異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです

観音寺蔵之介

第十七話(三)「奇跡って割とよく起こるものかもしれない」


  心臓が、ひとつ大きく、脈を打ったように感じた。
  彼女の思惑は分かる。のだ。
  ハム子にとって、家族以外で一番近しい男子はぼくだ。それはもう、お互いの親同士が結婚させようなどと冗談を言い合うぐらいに近しい。
  だからもし、ぼくから 愛を告白された」としてもダメなのだとしたら、この先どんな男が現れたとしても、恋愛など望むべくもない──そう考えているのだろう。
  でもそれは、いろいろと間違っている。
  一番間違っているのは、男として人間として評価したランキングがあるとしたら低い方から数えた方が早そうなぼくを試金石にしてどうするのかという点だ。
  それだけでなく、ぼく自身の心持ちからしても、そこは曖昧にしておきたい──ぼくだって、そんな現実を直視したくはないのだ。
 ……断る。そういう言葉に、ぼくは無責任でありたくない」
 ……だよね。変なこと言ってごめん。でも、私──」
 シッ。静かに」
  ぼくはハム子の言葉を遮って、耳をすます。
  遠くからかすかに、ペタリペタリと、サンダルの足音が響いてくる。
  漆黒に包まれた廊下の奥に、ぼんやりと懐中電灯らしき小さな光が浮かんだ──
 来た。隠れるぞ」
  ぼくはそっと扉を離れ、音を立てないように細心の注意を払って、掃除用具入れのロッカーに身を滑り込ませた。
  あとは犯人がここに来て、魔素中毒の症状を発現したところを不意討ちして魔素を始末する。計画は完璧だ。
  しかし。
 え、えっ。ど、どこに隠れたらいいのだ」
  あっさりと計画が破綻した。
  ハム子の存在は想定外だ。教室内で身を隠せる場所は、ひとつしかない。
 ハム子、こっちだ。早く」
  ぼくが呼ぶと、ハム子はその一八〇センチ近い巨体を、すでにぼくが入っているロッカーの中に強引にねじ込んで、戸を後ろ手に閉めた。
  ……これは、まずい。非常にまずいことになった。
  ぼくの顔の右半分が、彼女の豊かな双丘の狭間にすっぽりと収まっている。
  その上、ぼくの脚の間に彼女の大腿が割って入ってきている。
  ロッカーに二人も入るってだけで窮屈なのに、ハム子が身長だけでなく身体のアレやらコレやらがデカすぎるせいで、ほぼ全身が超密着状態だ。
 あ、やあっ。は、ハヤ君、頭……動かさないで……!」
 ハム子こそ、あ、脚を引いてくれ……つ、つぶれるっ……!」
 あ、で、でも、何か固いモノが、当たって……」
 ……ち、違うぞ。それはほうきの柄だからな!  決して違うぞ!」
  掃除用具入れがカオスな空間と化す中でも、ぼくは外の状況に注意を向けていた。
  ペタリ、ペタリ。
  足音がかなり近くまで来ている。
 おい、ハム子。物音を立てないように、そこの隙間から外を覗いててくれ」
 わ、分かったのだ」
  ハム子はかなり無理に上体をひねって、扉についた六本のスリットのひとつに目を近づける。
  その動きのせいで、ぼくは頬っぺたに弾力ある突起物の強烈な左フックを食らった。とても柔らかいのでダメージはないが、精神的にガツンとノックダウンさせられた。
  立て、立つんだジョー。
  いや違う、そっちのことじゃない。それだけは人として絶対にダメだ。
 ……あっ!  あ、荒岩先生……!」
  ハム子が目を見開いて驚いた。
  どうやら、犯人とおぼしき最重要参考人──荒岩哲、通称ガンテツのお出ましのようだ。
 よく見てくれ。どんな様子だ」
 め、めちゃめちゃ怒った顔をしてるのだ。鼻息もすごく荒くて──」
  その息づかいは、ぼくの耳にも届いていた。それに混じって、 ビジョ……ヤジュウ……ウウウ……」とかすれたうめき声も聴こえてくる。
  ガンテツの恨みは、三組じゃなくて 美女と野獣」の演劇の方にあったのか……?
 あっ、竹刀を……だっ、ダメ────!」
 待て、ハム子……!」
  彼女を制するのが一瞬遅れた。
  ハム子はロッカーからあっという間に飛び出し、書き割りの前で竹刀を振り上げていたガンテツの腕に絡みついていった。
 ヌウ──!  ジャマダァァ──!」
 荒岩先生、やめてほしいのだ!  クラスのみんなで一所懸命作ったものなのだ──!」
  ズキン、と胸が痛んだ。
  ぼくの当初の計画は──ガンテツに書き割りを、それに気を取られている間に不意を討つという作戦だったからだ。
  新城会長が相手でも死ぬ思いをしたのだ。ガンテツのように身体がデカくて腕力も人一倍強い相手では、よほど慎重に策を講じなければ本当に殺されてしまう。
  だから、書き割りを囮にするのも仕方ないと考えていた。しかし、その作戦にはハム子や三組のクラスメイトの心情が考慮されていない。
  犯人を捕まえても、再びハム子らを悲しませては意味がなかった。このハム子の必死さを見て、ぼくは気づかされた。
  ぼくがリスクを負っても、守らなきゃいけないものはある。
  それも含めて、ぼくの責任だったんだ──
