異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第二十六話(三)「別れが辛うございます!」
岩肌の天井を照らし、そこからぶら下がっている、巨大な影を浮かび上がらせる。
古文書にあったとおり、それは、クモの形を模していた。
優に十メートルは超える黒い巨躯は、よく見れば細い糸を編んだ足場に張りついて、空中にいるかのように見えている。
「来るぞ、構えろ!」
グークが盾に半身を隠しながら前に出る。大グモの魔物は、想像よりはるかに素早く、カサカサと糸をたどって地上のぼくたちに迫っていた。
ヘザの火炎弾と、一瞬遅れてぼくの魔力弾が駆け抜けて、魔物の頭胸部を打つ。
それらが直撃した部分は、多少削れ輪郭がゆがんだように見えたが──またたきをするほどの間に元に戻ってしまっていた。
「効果がありません、ハイアート様」
「……凝結した魔素の密度が高すぎて攻撃が通らないだけでなく、内部で飽和した魔素で欠けた部分がすぐに補完されてしまうのか──みんな、少しの間だけ持ちこたえてくれ!」
急ぎ、諸手の内に魔力を蓄えていく。
落下のダメージによろけながらも、ナホイが立ち上がって槍を上段に据えた。喊声を上げながら赤くギョロリとした眼球のついた頭を狙って素早く刺突を繰り出すが、大グモの鋭くとがった足の先と打ち合いになり、なかなか本体まで攻撃が届かない。逆に大グモの足もナホイの巧みな槍さばきにいなされていたが──
唐突に魔物の口元から吐き出された、細く長いクモの糸を模した魔素がナホイの槍の先に絡みついた。
「なっ……!」
反応する暇もなくナホイの身体が振り回され、地面に叩きつけられる。
気を失ったのか、彼は仰向けのままぐったりとして動かなくなった。
「くっ、ナホイ殿!」
大グモは巨大な槍の穂先のような足先を、倒れたナホイに突き立てんと振りかざした。
そこに割り込んだグークが、振り下ろされた足に盾をかち合わせる。
不快な金属音が響き──
クモの足先は、盾と、重厚な板金の肩当てを易々と貫いて、グークの左肩をえぐっていた。
「ああぁぁぁっ──! は、ハイアート──……!」
グークが悲痛な声を上げる。ぼくの背後に隠れているブンゴンが、ひっきりなしに外衣を何度も引っぱった。
「旦那、急いでくだせぇ! 王子様がやられちまいます!」
「分かってる──行くぞ!」
右手と左手に二つの術式を形成する。
一つは魔力弾。
もう一つは、術式を転写して二倍に増やす、名づけて「コピー術式」だ。
左手のコピー術式に魔力を突っ込んで、右手の術式を二つに増やした。
さらに左手の魔術を発動させ続ける。
四倍。八倍。十六倍──
ぼくの手前に、銀にきらめく、おびただしい数の術式がズラリと広げられた。
「バカな……一体、いくつの魔術式を同時に制御するというのだ……!」
「何てことはない。たったの──六十四個だ」
「……呆れてものが言えぬ。ハイアート殿、やはり貴殿は──バケモノだ」
グークが苦痛に顔をゆがませながら苦笑いを浮かべたと同時に、六十四発の銀色の弾丸が次々と飛翔していく。
それらが大グモ魔物の頭胸部へと連続で炸裂する中、グークを突き刺した前足が根元からもげて、グークはどうと尻もちをついた。
「……やったか?」
おいグーク、生存フラグを立てるんじゃない。
やがて魔力弾のスパークが収まり、強烈な魔力で合計六十四回殴られた、大グモの姿が露わになる。
腹部と足の先だけを残して、クモのクモとしての大事な部分が、綺麗さっぱりなくなっていた。
魔物の腹と足が力なく地面に転がり、その強靭さからかしばらく形を保っていたものの、表面からおもむろに魔素が解きほぐれていくのを見て、ぼくはようやく安堵をついた。
