異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第十八話(一)「多少は男前になっただろう?」
召喚術式の上に現れたぼくは、激しく咳き込みながら身を起こした。
「ハイアート様、どうしたっスか?」
「ああ、問題ないよ。モエドさん、ちょうどいい時に召喚してくれたね、ありがとう」
「は、何がっスか? よく分からないっスけど、お褒めいただき光栄っス。それより、どうかしたっスか? どこか体調でも──」
「ま、まぁ、ちょっとピンチだっただけで……」
ひとつ深呼吸をして、ぼくは顔を上げた。モエドさんの顔色がさっと青くなる。
「ハイアート様……か、顔の形が変っスよ! もしかして、召喚術のせいっスか?」
「あ、いや。腫れているだけで、召喚に問題があったわけじゃない。どうだい、多少は男前になっただろう?」
「冗談言ってる場合じゃないっス。お部屋に移って、お休みくださいっス。あとで治療魔術師を連れてくるっスよ」
ぼくはうなずいて、術式から足を下ろした。よろよろとしながら歩き出すと、そのあとをモエドさんが心配そうについてくる。
「……そういや、ヘザは来ていないのか」
「ヘザ様は、前に失態を犯してしまったので、召喚には立ち会わないことにしたとおっしゃってたっス。ヘザ様にも後でお部屋に伺うよう、伝えておくっス」
失態? 前に倒れたのは体調の問題だろうし、そこまで気に病むことでもないと思うけど……ヘザは自分に厳しいな。
地下から上がって、ぼくたちは客間の一角、ぼくの自室へと来た。ベッドに横になると、モエドさんは治療魔術師を呼びに外へ出ていった。
とりあえず助かったが、次に「パッチン」する時は、いきなり扼殺寸前の状態なんだよな……まぁ、その時はその時か。今心配していても仕方ない。
ぼくはまぶたをそっと閉じる。全身の苦痛から逃れるように、ぼくの意識は急激に薄れていった。
何もない真っ白な空間の中で、ぼくはベッドの上に横たわっていた。
ここは、また夢の中か。今度は一体、何を見せられるんだろう。
ベッドの右側に、誰かが腰をかけた。
身をかがめて、ぼくの視界に入ってくる。
──ハム子だ。
前は先輩で、今度はこいつか……。
さすがに、今回はチューされるようなことにはならない……よな?
ハム子はむくれた表情をして、何かを話すように唇を動かした。声として聞こえたわけではなかったが、なぜか言っていることが分かる。
『いいかげん、気づかせてほしいのだ』
何を?
『まだ私の知らない、私の想い……ハヤ君が私に気づかせてくれないと、私は……苦しい』
苦しい? 何で?
『私が……私を〝悪い子〟にしてしまうから……』
ハム子の表情が、どんどん険しく、猛烈な怒りをたたえた悪魔のような形相に変わっていく。ぼくはそら恐ろしいものを感じて、尻のつけ根から背中へ冷たいものが走った。
ぼくはどうすればいい? 何を、どう、彼女に伝えるべきなんだ?
そう言うと、ハム子は急に穏やかな顔を見せる。
微笑みを浮かべて、ぼくの耳元でささやいた。
『簡単なのだ。私に……〝好き〟と言ってくれるだけで、いいのだ……』
そ、そんなこと──いや、これはぼくの夢だ。ぼくの都合のいいように、ハム子が望んでいるように見せているだけかもしれないのだ。
つまり逆に、これが、ぼくの望み──?
ただの幼なじみとか、家族同然だとか、それを無意識に秘めておきたい自分に言い訳をするための欺瞞だというのか……?
『それか……もっと大胆に、情熱的に教えてくれてもいいよ。こんな風に……』
ハム子は、びっくりするほどに蠱惑的な視線をぼくに投げて、あごの下に指先を差し入れてきた。
え、ウソだ。またこのパターンなのか。
くそ、ハム子の奴め。
何でそんなに、胸がざわつくような、ムダに艶やかな唇をしているんだ。
朝倉先輩の時と違い、それは、躊躇なく近づいてくる。
ああもう、何だか、どうでもよくなってきた。
次にハム子の顔を見るのが少し辛くなるだろうが、夢ぐらい、好きに見たって──
パッと、目の前の情景が変わった。
魔王城での自室の、見慣れた薄暗い天井が見える。
ぼくは目を覚ましたのだ。
覚悟が決まった瞬間にこれかよ。何か、裏切られたような気分だ。
現実のベッドには、右側にハム子の姿はない。というか、ベッドは壁に密着していて元々人の座れる隙間はない。
しかし左側には、腰を掛けている人影があった。
赤茶色で巻き毛の長髪を背中に垂らしたその女性は、聞き取れないような小声で、ぶつぶつと何かを繰り返しつぶやいている。
「……ヘザ?」
「ギャッ!」
ぼくが彼女の名前を呼ぶと、悲鳴のような声を上げて、弾かれたように立ち上がった。
ばっと振り返り、直立して、頭を下げる。
「は、ハイアート様! おお、起きていらしたんですか? お身体の具合は、い、いかがでしょうか!」
「ヘザ、落ち着いて。身体は──」
