異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第二十五話(二)「使えねえお巡りどもめ!」
「ハム子、頭を下げろ──!」
「へ?」
事態を察していないハム子に問答無用で飛びつき、頭をぐいと押し下げる。彼女の上半身を自分の全身で覆い隠すようにして床に伏せさせた直後に、耳がおかしくなりそうなほどの炸裂音が轟いた。
陳列棚が激しく揺れて、諸々のガラクタ──失礼、オシャレな雑貨が雨あられと降り注ぎ、ぼくの背中を打ちすえる。とがった物があったらヤバかったが、青アザを二、三箇所こさえる程度ならお安いものだ。
数瞬遅れて、辺りに阿鼻叫喚が満ちる。振り返ると、逃げ惑う客と店員に見え隠れする巨大な車体が、店内にめり込んで止まっていた。
危ない危ない。アレがもう数メートル暴走してたら、異世界に転生するところだった。
「……ハム子、ケガしてないか」
「うん……すごい音がしたのだ。何があったのだ」
そうっと身を起こして、同時にハム子の上体を引き起こしてやる。トラックが目に入ったのだろう、彼女はひゃあと叫んで目を丸くした。
「よし、じゃあ立って。壁や天井が崩れるかもしれないから、早く裏から外に出るんだ」
ぼくは店の奥、非常口の表示灯がある場所を指差して、ハム子の肩口をグイグイ押した。ハム子は少しよろけるが、歩き出そうとしない。
「え、やだ。ハヤ君も一緒に──」
「ぼくはケガで動けない人がいないか見てこないといけない。男はぼくしかいないんだ、ぼくには責任がある──ほら、早く行け!」
最後にドンと強く背中を押すと、ハム子は泣きそうな顔をして、非常口に殺到する人ごみの中に消えていった。
ぼくはふっと息をつくと、店内に散乱する正真正銘のガラクタとなったものを踏み越えて、トラックの周囲を手早く捜索した。幸いにも犠牲になった人はいなかった。
続けてトラックの運転手席に乗り込み、そこで気を失っていた、ぼくより少し若いぐらいの男性を視る。特段、濃い魔素をまとっている様子もなく、中毒にかかっているわけではないようだ。
単なる交通事故だったように見えるが、それでも救助する必要があることに変わりはない。ぼくはぐったりしている男を運転席から引っ張り出して背中に担ぎ上げた。
ふと、運転席を出る際に、車体の右側に大きなへこみが出来ているのが目の端に映る。
店内に突っ込んだ時にできたものではないと思われる位置にあるそのえぐれた跡から──黒くもやらかなものが、かすかに漂い出ていた。
ぼくは顔を曇らせて、破れたガラスの隙間から店外にはい出ると、運転手を歩道の脇にそっと横たわらせた。
これだけの大事故があったのに、周りに野次馬がたかるようなこともなく──通りにはあちこちからホラー映画のような悲鳴が飛び交い、あわてて走り去っていく人々の姿がある。
まさかこんな、白昼堂々お出ましとは──
トラックの事故と周辺のパニックの原因を察して、ぼくは再び店内にすべり込んだ。
置いていたスポーツバッグをひっつかんでトラックの陰に潜み、こそこそと『ウィザード』変身セットを装着する。
ここから、いつもならどう魔力を調達して戦うかが悩みのタネなのだが、今回は秘策がある──
ぼくはスポーツバッグから、さらにもう一着の外衣やブーツを引っぱり出した。これを詰め込んでいたせいで、逆にバッグに体操服が入らなくなるという本末転倒な事態を招いたが、早速役に立つ時が来た。
向こうから帰ってくるたびに増えていくこれらの品は、内部に魔素を含んでいる。魔力の吸収にかかると、瞬く間に魔素を搾り取られた外衣やブーツは細かい繊維くずと化し、ぼくの右手にはそこそこの魔力が宿った──魔術を行使するには乏しいが、武器に付与するには十分だ。
ぼくは辺りを慎重に窺い、トラックの荷台の陰を伝いながら店の外に出ると、通りを駅前と逆の方から走ってくる人々がぼくを見て、ぎょっとして立ち止まった。
「あっ、う、『ウィザード』?」
「本物か?」
まいったな、今やぼくはすっかり有名人だ──ぼくは仮面の奥で、眉根を寄せた。
「……本物か、ニセモノかだと? どっちでもいいだろ、アレを倒せりゃ! おまえら、向こうから逃げてきたが──アレはあっちにいるんだな?」
あえて恫喝するように野太く声を張り上げると、全員が黙ってこくこくとうなずいた。
「分かった。じゃあ、早く遠くへ逃げとけ──とばっちりを受けて死んでも、賠償金は出ねぇぞ」
ずいと一歩進み出ると、モーセが海を割くように人の群れが左右に分かれる。ぼくは徐々に早歩きから駆け足へとスピードを上げ、その狭間を走り抜けていった。
やがて人の姿は消え、代わりに路上に放置された自動車が多数見られるようになった。そのどれもが車体にくぼみを作られたり、ひっくり返ったりしている。
──パン、パン!