グークのフラグにも見事打ち勝ち、言い方に語弊はあるが、太古の強大な魔物が今、死んだのだ。
「グーク、ナホイは……」
「ああ、確認しよう。おいナホイ殿、まだ生きているか」
グークは大の字になったナホイの頬を平手で軽く叩く。と言っても、ナホイのかぶとの上から手甲で叩くので、ペチペチではなくカンカンと高い音がしていた。
「……うるせぇ! せめて素手でやってくれよ、耳がキンキンする」
ナホイが首をもたげて怒鳴ったので、ぼくはもう一度、安堵のため息をついた。
「元気そうだな。動けるか」
「それはちょっと無理だな……あちこち骨折か脱臼していて……脚の方は痛むが、そこまでの怪我はしてねぇと思う」
「とりあえず、布で巻いて上半身を固定するか。少し待っていろ」
自分も肩に大ケガをしているにも関わらず、グークは有無を言わさずナホイの手当てをテキパキと始める。本当にあの男の体力はどうなってるんだ。
それにしても──ひとつ、腑に落ちない点がある。
確かに、あの魔物は並の強さ、大きさではなかった。
しかし──魔素の影響だったのだろうか。
ぼくが最初に感知した中央広場の魔物は、これよりもっと、ずっと大きかったような──
「だ、旦那、後ろ! 天井に!」
怖れを含んだブンゴンの叫びに、ぼくははっとして振り返った。
先に打ち上げた光球の照らす中に、音もなくのそりと黒い巨大な影がのぞき──
「危ない!」
反射的に、ぼくはブンゴンを突き飛ばした。
その一瞬の隙に、魔物の口から吐き出されたものがぼくの身体を覆った。
クモの糸だった。
ぼくは尻もちをつく形で、首から下を粘着質に変化した魔素の塊で縛られ、地面に貼りつけられてしまった。両手も、床についた状態でまったく動かせなくなっている。
うかつだった──あの巨大な魔物の反応は、二体分のものだったのだ。
手の自由が利かなくては、精霊力も放つことも、術式を描くこともできない。
この大グモ魔物も、前足をもたげ、やはり同様に俊敏な動きで迫ってくる……。
「──魔力に命ず! ぼくの前方十ゾネリ先に三ネリ四方の壁を──」
……ダメだ。詠唱法では、もう間に合わない──
その時。
ぼくと魔物の間に、人影が、割って入った。
それは怒号と共に、瞬間的に膨大な火精霊力を放出し、激しい炎の柱を立ち上らせた。
おそらくは、彼女の持てる力をすべてぶつけた、渾身の一撃だった。
その紅蓮に身を焦がしながら、大グモ魔物は──炎の柱を引き裂いて、ひるむことなく、突進してきた。
ダメだ。逃げろ、ヘザ──
しかし、彼女はその場に立ち尽くしたまま、ふっと、こちらを振り返った。
そして……。
悲しそうに微笑んだ。
「やめ──」
魔物のとがった足先が、ヘザの腹部から入り、背中まで貫通した。
「ぐぅ…….っ!」
うめき声を上げ、足を踏ん張り、前足の攻撃を抱き込んで食い止めようとする。
ザーッと後ろに引きずられながらも、その勢いは、ぼくの眼前で止まった。
「……へ……ザ……」
「は、ハイアート、様……ご容赦ください……!」
彼女は振り向き、右手をさっと振り下ろした。
一瞬、ぼくの身体を熱風が駆け抜けて、ぼくを縛っていたクモの糸がまたたく間に焼き切れる。
熱の余波であちこちがヒリヒリと痛んだが、そんなことに向けられる意識は、かけらもなかった。
ぼくの数十年の人生で、初めてのことだ。
頭が真っ白になるほどの「怒り」を覚えたのは。
ぼくはオド老師に限界知らずの力を持っていると聞いて以来、どこかで無意識に心にブレーキをかけて、術を使っていた。思いもよらないことが起こることを怖れていた。
