異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第十八話(三)「ハイアート様は武人ではありません!」
ぼくは、身をかがめて天幕ににじり入ると、思わず正座で座ってしまった。それほどの緊張感が、この空間に満ち満ちていた。
ヘザは数歩寄ると、ぼくの前でひざまずいた。彼女の顔が灯りの中に露わになり、ぼくはドキッと心臓を小さく躍らせた。
彼女の面様は暗く、悄然としていて、目の周りがほの赤い。
ぼくにはそれが目を何度もこすった跡のように思えて、ひどく叱られるものと予想していたぼくにとっては、その何倍にも辛く感じた。
「ハイアート様、ご無事で何よりです。私としましては、あなた様に無謀なことをしてほしくありません。しかし時には、命を賭すような難事にも立ち向かわねばならないこともございますでしょう。それは理解しております……」
ヘザは顔を伏せがちにして、言葉を言い澱ませる。ぼくは彼女が泣き出してしまうのではないかとハラハラしながら、正座のまま身を固くして聞いていた。
「……ですが、ハイアート様。その時はどうか必ず、このヘザをお側に置いてくださいませ。たとえそれが、あなた様の……最期の戦いになったとしても、私はあなた様と、運命を共にしたく存じます……」
「い、いやしかし、ぼくは──」
「お約束ください! 私は……ハイアート様と共に生き、もしもの時は、共に逝きたいのです。叶うものなら、死出の旅路も、生まれ変わったとしても、ずっと……お側に……」
返答に窮した。忠臣というにも、程度というものがある。
ぼくなんかのために、なぜそこまで──
いくばくかの逡巡ののちに、ぼくは、嘆息まじりに声を絞り出した。
「分かったよ、約束する──でも、ぼくは絶対に死なない。そもそも死にたいとは一ゾネリも思っちゃいないが、それ以上に、君を死なせたくはないからね」
「……恐れ入ります。では、今後についていくつか話し合う必要があるかと思いますが、まずは夕げを召し上がっていただいてからにしましょう。すぐご用意いたします」
ヘザはすっと立ち上がり、ぼくに顔を見せないようにして天幕の外へと歩み出た。ぼくはそれを見送り、何とも形容のしがたい、複雑な気持ちになっていた。しかし──
「あっ、参謀殿! ガバにございます。いやはや、このような場でお目にかかれるとは、夢にも──」
「ガバ殿! 無礼を承知で申し上げますが、貴殿がハイアート様を止めるべきでした! それどころか一緒にしんがりを務めたいなどと煽り立てるなんて!」
「えっ、その、我は長官殿の、武人としての誇りを──」
「ハイアート様は武人ではありません! いいですか、彼は本当は、争いごとなどは嫌いで……」
天幕の外から聞こえてくる二人の会話に、ぼくはガバに怒りの矛先が向いたことを申し訳なく思いながら、つい鼻から失笑をもらした。
二日後、全軍が無事に王都にたどり着き、ぼくとヘザは魔王城に戻ってきた。
「馬槽砦が落ちたか。いよいよ追い詰められてしまったな」
いつもの会議室で、グークとテーブルを囲む。グークが真剣な面持ちでつぶやくと、ぼくとヘザはおもむろにうなずいた。
「王都まで攻め入られては、もはや反撃の手立てがなくなる。どうすればいいだろう」
「そうですね。次に攻めてくるまでの十二週間後までには、何とかしなければなりません」
「うん、次に攻めてくるまでには……え?」
ぼくは怪訝な顔をして、ヘザを見た。
「ヘザ。次の攻撃が十二週間後って、なぜそれが分かるんだ?」
「まあ、ハイアート様ほどのお方がお気づきにならないとは。デゼ=オラブの国教は『モーザ・ダトの訓え』ですよ」
少し得意げな語調で、ヘザが言う。
「モーザ・ダト……ああ、そうか!『清魂期』だ」
ぼくはポンと手を叩いて叫んだ。隣のグークは、腑に落ちないといった様子だ。
「一体何のことだ、それは。宗教に関する事柄だとは思うが、俺にも分かるように説明してくれないか」
「殿下、モーザ・ダトの訓えには一年のうち十二週間、清魂期と呼ばれる、他者の血で身を汚す行為を禁じた期間があるのです」
「つまりその期間中は、人であれ家畜であれ、血の通った生物を殺傷することができない。当然に戦争中であっても、自衛のための戦い以外を行うことはないわけで──その始期が、えーと……」
「四日後からです」
ぼくたちが口々に説くと、グークは小さく数回、うなずきを返した。
「なるほど。とにかく、しばらくは時間稼ぎができるわけだ。その間にできることは──」
ちょうどその時、会議室のドアが勢いよく開いた。
「ヘザ様、殿下! 見つかったっスよ!」
叫びながら駆け込んできたのは、モエドさんだ。かなり古びて黒ずんだ、ゴワゴワした表面の大きな巻物を手にしている。
「おお、モエド魔術官。あったのか、『大洞穴』に関する文献が!」
ガタッと椅子の脚が床を打つ音を立てて、グークが立ち上がる。
モエドさんは実にウキウキした調子で、テーブルに飛びつくや巻物を広げた。
ぼくとヘザでくるんと反った端を押さえてやる。その手触りは通常の紙とは違う──おそらくは羊皮紙という奴だ。ダーン・ダイマではすでに製紙技術が一般化しているので、明らかに時代を画した古い書物だ。
羊皮紙の周りに額を集めて、ぼくたちはその表面に描かれたものを確認する。
