異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第二十六話(二)「歯ァ食いしばれえぇぇ!」
ぼくがベッドから立ち上がり、ひざまずくヘザの首の周りに両腕を回すと、彼女はびくりと身をこわばらせた。それから、ぼくは手にしていた掛け布を背中からふわりとかけて、彼女の身体を包み込んだ。
「……ハイアート、様……」
「──だったら、相手はそのように思ってくれる男でなければいけないだろう──そしてそれは、ぼくじゃ、ない……」
冷静に話すつもりが、言葉尻が震えた。
ヘザは顔をうつむかせたままの姿勢で、しばしの沈黙を経て、のどの奥からしぼり出すような声で言った。
「……お心が欲しいとは申しません。この一時、この場限りでよいのです。ただ、悔いをここに置いていきたいだけなのです……どうかご命令を……お慈悲を……私にください……!」
何も、欲しがらない人だった。
食堂に連れて行って好きなものをどれでも食べていいと言っても「ハイアート様と同じもので」としか言わないし、市場で君も何か買うといいと言っても「私の分のお金はご自身のためにお使いください」としか言わない女性だった。
そんな彼女が、こんなにも渇望し、恥も厭わずプライドもなく食い下がって、たった一夜限りの契りを求めてくる。
この二分ほどの間に、十年近い年月をかけて築いたぼくとヘザとの間の「常識」がひっくり返されてしまった。
それは頭がクラクラするほどの衝撃でもあったが──反面、必死に貫いてきた信念や倫理を揺るがすほどに、「嬉しい」という思いが胸にあふれてたまらない。
その喜びを、ありのままに受け入れたい。
意図せず、ぼくの両手が、彼女に向けて伸びていた。
このまま、その白くなまめかしい肢体を抱きしめてもいいのだ。その血色のよいつややかな唇に口づけてもいいのだ。
そして──
「ダメだ!」
ヘザの両肩をつかんで、ぼくは叫んだ。荒い息を何度もついてから、か細く、言葉を紡ぐ。
「ヘザ──君は頭がよくて、高潔で、素晴らしい女性だ。だから、ちゃんと現れる──本当に君を愛して、大切にしてくれる男性が……そういう者と共に生きて、幸せになるんだ」
これでいいんだ。
彼女の「これから」をずっと見守ってあげられる、ぼくではない誰かのために、彼女にはぼくの足跡をひとつも残さない──
「……できません。私は、あなた様以上に──」
「ダメだ。君に命じることは何もない。もう自分の部屋に戻ってくれ──ここにいられては、鬱陶しくてかなわない」
途中から鼻声になってしまったことをごまかすように、ぼくはベッドに寝転がって、彼女に背中を向けた。
永劫に思えるような数秒の沈黙のあと、彼女が立ち上がる気配を背後に感じた。
「……はしたない真似をして、誠に申し訳ありません。ご容赦ください──失礼します」
やがてバタンと扉の閉じる音がして、ぼくは、深い深いため息をついた。
許してほしいのは、ぼくの方だ。大恥をかかせた上に、つい言いすぎてしまった。
言葉の悪さだけでも謝りたいが、今から追いかけていってというのも、非常にきまりが悪い──
コンコンと、部屋の戸を叩くノックが聞こえた。
「ヘザ……?」
まさか、戻ってきたのか──ぼくは弾かれたようにガバっと起き上がる。と同時に、扉が勢いよく開いた。
「ヘザ様でなくてすいませんっスね。夜分遅くにおじゃまするっスよ」
戸口に現れたのは、かつて見たことがないレベルで不機嫌な表情のモエドさんだった。憤怒とか嫌悪を感じさせるオーラの出力が半端ない。
「モエドさん! え、えっと……もしかして、怒ってらっしゃる?」
「見て分からないっスか? まぁ、ヘザ様をあおったあたしにも責任はあるっスけど、ハイアート様がそこまで頭が固いとは。一発ヤっていいってんだからヤったらいいじゃないっスか」
「露骨! もうちょいモロモロに包んで言いましょうよ、そういうことは──ってモエドさん、さっきの聞いてたの?」
「心配だったっスからね、こっそりヘザ様のあとを尾けて──あ、もちろんおっ始まったら早々に退散するつもりだったっスよ?」