だから、これも初めてだった。
我を忘れて、タガの外れた、全力の精霊術を放つというのは──
「うおおおおぉぉぉ────!」
ただ、向けた手のひらから、火炎を放つだけの術。
しかしその火の玉は──魔物の体躯の何倍もの大きさで、あまりに高熱すぎて白い炎色となるようなものだった。
「──だっ……旦那……!」
ブンゴンに泣きそうな声で呼ばれ、ぼくははっと我に返った。
そこにいた巨大グモの魔物は、魔素すら残さずに消え失せていた。その辺りの地面や天井の岩肌が、ところどころ溶岩と化して赤く焼けただれていた。
無意識のうちに、ぼくは左腕でヘザの身体を抱きとめていた。胴体の真ん中を貫いたクモの足は霧散して消えていたが──その破壊の跡は、無惨に残されたままだった。
「ヘザ……ヘザ……!」
名前を呼ぶと、彼女は薄目を開けて、かすかに微笑みをたたえた。
「ハイアート……様。ご無事で──私、は……」
かすれた声を上げるたびに、口元から、赤い滴りがあふれた。
「ヘザ、ダメだ。何も言うな」
ゆるゆると首を振る。ヘザは、笑みを浮かべたまま、ぼくの顔を見つめ返している。
「……ハイアート、何してんだ……ヘザを治してくれよ、魔術で……!」
ぼくとヘザの周りを、いつの間にか、ナホイとグーク、ブンゴンが囲んでいた。ぼくはナホイに向けて、眉間にしわを寄せてかぶりをふった。
「無理だ、ナホイ──内臓がつぶれている。内臓の構造を正確に修復しなければ……ぼくには、その知識や技術が……ない……!」
「……クソっ……!」
ナホイはひざをついて、握りしめた右こぶしを地面に叩きつけた。グークもブンゴンも、ただただ、悔しそうに顔をくしゃくしゃにしている。
「……ハイアート様、私、は、幸せです。あなた様、に、看取られて、逝けることを……誇りに……思い、ます……」
「ダメだったら。ヘザ、もうしゃべらないでくれ」
ぼくは哀願するが、ヘザは、わずかに首を左右に揺らした。
「……あなた様に、お逢い、できて……私のすべてを、捧げて……尽くせまし、た、ことに……満足、して、います……。
あの夜、あの場所に、悔いを置いていけなかった、心残りは、あります……が……ハイアート様が……望んでくださった、私の、未来……失くしてしまうこと、申し訳……。
……ああ、もう……何も見えません。
何も聞こえません……。
ああ、ハイアート様。別れが辛うございます!
ハイアート様!
ハイアート様……!
ハイ……」
不意に、言葉が途切れた。
その目は、もう、何も見てはいなかった。
ダメだ。
まだダメだ。
ヘザ、まだ、まだ──逝ってはいけない。
ヘザを逝かせない。
逝かせてなるものか。
ぼくは、ありったけの魔力をかき集めて、両手で術式を描いた。
「魔力の手」だ。
召喚魔術に使われる大魔術のひとつで、「魂」に触れられる、唯一の手段。
ヘザの魂は、じきに世界との「縁」を断たれ、肉体を離れて旅立ってしまう。
その前につかまえる。
どうやって「縁」をつなぎ直すのか。
どうやって肉体を魂に戻すのか。
分からない。
分からないが、今、魂をつかまえなければ、ヘザは消えてしまう。
どうするかは後で考える。
今は、ヘザを──ヘザをどこにも逝かせないことだけが、ぼくにできることだ。
見えない「魔力の手」で、見えない「魂」を、手探りで探す。
いない。
いない。
どこだ。
いない。
気はあせるが、静かに、小さな手触りも逃さぬように、慎重に、「手」を動かす──
その「手」が、かすかに、何かを感じ取った。
触った。つかんだ。
パッチン!
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