不意に、爆竹のような高い破裂音が聞こえて、手近な乗用車の陰に身を隠した。
おそらく──あれは銃声だ。
よく映画やドラマで耳にするものは、迫力を増すための合成音で、実際は短く乾いた音だと聞いた憶えがある。今のが本当に銃声だとすれば……。
ぼくは車の陰から陰へと移りつつ、それが発せられた方へと少しずつ接近していく。その間も発砲音らしき音が数発響いていた。
音の発生源らしき場所を、横倒しになったワゴン車の後ろからそっと覗き見る。
いた。
濃厚な魔素の気配を漂わせる真っ黒なその姿は、ヒョウに似ていた。
ただそれは実際のヒョウよりふた回りぐらい巨大な上に、水牛のようなバカでかいツノを頭から生やしている。これまでに見た車体のへこみは、あのツノが原因に違いない。
そのヒョウ魔物の赤い瞳が狙いをつけているのは、拳銃を向ける二人の警察官だ。怯えきって青い顔をしながら、すでに弾を撃ち尽くしたとみられるリボルバーの撃鉄をカチカチと言わせている。
魔物がじりっと一歩出る。警察官たちは背中を向けて逃げ出すのも恐ろしくて、動けないでいるようだ。
彼らを助けるのは当然だが、何よりもあの拳銃が使えたなら……弾丸に魔力を付けてやれば、最も強力な攻撃手段になるはずだ。
そっと人差し指を差し向け、小さく術式を描くと、細く細く威力を集中させた魔力弾を魔物の尻に撃ち放った。
針でチクリと刺したようなものでしかないが、確実に注意を惹くことはできるはずだ。ぼくはすぐに再び身を隠して、警察官たちの側面に回り込むように忍び足で歩み寄った。
軽自動車の窓越しに様子を見ると、魔物は魔力弾を撃った相手を探してウロウロしているようだ。ぼくは隙をみて、呆然と立ち尽くしたままの警察官らにざっと駆け寄った。
「あっ、あれ──」
「名乗るほどのモンでもねえが、さすがにアレ呼ばわりは失礼だろ。それより、銃の予備の弾はあるか?」
一気にまくしたてると、警察官たちは目を丸くしながらも、首を横に振った。
「ハッ、使えねえお巡りどもめ! じゃあもう用はねえ、二階級特進したくねえならここからさっさと逃げろ!」
剣を抜き、ギラギラした刃を見せつけながら怒鳴ると、警察官は一目散に駆け出していく。この非常時にまで銃刀法違反で逮捕しにくるほど遵法意識の高い連中でなくてよかった。
さて、あとはアレのお相手か──
と、魔物を振り見ようとした瞬間、目の前に奴のツノが急迫していた。
剣を横一文字に構え、峰の部分をぶつける。
衝撃と共に、ぼくは気分の悪い浮遊感を覚えた。
身を縮め、アスファルトの上をゴロリゴロリと転がって勢いを殺す。最後に荷台の空いたトラックの車輪に背中が当たって止まったが、息をつく暇もなくヒョウ魔物の二度目の突進が追いかけてきていた。
すぐさま、トラックのシャーシの下へと頭からすべり込む。
ガシャンと音が響いて車体がグラグラ揺れる中を、ほふく前進でトラックの反対側へと回った。魔物はぼくと同じルートを追いかけようとしているのか、その狭い隙間に頭をグリグリと差し入れようとしている。
好機とみて、ぼくは荷台の上に躍り込んだ。ここからなら、奴の首筋を狙うことができる。
手中に残るわずかな魔力のすべてを剣身にはわせ、切っ先が銀色にほの輝く。意を決して、ぼくは剣の先を下に向けて飛び出した。
──ガキッ。
不意をついたかに見えた一撃は、おそろしく堅い魔物のツノに阻まれた。首元に突き刺さる寸前に頭を上げ、巧みにその刃を受け止めたのだ。
「しまっ──うわあぁぁーっ!」
魔物は剣をぼくの身体ごと背後に放り出し、ぼくは数メートルの距離を舞った。
アスファルトに叩きつけられても、意識が飛ばなかったのは幸いだった。
しかし全身の痛みに、なかなか起き上がれない。首だけをねじって魔物の方を向くと、間髪を入れず飛びかかろうとしているのが目に入った。
剣の魔力も、すでに失われている。
これは、さすがに死ぬな。
今までが運がよすぎただけで、こんな無茶な戦いをいつまでも勝ち続けられるはずがなかったのだ──
「ギャウッ!」
ガッと鈍い音がして、ヒョウ魔物が吼えた。奴の目に突然、素早く飛翔する何かがぶつかったのだ。
魔物は一瞬動きを止め、目に当たったそれが地面にコツンと落ちる。
カーボン製の軸を持った、矢だった。
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