「やめて。その顔でゲスい物言いするのやめて」
「その顔って、どの顔っスか」
そのお人形さんみたいなロリータ顔だよ、と言いたい気持ちをぐっとこらえる。
「……それはともかく、ヘザ様がどんなお気持ちであんな無茶をなさったか、お分かりなんスか?」
「……それは、分かっているつもりだが……」
「分かってないっス。ヘザ様は──うっかりあなた様と殿下の会話を立ち聞きして、殿下の戴冠が終わればもう二度と会えなくなることを知ってしまったんスよ!」
この短時間に衝撃的なことが何度も目まぐるしく起こったが、正直、これが一番ショックだった。
ヘザは全部を知っていて、その上で──
「ぼ、ぼくは……行かないと。ヘザの所に──」
「今さら行って何ができるんスか。ヘザ様のことは、しばらくそっとしておいてほしいっス──てなわけでハイアート様、分かったっスか? 分かったなら、さっさと後ろを向くっス!」
モエドさんの妙な迫力に、ぼくは思わずさっと振り向いて、彼女に背中を向ける格好になった。
「足を肩幅に開いて、ベッドに手をつくっス。早く!」
言うとおりの姿勢になったところで、モエドさんが何をしようとしているのかが分かり、過去の痛烈な記憶に尻がムズムズした。
……ぼくには責任がある。受けて立とう。
「いい子っスね。じゃあ、行くっスよぉ……歯ァ食いしばれえぇぇ!」
あの小さな身体のどこにそんなキック力があるのだろう。
ぼくは思うさま絶叫して、ベッドに突っ伏した。
「明日に差し障りがあるようなら、治療魔術師を寄越すんで言ってくださいっス。それじゃ、おやすみなさいっス」
来た時と同様に、モエドさんは派手な音を立てて扉を閉め、部屋を後にする。
翌朝に大きく腫れ上がった尻は、自分で治療した。
魔王城の西側で最も近い二番出口から大洞穴へ進入し、今回は「縦糸」をまっすぐ、「中央広場」と思しき場所を目指す。
「ハッ!」
高さ三メートルを超える、しかしドロドロのスライムのような表面の人型の魔物に、三発の火炎弾が次々に突き刺さる。上半身と下半身が生き別れになると、それぞれがさらに形をなくして霧散していった。
「……他に敵影なし。皆、ケガは──」
「ありません」
グークの戦闘終了後恒例の安否確認に、ヘザがぴしゃりと答える。冷淡さを感じる言い方だった。
「旦那、ヘザの奴……何か怖いですねぇ。旦那と何かあったんですかねぇ?」
「何でぼくが原因だと思うんだよ」
実際、ぼくが原因なんだけど、それをつまびらかに説明するわけにもいかない。
「失礼しやした。あいつの機嫌がいいも悪いも、結局旦那絡みでしたんで……いつもより精霊術のキレがいいのは、結構なんですがねぇ」
「……ブンゴンは、ヘザの機嫌がいいとか悪いとか分かるのか」
「ええ、割と──旦那は分からねえんですかい?」
ブンゴンにすら伝わるようなことなのに、一番そばにいるぼくがそれに気づかないのか──
「ああ。ぼくは……とんでもない唐変木だからな」
苦虫を噛みつぶしたようなぼくの顔を、傍らのグークが神妙な面持ちで見て、短く吐息をもらした。
洞穴は徐々に下りの勾配がついており、進むにつれて魔素の濃度も高くなっていた。
ここまで濃いと、染性があるダーン・ダイマの人間でも、魔素の毒性に耐えられないのではないかと不安になる。
「ナホイ、気分はどうだ。イライラしたり、思考が鈍ったりはしていないか」
ぼくは、特に抵抗力の低いナホイに声をかけた。彼はかぶりを振った。
「いや、別に平気だが──」
「ハイアート様。魔素中毒がご心配であれば、『魔素封じ』の術式を施してはいかがでしょう」
ヘザの進言に、ぼくはそうだ、と言って手をポンと鳴らした。
「ナホイ、ちょっとだけじっとしててくれ。二秒で終わる」
足を止めたナホイの革鎧の背中に、さっと術式を描いた。最初に起動のために魔力を込めてやれば、あとは体内の魔素を魔力に変えて無害化し、そのまま魔術維持のためのエネルギーとして消費されていく。
「もういいよ。これで大丈夫だ」
「おう? 何をしたか分からねえが、急に息がしづらい感じがなくなった気がするぜ。ありがとよ」