地図だ。
魔界を囲う絶壁と、その中を走る二つの山脈は、現代の地図とぴったり重なる。
しかしその地図には、おおよその地形に重ねて、魔界全体に縦横に引かれた線と、その線の端点に何らかの印と魔界語で書かれた名称がつけられていた。
「この線のひとつひとつが、魔界の地下を走る洞窟だというのか。とんでもない数と広大さだが、こんなものが国土の地面の下にあるとは……まったく知らなかった」
つぶやきを漏らしながら、グークは魔王城があるべき位置に人差し指を置いた。
そこから、北東の方向に動かしていき、印の一つの上で止める。
「モエド魔術官。ここは以前、我々が発見した洞窟の入口のあった場所に間違いはないか」
「そっスね。縮尺は微妙っスけど、方角はバッチリ合っているように思うっス」
やはり、この印は大洞穴の入口──モエドさんから聞いた逸話に照らし合わせると、魔界語で書かれているのは、入口を見張っていたという村の名前なのだろう。
「本格的に探索する価値があるようだな……よくぞこれを見つけてくれた。早速だが、この大洞穴の配置を、現在の地図に転写してくれないか」
「すでに地形学に通じた学術員に作業させているっス。間もなく完成すると思うっスよ」
グークたちの会話をよそに、ぼくは古地図をじっくりと観察していた。魔界の中心付近から放射状に伸びる「縦糸」と、その間をつなぐように交錯する「横糸」で構成された、まるで「クモの巣」のような洞窟群だ。
洞窟の位置や伸び方を眺めているうちに、ぼくはふと、あることに気づいた。
「ヘザ。君を救出に行った山は、確かこの辺りにそびえていたように思うんだが」
「はい? そうですね、太陽が昇り始めた方向からして、鹿屍砦からはこちらの方角で……加えて山の尾根から西山脈の霧降峰がこの方向に見えましたから……ええ、間違いないと思います」
「やっぱり、そうか」
地図上には、その山の麓を通る洞窟のラインが描かれている。あの時ぼくが通った洞窟は、大洞穴の一部だったのだ。
それが分かった瞬間、すべての情報が、一本の線につながった。
「グーク、モエドさん。聞いてくれ」
二人の注意がこちらに向くと、ぼくはおもむろに、一本の洞窟を指差した。
「ぼくは以前、ヘザを助けに行く際に、この洞窟に入った。その時は何の洞窟かも知らず、たいまつの用意もなかったから、光精霊術で光の球を作って灯りにした」
モエドさんが、あっと声を上げた。
「ハイアート様。それで、どうだったんスか?」
曖昧なものの訊き方だが、彼女の言いたいことはよく分かる。ぼくはうなずいた。
「ああ。もちろん、問題なく周囲を照らすことができた。たいまつの光も利かないという大洞穴の闇は、光精霊術で生んだ光なら破れるんだ」
「そっか、そういうことだったんスね。古代の王族が強力な光精霊術を使えないといけなかったのは、大洞穴に侵入できて、そこを制することができる資質が求められたからだったんスよ」
「ああ、なるほど。しかし王族が世襲制となると、光精霊術を使える者がいなくなって、大洞穴は放棄されたのだな……」
グークが地図を凝視したまま、小さく首を縦に振る。ぼくはポンと手を叩いて言った。
「さて、そうと分かれば早速準備に取りかかろう。ぼくが光精霊術を使えば大洞穴は探索できるが、ぼくはいつ何時『パッチン』してしまうか分からない」
「『パッチン』?」
「あ、いや、元の世界に戻ってしまうってことさ。だからその対策を考えなきゃいけない。モエドさん、協力してくれるかい」
「もちろんっス」
ぼくとモエドさんは椅子から立ち上がって、会議室の扉に向かいかけた。
「あ、ハイアート様。私もお手伝いしましょう」
「待ってくれ、ヘザ殿」
席から腰を上げかけたヘザを、グークが制した。
「大洞穴の探索が決定したのだ。貴殿には以前頼んでいたとおり、探索隊の人員集めをやってもらいたい」
「はい、殿下。すでに目星をつけていますので、早速連絡を取ることにいたします。──ハイアート様、お手伝いできないのは残念ですが、よい成果を期待しています」
「うん。ヘザもつつがなく任務を果たしてほしい」
ぼくは会議室を後にする。その後をついてきたモエドさんは、ぼくの外衣の袖をクイクイと引っ張りながら訊ねた。
「灯りの対策っスけど、ハイアート様は何か考えがおありなんスか」
「ああ、まずは実験をしようと思う。衛兵詰所でランタンを借りてこよう」
再び会議室に戻ってきたぼくたちは、借りてきたランタンをテーブルの上に置いた。火種の部分は取り外され、代わりに術式を描いた紙を敷いてある。
術式に魔力と光精霊力を込めると、柔らかな光がふわりと広がった。
「へぇ。これならハイアート様でなくても灯りを持ち歩けるっスね」
「それでモエドさん、面倒なことを頼まれてほしいんだけど……この灯りが消えるまで見張っていてほしいんだ」
「分かってるっス。ハイアート様が『パッチン』した後の光の持続時間を計りたいんスよね。任せてほしいっス」
モエドさんは小指と親指を立てて、パチっと目配せをした。
「うん。察しがよくて助かるよ、これでいつ『パッチン』しても──」
パッチン!
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