異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第十六話(二)「昭和のギャグ漫画か!」
「そっちへ行かれては困る。おまえを見たら、みんなが驚いちゃうだろ」
建物の暗がりから、ぼくはゆっくりと姿を現した。
黒い魔術師の外衣をまとい、帰宅前にホームセンターで買ってきた一メートルほどの木の棒を、ステンレスワイヤを編み込んだ防刃手袋に包んだ手に携えている。棒の先には、台所から失敬してきた包丁の刃が差し込まれていた。
加えて、先日あちらの世界から帰ってきた際にたまたま懐に入れっぱなしだった、精神攻撃避けの白い仮面を着けている。術式に魔力を込めていないので効果を発揮しているわけではないが、誰かに姿を見られた時のために、顔を隠すのにちょうどよかったのだ。
ゴブリンはぼくに向き直ると、殺意をむき出しにしながらにじり寄ってくる。歩み寄るたびに、アスファルトにうっすらと魔素の足跡が残るのを一瞥して、ぼくはため息をついた。
「やっぱり、本物の魔物だったか……間違いであってほしかったが、そうと決まれば責任をもって、おまえを消さねばならない」
即席の槍を構え、じっと相手の動きを見据える。
南国のカラフルな鳥が鳴くような叫びを上げて、魔物は出し抜けに躍り込んできた。
動きに合わせて、まっすぐに槍の刃先を繰り出す。いとも簡単に、それはゴブリンの喉元に食い込んだ。
「──えっ?」
ぼくは驚きに、小さなうめきを漏らした。物理的に突き当たった手応えはあったものの、刃物が肉体にスルッと入り込む、あの感触がない。
包丁の先が、魔物の身体を刺し貫いていかないのだ。
ぼくは槍を引き、再度構え直した。
ゴブリンは何事もなかったかのように、爪を立てようと長い腕を振るってくる。
それに穂先付近を当て、ぐるっと外回りに回し外側にひねり出した。
大きく隙のできた胸を目掛けて、今度はさきほどより腰を入れてしっかりと突く。
まただ。
刃はゴブリンの胸を切り裂くことなく、逆に押し返されそうになる。
ゴブリンは胸に当たった包丁を不思議そうに見つめ、それからうるさそうに爪の先で弾いた。
ピーンと軽い金属音と共に刃先が欠けて、暗闇の中へと消えていってしまった。胸には跡すらついていない。
バカな。
何でこの魔物には、武器が通じないんだ?
この魔物が特別というわけでもないように思えるが、ダーン・ダイマで飽きるほど戦ってきた時とは何が違うのだろう。
ぼくは数歩飛び退き、穂先を欠いてただの木の棒になった槍を斜めに構えた。
とりあえず防御に徹して、この魔物とどう戦えばいいか、全力で考えるのだ。
恐れずに接近して両腕を交互に振るってくるゴブリンに対して、槍の先でいなし続ける。
五発目の攻撃を返した時に包丁の刃が根本から取れて、槍は百パーセントただの「ひのきのぼう」になってしまった。
いや、ホームセンターの商品標示には確かヒバと書いてあったような。「ひばのぼう」。ヒノキと何が違うのかよく分からないが、何か……弱そうだ。
違う、違う。こんな余計なことを考えている暇はないんだ。
とはいえ、こうも攻撃を受け続けながらでは、まったくアイデアがまとまらない──
「あっ!」
ついに耐えきれず、木の棒は中心近くから二つに砕かれてしまった。
ゴブリンが容赦なく迫る。ぼくは短くなった棒を顔面に向けて投げつけるが、命中してもまったくひるむ様子もなく、爪を振り下ろしてきた。
右手の攻撃は身をかがめてかわした。
しかし、左手からの一撃は身をよじっても避けきれずに、ざっくりと背中を薙いだ。
灼けつく痛みが走る。
膝から力が抜けて、ぼくはどさっと路面に横たわった。
このままではやられる。武器が必要だ。
予備の武器を用意はしているが、それを出す余裕がない。
さらに飛びかかってくるゴブリンから、ゴロゴロと転がって逃げる。
すると、背中に何か当たって、ゴトンと音を立てた。
さっき奴が身をひそめていたポリバケツだ。
ぼくはわらをもつかむ思いでそれをつかみ上げると、奴の方へ放り投げた。
中の生ゴミをまき散らしながら飛んでいったバケツは、無情にもあっさりと、ゴブリンの腕に払い退けられた。
ギエーッとひと声鳴いて、ゴブリンは、猛然と踏み込み──
猛然と、地面に散らばった生ゴミの中の、バナナの皮に足を滑らせてすっ転んだ。
昭和のギャグ漫画か!
