、こちらのお嬢さんとはどういう関係なの?」
「え、えっと、最初は、朝倉先輩がぼくの顔をどこかで知ってるってことからで──結局、その、どこでってのは思い出せなくて」
「きっと、前世でお会いしたのかなと。ね?」
こちらを見て、先輩が歯を見せて笑う。本当のことだけに、リアクションに困る。
「──そのあと、体育倉庫の火事の件でまた関わって以来、なし崩しに先輩と接点を持つようになったんだけど……」
「大体、私が色々とお願いすることにつき合っていただく形ですね。速人君はとても頼りがいのあるお方ですから──」
「いや、確かにそうですけど──そこまで持ち上げられるほどのことはしてないですよ」
「そんな謙遜しないでください。何度も速人君に助けていただいて──そうでなければ、私の力ではどうにもならなくて死んでました」
いやいや。君が魔物や魔素中毒者に襲われたりしたことは、それとはまた別の話だよね?
「……ふーん。いつもはやる気なさそうにしてるのに、やる時はやる子なのね。──それで、速人?」
「何?」
「あんた、どっちが本命なの?」
みそ汁をブッと吹いた。
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