異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第十九話(一)「オトナの階段登っちゃった」
いやいや。
いつ「パッチン」しても大丈夫、と言おうとしたよ、確かに。
でも今かよ。フラグ立てる前に回収かよ。せっかちだな。
ぼくは誰へともなく──強いて言えば運命の神様に──心の中でツッコんだ。
首をぎゅうぎゅうに絞めつけられながら。
例の衝撃と、目の前の一瞬の暗転の後に、いきなりの呼吸困難。
覚悟してても、苦しいものは苦しい。
だが、召喚される前の時のような絶望感はない。
今のぼくは、目の前の大男を三回ぶっ殺してもお釣りがくるほどの魔力と精霊力に満ちているのだ。
もちろん殺されかけたからって、そんな野蛮な行いをする気は毛頭ない。ぼくは術式を書き出し、周囲の人物を押し返す魔術を施す。
見えない力に押され、ガンテツは一メートルほど離れた場所に尻餅をつかされた。
「? ウウ……ナンダ、キサマハァァ……!」
「ただの魔術師ですよ、先生」
ぼくは袖口の術式に魔力を込めた。
振りかざした手に、あっという間にガンテツの額にくっついた魔素が吸引される。
ガンテツは白目を剥いて昏倒した。彼の額には細かい傷が入って、鮮血がにじんでいる。
魔力さえあれば、こんなにも簡単なものか。ある時とない時の差が、大阪名物の某豚まんぐらい大きい。
さて、事件の後始末をしよう。
ぼくはスポーツバッグから、着ていた外衣と入れ替えに、ビニール紐を取り出した。それでガンテツの手首と足首を縛り、それから額の傷に魔術をかけて治した。
「う……んん……」
かすかなうめき声を上げて、ガンテツが意識を取り戻す。目は開いているが、焦点が合っておらず、自分の置かれている状況を把握できていないようだった。
「お目覚めですか、荒岩先生」
「え、ああ……何だ、ここは……」
「大変申し訳ないですが、手足を縛らせていただきました──何で、セットを壊したんですか?」
憶えていないのは分かっているが、あえて訊問する。ガンテツはただ、目をぱちくりとさせるだけだ。
「え、一体何のことだか……」
「もう一度訊きますよ。何で三日前の晩に、一年三組の演劇用のセットを壊し──」
ぼくの問いかけは、廊下を爆走する足音に邪魔をされた。
「ハヤ君! 大丈夫?」
教室に飛び込んできたハム子は、どこから持ってきたのか、野球のキャッチャーの防具一式を身につけて、金属バットを携えていた。
「……何をしてるんだ、おまえは」
呆れたように言うと、ハム子はぼくと床に転がったガンテツを交互に見やって、マスクの奥で目をパチパチとさせた。
「え? ハヤ君……荒岩先生をやっつけちゃったの? どうやって?」
「ま、ちょっと大変だったけど、何とかなった。それより、先生に事件のことを問いただそう」
「そうなのだ! 先生、どうして私たちのお城の背景を壊したのだ!」
キャッチャーマスクをずり上げて、ハム子がずいとガンテツに詰め寄る。ガンテツはあわててかぶりを振った。
「し、知らない。俺は、何も──」
「何を言ってるのだ。さっきもあの背景を壊そうとしたのだ! 知らないとは言わせないのだ!」
ハム子がビッと村の背景を指差して詰問する。ガンテツはますます混乱をきたしていた。
「どういうことだ。俺は、知らない。まったく憶えていない。気づいたら縛られていて──」
「憶えていないー? ハム子、これはちょっと様子がおかしいぞー。順序立てて確認していこう……すまないがぼくに話させてくれないか」
「分かったのだ」
ハム子は首を縦に振って、ぼくは入れ替わりにガンテツの前に立った。
「さて、荒岩先生──最近、先生についてよくない噂を耳にしました。何でも、妙に怒りっぽくなって、何度か物に当たっていることもあったとか」
「……そうだ。最近大したことでもないのにイライラすることが増えて……でもそれでうっかり壊してしまったのは、俺の私物だけで──」
「ところで。先生はあの背景が何かご存じですか」
ぼくはガンテツの言葉を遮って、書き割りを親指で指し示した。
「あ、ああ。三組の演劇の背景で──『美女と野獣』の、ベルの村のシーンの……」
「そうです。先生はあれを叩き壊そうとしたわけですが──憶えていないんですね」
ガンテツはただ、うなずきを返した。
「その時、ハム子が見たところでは、先生はひどく怒り狂っている様子だったと言っていました。先生、もしかして演劇に、それも『美女と野獣』に何か恨みでもあるのではないですか?」
図星をつかれたと言わんばかりに、ガンテツは顔を曇らせてうつむいた。
「……恨みというか……辛い思い出はある。中学生の時に……『美女と野獣』の劇をやって、舞台で大失敗して……それが原因でクラス中から……」
「んー、なるほどー。分かってきたぞぉ」
ぼくは大げさにうなずいて見せた。