にこりと笑って、ナホイは再びトンボをかける作業に戻っていった。その背中を追いながら、ぼくはヘザに小さく頭を下げた。
「ありがとう、ヘザ。いつも助かるよ」
「いえ……私の、務めですから」
視線をこちらに向けることもなく、ヘザは淡々とした口調で言った。
長官と参謀、騎士と従者という、ぼくたちの関係が変化したわけではない。彼女はその役割を、何の問題もなく務めている。
それだけに、彼女の心が見えない。
怒っているのか、泣いているのか。
恨んでいるのか、それとも、まだ──
「……!」
不意に、それが襲ってきた。
驚くほどの不快感。重苦しい気配。
この感覚は「魔物感知」で知覚したものに間違いないのだが──その規模や圧が、かつて感じた最大のものと比べても桁が三つぐらい違う。
「……旦那? どうしやしたか、すごく気分が悪そうですが──」
「ブンゴン。この先まっすぐに千ネリ程度行った先には、何がある?」
血相を変えて、ブンゴンはバッグから地図を取り出した。指先で丹念に距離を何度か測り取り、おもむろに地図から顔を上げた。
「旦那、間違いありやせん。この千ネリ先は、大洞穴のど真ん中──『中央広場』ですねぇ」
「ハイアート殿……まさか!」
眉間にしわをよせた険しい表情で、グークが訊いた。ぼくは小さくうなずきを返す。
「ああ、いる。常識を超えたとんでもない魔物の反応だ……グーク、みんな。約束してくれ。この戦いに勝つのみならず──生きて帰ることを」
全員が顔に緊張をたたえ、静かにうなずいた。
「ハイアート、先が広くなっているぜ。ここが噂の『中央広場』じゃねえか」
身を低くして進むナホイが振り返り、小声でささやいてきた。
「最大限に警戒して進んでくれ。この辺りは魔素が濃すぎて、感知がまったく効かないようだ」
「了解だ。ブンゴン、ヘザ、王子も周囲をよく見張っててくれよ」
足音を殺して、一行は急に開けたその空間へと踏み込んだ。
そこは、ランタンの灯りが心細く感じるほど広かった。天井も光が届かず、ただ暗がりが満ちていた。
「思った以上に広いぞ。どう探索すべきだろうか」
「まず、広場の大きさを確認しやしょうか。壁伝いに歩いて一周してみようかねぇ……ここに戻ってきたら分かるように、この入口に何か目印を置いていきやしょう」
「分かった。目印はぼくが作ろう」
ぼくは指先で地面に術式を彫り込み、光精霊力を込めて魔術を起動させた。小さい光の玉が、術式の上にふわりと浮かび上がる。
「こりゃ分かりやすいですねぇ。それじゃ、出発しましょうかねぇ」
ぼくたちはそろりそろりと、広間の外周に沿って歩き出した。途中にいくつか脇道が穴を開けており、この数だけ放射状に伸びる洞窟があるのだろうと想像がつく。
歩き続けて、腕時計の表示が一時間弱の経過を示す頃、遠くにポツンとした小さな光が見えてきた。どうやら元の場所に戻ったらしい。
「一周およそ一三七〇ネリ。直径四三〇ネリ程度のほぼ正円に近い形をしてやす。ここからの通路は二十二本で、出口の全体数と一致してるねぇ」
「よし、ここからが本番だ。ここから中央へと向かい、例の魔物を検索し、討伐する……八方を警戒できるよう、隊形を円陣にしよう」
各人が正五角形の頂点に立つように、陣形を作る。それぞれが外側に向いた方向のみに注意を払いながら、ゆっくりと円の中心ににじり寄っていった。
五十メートル……百メートル……見通しのきかない闇に囲まれた中を、じりじりと進んでいく。
「……あれ? 今何か、グニっとしたものを踏んだような──うわぁ!」
ナホイの声に振り返ると、彼は逆さまになって、三メートルぐらいの高さで、宙に浮いていた。
何が起きているのかぼくがまだ把握できないうちに、ヘザが小さな火炎を放った。ナホイの足元でパッと何かが燃えて、彼の身体がストンと落ちてきた。
「旦那! 天井です!」
ブンゴンが叫んだと同時に、ぼくは光球を頭上へと撃ち放った。
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