異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第二十話(一)「まるで変身ヒーローにでもなった気分だ」
朝倉先輩と共に、ぼくは体育館裏の小庭へとやって来た。
以前、下関が不良たちに絡まれていた所だ。ここだけは文化祭の騒がしさもどこ吹く風の静けさを保っている。
「よし白河君、この辺りから捜索を開始しよう」
「分かりました。お互い、あまり離れずに探しましょう」
先輩は体育館の床下換気口を覗きに向かい、ぼくは使われなくなった焼却炉の周辺をうろうろとした。
魔物の姿はもちろんだが、魔素の澱みにも注意を払う。
しかし、魔物の痕跡はまったく見て取れなかった。
「白河君、何か見つかったか」
「いいえ、何もありません。他を探しましょう」
場所を校庭に面した側へと移す。校庭の方でも多くの出し物が開かれているため人の往来が多く、ここに魔物がいたなら目撃者がもっと出ているはずなので、可能性は低い。
ぼくは校庭を隔てる植え込みをかき分けたりして探すも、目につくようなものは見つからない。
「どうでしたか、先輩」
「いや、まったく。黒い野犬か何かをそう思い込んでしまったと考えたいが……白河君、君はそれが潜みそうな場所に、何か心当たりはないのか」
朝倉先輩が、イラつきを表すように髪の毛を指の先に巻きつけてもてあそびながら、乞うような目で訊ねる。
魔物のことについて、あまり詳しく話すことはしたくないが……本当に魔物がいるのだとすれば、被害が出ることを防ぐ方が大事だ。
何より、ぼくは先輩を信用したい。彼女ならきっと秘密を守ってくれる。
「……そいつは、暗くて、狭くて、低い場所を好みます。地下とか、地面をくぐって入るような所があれば、いる可能性が大きいです」
「地下か。体育館周辺でそういう場所があるとすれば……そうだ、体育館の舞台下に、普段はパイプ椅子をしまってある倉庫がある。前日にパイプ椅子を館内に並べた後は、誤って一般客が入ってしまわないように立入禁止のテープを張ってあるから、それがいても人目にもつかない」
「それです。行ってみましょう」
ぼくが弾んだ声で言うと、朝倉先輩は口の端を持ち上げてうなずいた。
体育館の一番後ろから入って、右側面に張りつくようにこそこそと動く。
舞台上では、一年三組の演劇『美女と野獣』が上演中だ。──ハム子との約束を反故にしてしまったが、これも世界を守るためだ。許してほしい。
体育館の隅にあるドアから入ると、前に上り階段、左手に扉がある小部屋になっている。
上り階段は、体育館内の上部にあるキャットウォークや舞台の天井に通じており、扉には立入禁止と書かれている二本の黄色いテープが渡されていた。
この扉の先が、舞台下にあるパイプ椅子用倉庫につながっているのだ。
「行こう。舞台の邪魔にならないよう、静かにな」
朝倉先輩は躊躇なくテープを引きちぎると、扉を開けて暗がりの中へと押し入ってしまった。
「あっ、先輩! 危険ですからぼくが──」
「ギャア────ッッ!」
突然叫び声を上げて、先輩が顔を両手で覆いながら、もんどりうって転がり出てくる。
「せ、先輩! 大丈夫ですか──」
「く、くくく、クモ! クモが──!」
クモ?