前にも言ったが、ぼくは演技の方はそんなに上手くない。
「つまりは、先生の『美女と野獣』に対する嫌な過去が、ここ最近のイライラや破壊衝動と結びついて、舞台セットなどに対する強い怒りに変わってしまった。怒りが度を超して正気を失い、その間の記憶が飛んでしまった……こんな感じの経緯なんじゃないですか、先生」
「あ……ああ、そういうこと、なのかもしれない。俺は……申し訳ないことをした」
ガンテツは打ちひしがれたように、頭をごとりと床に落とした。
よし。つじつまを合わせて、自白したことにできたぞ。
「……先生、かわいそうなのだ」
「ああ。ハム子、先生にも酌量すべき情状はあるように思う。明日、三組のみんなに謝ってもらって壊した背景の作り直しを手伝ってもらうってことで、許してあげないか」
「私はそれで構わないのだ。ハヤ君、ありがとね」
ハム子がにっこりと微笑んだ。
翌日。
三組の教室では、ガンテツが大道具係の生徒に混じって、壊した城の背景を作り直している。その作業には、和やかな雰囲気が見て取れた。
「何かかえって楽しそうにも見えるな、ガンテツの奴。まぁ一応、丸く収まってよかった」
「うん。またハヤ君に助けてもらっちゃったのだ。本当にありがとう」
その様子を、ぼくとハム子は遠巻きにして眺めている。ハム子の表情は明るく、わざわざ精霊を見なくても嬉しさがこぼれ出ていた。
「礼を言われるようなことじゃないよ。これは、ぼくの責任だから」
「何でハヤ君の責任なのかはよく分かんないけど……責任だとか、義務だとかでやって当然のことだとしても、それ自体に感謝はあるべきだって、副会長さんも言ってたでしょ?」
一瞬、獺麓村の女児がくれた、木彫りの勲章をふと思い出した。
お礼の言葉ひとつもまた、胸に飾るべき「勲章」なのかもしれない。ありがとうと言われたなら、素直に誇らしく思えばよいのだろう。たぶん。
「……副会長さんといえば、その……うちのお母さんがね、ハヤ君が家にすっごい美人の先輩を連れてきたって話を、ハヤ君のお母さんから聞いたって言ってて……それって、副会長さん……だよね?」
あンの、おしゃべりババァめ。
《 》……いや、実はぼくより年下なんだよなぁ、頼子。彼女がババァなら、ぼくは完全にジジィだ。
「そうだよ。ぼくに勉強を教えてくれるって話だったのに、全然勉強なんかしないで……」
「勉強せずに、何してたのだ?」
「な! 何、って……」
ベッドの上で折り重なって、キスをされた──
いや違う、それは夢の方だ。現実には何もしていない。
していないが、その光景が強烈すぎて、いやがおうにも思い出されてしまう。
記憶が混乱して言い澱むぼくに、ハム子のじっとりとした視線が突き刺さった。
「……最近のハヤ君って、不思議だなと思ってたのだ。何だか、いきなり大人になっちゃったような気がして……」
まぁ確かに、中身は一応四十過ぎの中年なんだけど。見た目は少年、頭脳はオッサン、その名は名魔術師ハイアート。なんてな。
「そ、そうかな。どこが大人なのか、ぼくには分からないけど」
「どこがとは上手く言えないんだけど……そのわけって、もしかして、副会長さんと……お、オトナの階段登っちゃった、から?」
ぼくは無言でハム子の脳天にジャンピングゲンコツを落とした。
「ぁいたー!」
「どういう思考回路してるんだ、おまえは」
ぼくが呆れたようにつぶやくと、ハム子は頭を押さえて涙目になりながら、口をとがらせた。
「だってぇ……副会長さんがハヤ君のお部屋で二人っきりって思ったら、いろいろ考えちゃうのだ。ぎゅってしたりとか、ち、チューとか、したのかなって……」
うーむ。実際、されそうになったことについては否定できないが……。
「いーや、何もしてない。朝倉先輩が勉強そっちのけで、ぼくの部屋の本棚の後ろとかマットレスの下とか押し入れとか、あちこち家探しをしようとするのを必死に止めてただけだ。第一、ぼくは朝倉先輩とつき合ってもいないからな」
「……ホント?」
ハム子は上体をかがめて、ぼくの目の高さに目線を合わせて訊いてきた。
「ああ。本当だ」
「ホントにホント?」
「本当に本当だ」
「ホントにホントに、ホント?」
「あーしつこい! ぼくがウソをついて得することなんかないだろ」
ぺん、とハム子の額を軽く平手で叩く。
「むー、またぶたれたのだ。でも……そっか、そうなんだ。よかった」
はーっと、ハム子が深く息をつく。いや、よくはないだろ。
「……じゃ、ぼくはクラスに戻るからな。劇、頑張れよ」
「あ、うん。またお昼休みにね」
ぼくは手を振るハム子に見送られて、二つ先の教室へと向かう。また学食で、彼女がカレーライスを食うのにつき合わされるのか……自分が食べるわけでもないのに、なぜだか胸やけのようなムカつきを覚えた。
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