 にゃ──────っ!」
  ガンテツに強引に振り回されて、ハム子が床に投げ飛ばされた。
 ニクイ!  ニクイ!  コワシテヤル!  ツブシテヤルウゥゥ!」
  ガンテツは起き上がりかけたハム子にずいと詰め寄ると、竹刀を頭上に構えた。
  ぶんと振り下ろされる。
 んあっ……!」
  竹刀の刀身は、間に割って入ったぼくの背中をしたたかに打った。
  苦痛にあえぎが漏れる。
 ハヤ君!」
 ううっ……は、ハム子、逃げろ……!」
  ぼくはガンテツの腰に組みついた。
  ハム子は立ち上がるも、ただおろおろとするだけで動けないでいる。
 で、でも……」
 約束しただろ……早く行け!  大丈夫、あれはぼくが、絶対に守る」
  ハム子は満面に迷いを見せていたが、やがて意を決したようにきっと表情を固くすると、くるりと反転して教室の外へと駆け出していった。
 そうだ、それでいい……あとは、これをどうにか──オゴっ!」
  ぼくは頬っぺたに、弾力もクソもない固い拳の強烈な左フックを食らった。今度のはダメージ絶大で、リアルにガツンとノックダウンさせられた。
 ジャマ……スルナァァ──!」
  雨のように、竹刀の身を何度も打ち据えられる。木や鉄の棒でないだけマシなのだろうが、竹刀でも十分に痛い。
 このっ……!」
  ガンテツの向こうずねをつま先で蹴りつける。
  さすがに少しは効いたのか、ガンテツの動きが鈍った隙に、ぼくは転がって離れ、あごの軋みを気にしながら立ち上がった。
  右頬が灼けるように熱い。
  きっと腫れ上がって、前よりずっとイイ男になってるに違いない。
  まずは、あの竹刀をどうにかしよう。
  ぼくは手近な生徒用の椅子をつかむと、脚の方を向けて構えた。
  怒り狂って得物を振り回してくるガンテツに対して、椅子の座板を当てて防ぐと、脚を引っ掛けながらひねり上げる。
  勢いよく回したため椅子が手から離れてしまったが、竹刀も諸共に投げ出す形になった。
  双方とも徒手空拳となったが、問題は、これからだ。
  ガンテツはいつも竹刀を持ち歩いてはいるが、彼は別に、剣道をやっているわけではない──
 グウゥ……オレヲ、オレヲバカニスルナァアァァ!」
  顔色が赤黒く染まり、ガンテツは鬼神のような憤怒を見せる。これ以上怒ったら身体が爆散してしまうんじゃないかと思わせるほどだ。
  その鬼面の額の部分に、メラメラと立ち上る、黒いオーラ──
  あそこに手を触れさえすれば、ぼくの勝ちだ。
  しかしガンテツはぼくより二〇センチ程度背が高く、普通に手を伸ばしても届かない。
  少々、工夫が必要だ。
  ぼくは左前に構え、間合いを開いてガンテツの動きを待つ。彼は迷うことなく詰め寄ってきた。
  その出足を、ローキックで迎え撃つ。
  横から膝を蹴られて、ガンテツの突進が止まった。効果アリだ。
  ぼくはもう一度間合いを空け、再び前に出てきたガンテツの膝をカウンターで蹴りつける。
  イラついたようにうなり声を上げる彼に、ぼくは人差し指でクイクイと手招くハンドサインで挑発してみせた。
 コロス……コロスコロス、コロスウゥゥ!」
  三たび躍り込んできたガンテツに、ローキックを放つような仕種を一瞬だけ見せる。
  足元に注意が向いた刹那に、ぼくはすぐ後ろの学習机を踏み台にして、ガンテツの上半身へと飛び込んだ。
  アイアンクローを仕掛けるかのように、額目がけて手を突き出す──
  あと数センチだった。
  完全に不意をついたはずだったが、伸ばした腕の袖を、ガッチリと捕まえられていた。
  やられた。何て反応の速さだ。
  さっき言ったとおり、ガンテツは、剣道はやっていない。
  しかし──は、だ。
  半秒後、ぼくは見事な一本背負いで、木製のタイル床に叩きつけられていた。
  身をよじり、辛うじて右の側面から落ちたものの、五体がバラバラになりそうな衝撃に目の前が真っ暗になった。
  たぶん、前後不覚に陥っていたのはごくわずかな時間だ。
  その間に──ぼくはガンテツに馬乗りにされていて、のどをギュウギュウに絞めつけられていた。
  それは頸動脈を圧迫して落とす、柔道の絞め技ではなく。
  両の手でわしづかみにして、窒息死させようとするものだった。
 シネ……シネシネシネ……シネェェ……!」
 …………!」
  ぐっと気道が絞まり、叫び声すら上げることができない。
  手首を握って引きはがす試みも、ガンテツの腕力には到底かなうはずもなく、びくとも動かない。
  左手を伸ばしてみるが、彼の額の魔素には、リーチが全く届かない。
  苦しい。
  全身の力が、徐々に抜けていく。
  もう、ぼくの力ではどうにもならない。
  奇跡でも起こらない限り、ぼくは、死ぬ──
  
  でも、奇跡って割とよく起こるものかもしれない。
  
  絶命寸前のかすみゆく目に、左手首のキラキラとした輝きが飛び込んできた時、ぼくは鼻で笑いながらそんな風に思った。

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