異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第十八話(二)「馬槽砦を放棄する」
目立たないようにゆっくりと集めた火精霊の最大火力を、前方の敵軍へと撃ち放つ。爆炎がど真ん中で閃いた直後、双方の軍勢から火炎や冷気、魔力の光が入り乱れて飛び交った。
やがて魚鱗の尖った先が、敵陣の中央にグサリと刺さった。
さっきのぼくの火炎弾でぽっかりと空いた穴が、間髪入れずに差し込んだ長槍兵の槍ぶすまで阻まれて戻りきれていない。
「騎兵隊、突撃! 城門まで一気に駆けろ!」
驚くほど容易く、騎兵の群れが包囲陣をうがつ。隊が敵陣を突き抜けると、ぼくは旗竿を立てて、黄の地色に黒で薔薇をかたどった意匠の旗を開いた。ローシロムブ連盟旗であり、同時に連盟軍の軍旗でもある。
旗を掲げてから間を置かずして、トーボレムの音が鳴り渡る。短く二音、長く一音。
全軍退却の号令だ。
振り返って見ると、敵陣は急な中央突破と素早い退却に意表をつかれて、相手を包囲する動きすら取れていないようだった。これなら退却もさほど被害なく行えるだろう。
「開門せよ! こちらは魔界防衛大隊王都軍騎兵隊、および大隊長官シラカー・ハイアートである! ただちに開門せよ!」
馬槽砦の城門前まで走り込み、ぼくは軍旗を振り回しながら大声で呼びかけた。しかし言い終わる前に、早くも巨大な鉄枠の大扉が外側に動き出したため、騎兵隊は止まることなく砦の内部へと躍り込んだ。
「長官殿! 砦の危機に駆けつけてくださり、感謝の言葉もありません」
門を抜けてすぐに、ぼくの乗る馬の足元に駆け寄り、銀色の鎧かぶとに魔界軍の軍衣をかぶった騎士がひざまずいた。
なぜか、声に聞き覚えがある。誰だったっけ……?
「えっと……前にお会いしましたか?」
「……馬槽砦第四区画守備隊長、ガバ・オ=ラ=ガムにございます。以前はキンデー駐留軍団長を任されておりまして──」
かぶとの奥で表情は読めないが、その周りに少しだけ水精霊が漂った。
「あー! そうだった。すぐに気づかなくて申し訳ない。でもどうしてこんな所に?」
「配属を希望したのです。北方戦線が落ち着いたので、キンデーを副団長に委譲して、駐留軍の精鋭と共にこちらに参りました。常に最前線に身を置いてこそ、武人の本懐でございます故」
「心意気は立派だが、武勇が過ぎて命を粗末にしないように頼むよ。さて、砦の現状を確認したいんだが──」
「では東塔の上からご覧いただきましょう。どうぞこちらに」
ぼくは馬を降り、ガバに先導されて第四区画の側面に建つ高い塔を登った。
物見から第二区画を望む。
「うっ……!」
ぼくは思わずうめいた。砦正面からの戦線は、第二と第三区画の間にあった。
第二区画からの攻め手は圧倒的多勢であり、第一区画を占拠する後詰めの兵も舌を巻くほどの人数が置かれている。
砦の外を包囲する兵も加えると、おそらく一万近い軍勢になるだろう。
第三区画の陥落も、時間の問題に思えた。
素早く決断する必要がある。
心臓が激しく暴れ、懐から通信魔器を取り出す手ががくがくと震えた。
「長官殿、何を……?」
「ヘザと連絡を取る。ガバ隊長も聞いていてくれ」
ぼくは魔器の術式に魔力を与える。魔器の全体がほんのりと銀色に輝いた。
「ヘザ、ヘザ。応答せよ。そちらの状況を報告してくれ」
「……ヘザです。現在本陣まで退却中です。敵の追撃は行われていない模様。損害は大きくありません」
魔器からヘザの声が聞こえると、ガバがビクッと身体を震わせた。
「何と、参謀殿とこれで話ができるのでありますか。驚きました」
「ぼくの発明品だ。結構自信作なんだ──ヘザ、とりあえず砦と連絡する作戦は成功だ。君もよくやってくれた」
「恐れ入ります。──ところで、なぜガバ軍団長の声がするのでしょうか」
「おお、我の声まで──参謀殿、ガバにございます。現在は第四区画の守備隊長を務めております」
ガバがひざまずいて言い、ぼくは苦笑した。
「声だけで、姿までは向こうに見えていないよ。それより、今から次の作戦を伝える。二人ともよく聞いていてほしい──」
ぼくは一旦言葉を切り、深呼吸したのち、吐き出すように言った。
「我々は、馬槽砦を放棄する」
陽が傾き、徐々に赤く色づく頃。
「長官殿、第三区画の守備隊全員に伝達が終わりました。こちらも万事準備整いましてございます」
「よし。ヘザ、速足前進で進軍を開始してくれ」
「了解しました」
ぼくは東塔から、王都軍と敵軍の陣容を見渡していた。王都軍はすでに魚鱗に整えており、敵軍は同様に魚鱗で来た時に包囲を目論んでいるようで、鶴翼に近い形で布陣している。
この世界の戦争は、陣形なんて概念は存在しなかった。野戦では横から当たられないようにできるだけ横に長く整列させて、弓を射ち合って精霊術を飛ばし合って、騎兵がぶつかって槍兵が押し込んで包囲して、ただそれだけだ。
「それでも、どう対応しようかと考えたら、自然と生まれてくるものなんだな」