つい心の中でツッコんでしまうも、この機を逃してはならない。
ガクガクと震える膝をバチンと叩いて立ち上がると、外衣の裾をめくって、それをすらりと引き抜いた。
ハヤブサの紋章を柄頭に刻んだ、ゲイバム王国騎士の剣だ。
王家の徴に恥じぬ高品質の鋼鉄でできていて、武器としても一級の鋭さを持つ。
しかし、問題が二つ。
この剣が刃渡り四〇センチ程度の心許ない武器であることと、剣技の基礎はアーエン師匠に叩き込まれているものの実戦は一度もないということだ。
しかも、奴に刃が通らない謎もまだ解決していない。
今の勝算はほぼゼロだ。
それでも──やらなきゃいけない責任が、ぼくにはある。
起き上がってくるゴブリンに対し、ぼくは右手で柄を、左手で剣身を握る構えを取った。
奴は今まで以上にたけり狂い、めっぽうに腕を振り回してくる。爪の先を剣で受け流し、サイドステップで相手が攻撃しにくい角度へと逃げながら、攻略の糸口を探る。
魔物に武器が通用しないわけは……魔物の生まれ方の違いか……生まれた世界の違いか……。
考えようにも、手がかりが足りない──
ドン、と背中に衝撃を感じた。
考えごとに注意を取られているうちに、ぼくはビルの外壁へと追い込まれていたのだ。
両サイドから、逃げ場を奪うように爪が迫った。
右側を剣で弾き、左手で相手の右腕を制そうとする。
その手首を逆につかみ上げられ、壁に押しつけられた。
まずい、と思う間もなかった。
ゴブリンは懐に飛び込んできて、ぼくの左肩に向け、キリのように細く鋭い歯がまばらに並んだ口を大きく開き──
ぼくは絶叫した。
肩に深々と食い込むゴブリンの牙が、死を予感させるほどの苦痛を与えてくる。
逃れようと身をよじるほどに、それはメリメリと傷を広げていった。
「ぐっ、う……うわあああぁぁぁ!」
何も考えていなかった。
ただ無我夢中で、ぼくは手にした小剣の先を、ゴブリンの喉元に打ち込んだ。
手にドスンと反応が伝わるが、先ほどと同様に突き刺さりはしない──
が、ゴブリンはあぎとを肩から外し、苦しげに吠えた。
剣の一撃に、痛みを感じたような様相を見せたのだ。
ぼくは半信半疑で、もう一度同じ場所に刃を突き入れる。
魔物は再び悲鳴を上げると、身を翻してぼくから離れた。
間違いない。傷つけられはしないものの、この剣は奴にダメージを与えたのだ。
ぼくは痛みで力の入らない左腕をだらりと下げて、右腕一本で小剣をブンブンと振り回した。ゴブリンは明らかに嫌がるように間合いを広げている。
これでしばらく考える余裕が持てる。しかも、大事なヒントももらえた。
この剣はなぜ奴を痛い目に遭わせられたのか。この武器の特徴は何だ。思い出せ、考えろ。
これはゲイバム王国の騎士に与えられる特別なものではあるが、ゲームでよくあるマジックアイテムとかいう代物ではない。他と変わらない、ただの鋼鉄製の剣だ。
王から下賜されて以来、身分証明のためにずっと腰に下げてはいたが、実戦で使ったことはおろか、ほとんど抜いたこともないお飾りだった。
最初の「パッチン」でダーン・ダイマから日本に送還された際にも身につけていて、それからは自室の押入れにしまい込んだままになっていた。
……ダーン・ダイマから、持ち帰った。
そうか。
最初に何のダメージも与えられなかった手製の槍は、こちらの世界のモノでできていた。
ダーン・ダイマで作られたモノだったから効いた、という仮説は有力だ。
異世界製にあって、現世界製にないもの。
異世界にあって、現世界にない──
ぼくの脳裏に、ひとつの答えが閃く。
ああ! 何でこんな簡単なことに気づかなかったんだ!