冷静になって見ると、朝倉先輩は顔についた何かを払うようにもがいている。どこにもクモの姿は見えない。
「先輩、先輩。落ち着いてください。クモはどこにもいません」
「あ、はっ、はぁ──……び、びっくりしたー……」
彼女は息を整えるように深く呼吸をすると、顔をくしゃくしゃにしてぐったりした。
「びっくりしたのはこっちです。何があったんですか、先輩」
ぼくが手を差し出すと、先輩はそれを取って、身を起こした。
「すまない……顔にクモの糸がついて、気が動転してしまった」
「よかった。一瞬あれに襲われたかと……静かにって言っておいて、自分が一番騒がしくしてどうするんですか」
ぼくは苦笑する。先輩は照れくさそうに、咳払いをひとつした。
「面目ない。クモだけは、昔からどうしてもダメなんだ。きっと前世がクモに食べられた美しいチョウだったに違いないな」
「自分で美しいとか言っちゃいますか。とにかく、ここはぼくが入りますから先輩はここで待っていてください」
「いや、私も行く。いるもいないも、この目で確かめなければ納得できない」
「……しょうがないですね。いつでも逃げられる心構えだけはしておいてください」
ぼくは扉の先に一歩踏み入って、入口の脇にある電灯のスイッチに手を伸ばした。幾度か闇をまさぐると、指の先が突起に触れた。
古い蛍光灯がぱちぱちと瞬いて、天井が低くて細長い、コンクリート打ちっぱなしの殺風景な倉庫が現れる。
扉のすぐ先は階段で少し下っていて、ぼくは一段ずつそろそろと下りると、積み重なるパイプ椅子の作る陰に注意を向けながら奥へと数歩進んだ。
「どうだ、白河君……何かいそうか」
少し離れて、朝倉先輩が後ろから声をかけてくる。
「まだ、分かりません。もしいれば、必ずその痕跡が──」
ぼくは目を細めて、それを探す。
倉庫の突き当たり、椅子の山の狭間から、床を這うように、黒くうっすらとした煙のような魔素がふわりと流れてきて──
手にしたスポーツバッグを、思い切り振り抜いた。
バッグは次の瞬間に躍りかかってきた、黒い影にドンと音を立てて衝突する。
朝倉先輩が、喉の奥でひっと声をくぐもらせた。
魔物は、小型の犬に似ていた。
毛むくじゃらで、とがった耳がついていて、口から鋭そうな牙が見えている。
しかし、身体の側面から左右合わせて六本の脚が、昆虫のように伸びていた。
どこからどう見ても地球の生物ではない。
「な……何だ、これは……!」
「先輩、逃げてください。ぼくが何とかします」
ぼくは魔物と先輩との間に塞がるようにして立ち、じっとその赤い目をにらみ返した。犬魔物はうなりを上げて、警戒するように低く伏せっている。
「何を言っている。君も一緒に逃げるんだ」
「背中を見せたらやられます。先に逃げてください──ぼくには、あなたを無事に逃がす責任があります」
「……分かった。君も、上手く逃げてくれ。絶対にケガをするんじゃないぞ」
遠ざかる靴音を背後に感じて、ぼくはバッグから小剣を抜き出した。
襲いかかられないようにその切っ先を魔物の鼻の前にぴたりと据えて、ぼくはさらにバッグから白くすべすべした、顔の上半分を覆う仮面を取り出して装着する。これを着けると、まるで変身ヒーローにでもなった気分だ。
魔物はまだ動かない。その間に、魔術師の外衣も引っぱり出す。
袖を通す隙をうかがううち、ぼくは魔物の微妙な変化に気づいた。
全身の毛がざわざわと波打ち、淡い銀色を帯びていく。
そして犬魔物の口の中に強い発光体が生まれた瞬間、ぼくは反射的に身をかがめていた。
激しい破壊音が耳をつんざく。
低い位置から仰角をつけて放たれた「魔力弾」は、ぼくの頭部が元々あった空間を駆け抜けて、天井をうがち抜いた。
コンクリートの粉が降りかかり、外からの多数の悲鳴を上げる声が鮮明に聞こえてきて、その一撃は舞台の上まで貫通し、大きく穴を開けたのだとぼくは悟った。
何だ、この威力は……!
こんな強力な魔力弾を撃てる魔術師は、魔界にもいた憶えがない──ぼくと、かつての魔王ギッタ=ギヌを除いては。
ぼくは魔物の次の攻撃に備えて身構え直す。
しかし突然に、魔物は床を蹴って大きく跳ね上がった。
そして──
「あっ!」
ぼくは小さく叫びを漏らした。それは今しがた開通したばかりの、舞台上への連絡通路をぱっと通り抜けていってしまったのだ。
失敗した。奴を外に逃がしてしまうなんて──
ぼくは手早く外衣をまとうと、手近なパイプ椅子を組み立て、それを足場にして穴から魔物を追う。
上半身を穴の上に出すと、そこには数人の舞台衣装に着飾られた演者が、恐れおののき、へたり込んでいた。
その中に、ベルに扮した──ぼくにとって特別に大切な幼なじみの姿も、そこにある。
犬魔物は、急に人の多い場所に出て戸惑っているのか、キョロキョロと彼らを見回している──やがて最も近い位置にあるひとりに狙いを定めたか、ギロリと赤いまなじりを据えて、低くうなりながらじりじりと寄っていった。
奴を止めたいが、穴から上手く下半身が出てこない。
攻撃の合図なのか、魔物が高らかに吠えた。
その時──
魔物の前に、一七九センチの人影が立ち塞がった。
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