ぼそりと、ぼくは誰にも聞こえないように独りごちた。そうしている間にも王都軍が距離を詰め、それに応じて敵勢の鶴翼の翼が左右から押し寄せてきた。
「ヘザ、今だ」
王都軍の陣営から二つの軍旗が立ち、それを先頭に左右に分かれ、鶴翼の翼の先へぶち当たった。
「守備隊長、第三区画に総員撤退の合図を」
「はっ。承知しました」
ガバが塔を降りていく。ぼくは窓から飛び降りて、真下に待たせていた騎兵隊の中央、ぼくの騎馬の鞍の上にふわりと着地した。
「開門! 総員、全速力で敵陣中央へ突進せよ!」
開け放たれた城門をまず騎兵が飛び出し、次いでガバが率いる第四区画の徒兵が一斉になだれ出る。さらに第三区画の残兵が後について、縦に長く伸びた兵士の列がまっすぐに、敵陣のど真ん中へと突っ込んでいった。
ぼくらが砦を後にしてしばらくののち、背後で激しい爆発音がした。
第三区画の中央に据えておいた巨大な「地雷」の術式が発動した音だ。砦正面からの攻勢を壊滅させるには全然足りないだろうが、退却までの足止めにはなるはずだ。
騎兵隊が接敵する直前、ぼくは敵兵の集団に向けて、右手から超低温の冷気、左手から超高圧の電撃を滅法にばらまいた。
そこに騎兵が入り込んで撹乱し、敵陣中央は密集を保てずに逃げ惑い始める。
「進め、進め! 皆、王都まで死力を尽くして逃げ延びろ!」
完全に左右に分断されて小勢となった敵軍を、このまま王都軍と挟撃してすりつぶすこともできそうなほどの優勢を得たが……後ろから主力に追いつかれたらアウトだ。ここは全軍を全力で逃がす他にない。
追いついてきた歩兵をどんどん先へ先へと送り出す。逃走する守備隊の最後尾が見えてきたところで、ぼくは通信魔器を取り出した。
「ヘザ、こちらは撤退完了間近だ。王都軍の撤退を始めてくれ」
「了解しました。ハイアート様も早く陣頭までお越しください」
「いや、陣頭は引き続きヘザに任せる。ぼくは──後詰めに回る」
「いけません、ハイアート様! 危険です──」
ぼくは通信魔器の魔力を切った。そして、今まで行動を共にしてきた騎兵隊に向き直る。
「みんな、ご苦労だった。これからぼくは軍の最後尾について、敵の追撃を止める役割に就く。ぼくがいかに救世の英雄であろうと、ぼく自身を含め生きて帰せる確率は低い。確実に生きて帰りたい者は先に行ってくれ」
しかし、誰も動かなかった。もう一度同じことを訊き直そうと、口を開いた時──
「皆、覚悟はできているようですぞ、長官殿。しからば我も、供をさせていただきたい」
馬の歩を進め、魔界軍の騎士がぼくの前に現れる。ぼくは驚きに目をパチパチとさせた。
「なぜこんな所にいるんだ。守備隊を先導して撤退しろと言ったはず──」
「ならば今、ここでご命令ください! このガバ・オ=ラ=ガムに、しんがりを務めよと」
彼の表情はかぶとの奥だが、そこからの熱い視線と痛いほどの真剣さを、ぼくは感じた。
「仕方のない連中だ。ではガバ、みんな。ぼくに命を預けてくれ」
「承知しました!」
ぼくは短くため息をついて、騎馬の腹をひと蹴りすると、意せずしてひとり加わった騎兵隊を引き連れて本隊の後を追った。
完全に陽が山の陰に隠れ、空に夜の闇が徐々に染み渡っていく。
王都から救援に行った時よりも倍近い規模になった軍の野営地に、殿軍を務めたぼくたちはさほど遅れることなくたどり着いた。
「いやはや。血の海を這いずり回るような死闘を覚悟しましたが……ずいぶんとあっさりしたものでしたな、長官殿」
「そんな修羅場はないに越したことはないよ」
馬を降り、騎兵隊を解散させたぼくは、ガバと共に夜営の中央に張られた天幕を目指していた。
半分は本隊への帰還の報告と現状の確認と今後の方針の確認をするためだが、もう半分……というかメインの用事は、ヘザからお目玉を食らうためだ。
結局のところ敵の追撃は、少数の騎馬が寄せては来たものの、ちょっとした足止めにと置いておいた「地雷」を踏んだら泡を食ったように後退していき、その後は追っ手の影もなく、無事に撤退することができたのだ。
こう言っちゃ何だけど、本当に拍子抜けだ。
生きて帰せないだの、命を預けてくれだのと偉そうに啖呵を切っておいて、こうも戦いらしい戦いのない結果だと、逆に気恥ずかしくて尻の辺りがムズムズする。
「ヘザ、ハイアートだ。今到着した──入るよ」
ぼくは天幕の入口の垂れ幕を開いて、中を覗いた。
うっと小さくうめきを漏らして、ぼくは身をこわばらせる。
中で腕を組み、仁王立ちをしているヘザは、中に置かれたランタンの角度のせいかちょうど顔だけに影がかかっていてその表情はうかがい知れず、眼鏡のレンズだけが光に映えて浮かび上がっており、何とも不気味な雰囲気を醸していた。
「そこにお座りください、ハイアート様……」
ゆっくりと、穏やかに、しかし地獄の底から響くような声で、彼女は言った。
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