それは「精霊」、そして「魔素」だ。
ぼく自身と共にこちらの世界にやってきたアイテムにも精霊や魔素がまとわりついていたが、それらはすでに霧散してしまっている。
しかし、表面からは消えても、あらゆるモノに「染み込んでいく」性質のそれは、この剣の組成の一部として今も存在し続けている。
つまり──魔物に打撃を与えたものの正体は「魔素」なのだ。
そもそも、魔物とは凝固した魔素である。
魔素には魔素が効果を及ぼせる、という考え方も決して当てずっぽうとは思えない。
もちろん、この世界の空気は、剣にまとわりつくほど魔素の濃度は高くない。
しかし──魔力としてぼくの手中にかき集めて、それを術式に与えるように刃の表面に付与したなら……!
確証はないが、この可能性に懸ける他にない。
ぼくは目を細めて、辺り一帯の魔素の澱みを探った。
魔物が居着いていたせいか、他と比べれば割合に濃く漂っており、丁寧に吸収して回れば剣の刃の部分だけに薄く流し込むぐらいの魔力は集められそうだ。
「ウラァァ──! チェストォォ──!」
ぼくは怒鳴り声を上げて、大げさに動きながら小剣の先を向けてくるくると回し、さらにゴブリンを威嚇した。
奴をビビらせているうちに、ウロウロと周囲を巡って、こっそりと魔力を集めていく作戦だ。
しばらくは攻撃をためらっていたゴブリンだったが、焦れてきたのか、こけおどしを見破られたのか、ぼくの怒声に負けないほどの吠え声を上げて飛びかかってくるようになった。
攻撃を弾きつつ、突きかかるそぶりを見せたりして牽制し続けるが、それもそろそろ限界だ。
集めた魔力も心許ないが、次に襲ってくるタイミングで勝負をかける。
この量の魔力では、付与してから三秒ともたずに散っていくだろう。
チャンスは一撃だけ。
その一撃で、ゴブリンに致命傷を与えねば、ぼくに勝機はない。
覚悟を決めて、ぼくは左手の指先から魔力を放出させて、剣身をなぞった。諸刃の片側だけが、淡く銀色に輝き出す。
ゴブリンが突進してきた。ぼくも合わせて、身を低くして剣を構える。
狙うは喉元。
刃を繰り出そうと大股に一歩踏み込んだその時、ゴブリンが長いリーチで先んじて、その踏み出した左脚の腿を引っかいた。
「ぐっ……」
激痛に膝がガクンと落ちて、前のめりに倒れそうになる。
「……オラアァァ────ッッ!」
気合いを込めて、残った右脚で蹴り出すと、捨て身で飛び込んだ。
しかし、剣の先は喉からずっと下。
奴の脇腹を、さっと薙ぎ払うことだけしかできなかった。
外した……!
手応えは十分。予想した通り、魔物の肉体に刃が斬り込んだ感覚もあった。
しかし攻撃を当てた場所は、致命傷にほど遠い。
べちゃっと腹ばいに着地すると同時に、剣の身から輝きが失われた。
くそっ。もうこれで、万事休すなのか……!
ぼくは、魔物の方を、おそるおそる振り返った。
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