少しだけ身じろいでみる。
そこかしこにあった痛みも、頰の熱さも、今はすっかり消えている。寝ている間に治療を済ませてもらっていたらしい。
「ああ、もうまったく問題ない。どのくらい寝ていたのか分からないが──君を待たせてしまったようで、申し訳ない」
ぼくはベッドから足を下ろし、座った姿勢に変わると、ヘザの顔を見上げた。
ヘザは少し表情を固くしながら、首を左右に振る。
そういえば、ぼくは前にヘザと話をするつもりで、途中で「パッチン」してしまったのだった。不測の事故とはいえ、彼女が怒っていないか心配だ。
「あの、ヘザ……この間の──」
「大変申し訳ありません、ハイアート様。早急にご出陣をお願いしたく存じます」
言いかけたことをぴしゃりと遮られてしまったが、彼女の言葉に、ぼくは眉をひそめた。
「何があった」
「馬槽砦が襲撃を受けております。砦はすでに包囲された模様。王都の守備軍を野戦編成して、救援に向かう準備が整っています」
ぼくは舌打ちした。
魔物によって手痛い損害を受けた隙を狙いに来たか……。
「よし、すぐに出る。支度の間に馬を用意しておいてくれ」
「了解しました」
ヘザは早歩きで部屋を後にする。ぼくは短くため息をついて、壁に掛かっているゲイバムの軍衣をひっつかんだ。
二日半の強行軍で、王都からの軍は馬槽砦の包囲網に肉薄した。
「ハイアート様、斥候が戻りました。第四区画側を囲む敵勢は三千程度、砦前に横陣を敷き、何度か小競り合いを行ったものの本格的な砦攻めは行っていない模様です」
「そうか、主力が第一区画から追い込むのを待って挟撃する考えなのだろうな」
臨時の司令部となった天幕の中で、ぼくは地面に座り、地図を広げていた。その対面にヘザが座り、敵軍の配置を示すように地図上に小石を並べる。
「さてどうしましょうか、ハイアート様」
「うん……まず砦の内部状況を知りたい。騎兵隊にぼくが加わり、それらで突撃して砦内部へ入り込む」
「敵の包囲陣を、騎兵隊のみで破るというのですか?」
「さすがに、それは無理だな。ヘザ、今回編成した軍においても、基本陣形は訓練済みということで考えていいか」
「はい。ギオーリン、カクオーク他、防衛隊全軍に常日訓練させておりますので、王都守備軍も例外なく指示が可能と思われます」
「それなら、あとは君のトーボレムの腕次第だ。いいかい、こちらの全軍も横陣で当たる風に見せて進軍し……」
地図上で小石を動かしながら、ヘザに作戦を伝える。しかしヘザは納得がいかないといった風に顔を曇らせた。
「成功の可能性は低くないと思われますが、ハイアート様が危険すぎます。この役割は私にお命じいただくべきです」
ぼくはかぶりを振った。
「君しかトーボレムを吹けないのを忘れたわけじゃないだろう? 君が本隊に残るしか選択の余地がないのは明白なはずだ」
「ですが……いえ、了解しました」
ヘザは頭を垂れるが、その表情は晴れないままだ。ぼくは鼻で小さく嘆息をついた。
「よし。兵には行軍で疲れているところ悪いが、作戦行動はすぐに開始する。全軍に陣形の動きを再確認したのちに、出陣すると伝えてくれ。ぼくは騎兵隊長と話をしてくる」
立ち上がり、天幕の外へと歩み出る。
入口の側の杭に繋いであった、黒みがかった栗毛の馬の鞍にまたがると、ぼくは騎兵隊のキャンプを探すべくおもむろに馬を歩かせた。
横一列に長く布陣した軍が、ドンドンと陣太鼓の音に合わせて行進する。
ぼくとヘザは陣形の中央で、徒兵の足並みに揃えて、ゆっくりと馬の歩を進めている。
「ハイアート様、まもなく弓の射程に入ります」
「うん。弓兵隊、斉射準備……射て!」
パァンと高く短いトーボレムの音が響いた。
直後に、自陣後方から数百本の矢が曲射で放たれる。
ほぼ同時に、敵陣からもこちらの二倍近い密度の弾幕が交差し、雨のように降り注いできた。
ぼくが風精霊術で上空に乱気流を発生させると、敵勢の上空でも同様の嵐が起こり、双方の矢ぶすまが一気に吹き散らされた。
「敵方にも、腕の立つ風精霊術師が多数いるようですね」
「そのようだ。ヘザ、弓兵隊は後退。他は前進を続ける」
「了解しました」
自軍がさらに前進し、距離が詰まる。
もうすぐ精霊術の射程に届こうかという時に──
「今だ。ヘザ、全軍ギオーリンに陣形を組み替え、速足前進」
号令が轟き、陣容がダイナミックに変形する。
全体が大きな三角形へと変形したのち、再度の号令で先ほどより倍のスピードで敵陣の中央へとまい進していった。
いわゆる八陣における「魚鱗」の陣形だ。
陣形が変わると同時に、ヘザは最後尾、ぼくは最前部に出た騎兵隊の中心に位置する。──さすが王都軍。陣形を変えるという大仕事がここまで早く的確とは、すごい練度だ。
「──接敵するぞ! 騎兵隊、突撃準備!」
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