異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第十五話(一)「貴殿はバケモノだな」
ぼくを先頭にして、三人の人影が、赤い荒野を駆けていく。
起伏にうねる台地と、切り立った岸壁とが折り重なり、遠くには青白い山脈の稜線ばかりが続く。歩きやすい平坦な地面も、見通しのよい平地も、眼に映る光景のどこにも存在しなかった。
「ハイアート殿、どこまで行くのだ。もうかれこれ一千ネリ近く走っているぞ」
一千ネリは、およそ一千二百メートルだ。さすがにグークも訝しげに尋ねてくる。
「憶えたての魔術なんで距離感があまり分かってなかったが、半分ぐらいは接近したように思う。どうやら、ぼくの魔物を感知できる魔術の範囲は半径二千ネリくらいあるようだね」
「……モエド魔術官。俺の耳がおかしくなったのでなければ、彼は『二千ネリ』と言ったように聞こえたんだが」
グークは、列をなして走る三人の中央を往くモエドさんに訊いた。
「あたしにもそう聞こえましたよ、殿下。もうハイアート様がどんな常識外れなことをおっしゃっても驚かないつもりでいたっスが、今のは相当こたえたっス……」
ぼくの背後にいるモエドさんの表情はうかがい知れないが、言葉の端々に苦虫がプチプチ噛み潰されているような調子を感じる。
「常々思っていることではあるが、ハイアート殿。貴殿はバケモノだな」
「お褒めにあずかり光栄ですよ、グーク王太子殿下──うっ?」
ぼくは足を止めた。
標的に近づいたため、感知の精度が上がったようだ。ひとかたまりの反応だったそれは、今は三つの個体の群れへと変化している。
しかも──
「魔物がこちらにまっすぐ向かってくるぞ、グーク。ぼくたちの位置が向こうに分かっているようだ」
「逆感知されているな。たまに感知の波長を感じる能力を持つ奴がいるんだ──皆、仮面をつけろ。額の術式に魔力を注ぐのを忘れるな」
ぼくは懐から、出発前にグークから配られていた仮面を取り出した。
顔の上半分、額から鼻までを覆う、白く飾り気のないシンプルなものだ。「オペラ座の怪人」のファントムが着けているマスクに似ているが、あれは右半分だったかな。
額には術式が彫り込まれていて、これに魔力を付与すると、精神に影響を及ぼす魔力に対してある程度抵抗できるようになるらしい。
魔物は魔素でできており、ご存じのとおり魔素は精神に異常をきたすおそれがある。そして、まれにその魔素の毒性を操れる魔物がおり、思考を混乱させたり幻を見せる攻撃を仕掛けてくることがあるというのだ。
ぼくは仮面を装着し、額に指先を触れて魔力を流し込んだ。
「これでいいのかな。しかしこういう備えなしに、ぼくはよく先の大戦で使役された魔物と戦えたもんだ」
「まぁ、ハイアート様の場合は、万一の備えっス」
すでに仮面をつけ終えたモエドさんが、肩をすくめて言った。
「万一って?」
「魔物の精神攻撃は、対象者の魔力制御力が魔物より高いと効かないっスよ。その逆で、魔物隷属も術者の魔力制御力が魔物を超えてないと効かないので……」
「そうか。使役された魔物の精神攻撃は、間接的に隷属した術者と対象者の魔力制御力比べになるってことか」
「ご明察っス。いくら魔界の腕っこきの魔術師でも、ハイアート様を超えられるはずがないっス。だから大戦では攻撃を受けなかったっスが、野良の魔物は──」
「ぼくより制御力が高いものがいる可能性が否定できない、だから万一の備えなんだね」
「……ご明察っス。ハイアート様、あたしはそんなに気にしないっスけど、人の説明を先読みして横取りするクセは、気分を害する人もいるから直した方がいいっスね」
分かっちゃいるけど、これがなかなかやめられない。ハム子の口いっぱいに食物を詰め込むクセのことを、とやかく言える立場じゃないな。
「今後は気をつけるよ。──さて、もうすぐお客様のご到着だ。距離約百ネリ、目標は三体」
ぼくの見通した先には、荒野のうねりに見え隠れする黒い影があった。イノシシのような、ずんぐりとした四つ足の獣の姿をしている。
「まずぼくから行こう。これで全員倒せればいいけど──」
感知した時から十分にため込んだ精霊力を手の先にまとわせる。
その力を撃ち放ち──凝縮した火の精霊力は、魔物たちのど真ん中に直線で飛び込んで、轟音を上げて爆ぜた。
反応が二匹消えた。
「一匹残った。気をつけろ」
「俺の分の獲物を残してくれるとは、親切だな。任せてくれ、きっちり仕留めてみせよう」
盾を身体に引きつけ、グークがざっと前に踏み出した。そこへ、爆煙を切り裂いて魔物の姿が躍り出てくる。
さらに間近に見えたイノシシの魔物は、その体毛のようなものがすべて鋭利な針のように硬くとがっていた。まるでヤマアラシだ。
突進してくる魔物の一撃を盾で受け止めんと、グークが足を踏ん張って身構える。
しかし、その一撃は、やって来なかった。
魔物はピタリと動きを止め、全身をぶるぶると震わせながら、呆然と立ちつくしている。
「どうしたっスか、殿下。ガツンと仕留めちゃってくださいっス」
モエドさんが、にっこりと微笑んで言った。
「モエド魔術官、君が何かやったようだな」
「えーと、まぁ、やりましたっス。魔物隷属の応用で、魔物の反応をマヒさせて動けなくさせる魔術を……ハイアート様、これは法律違反じゃないっスよね?」
たぶん、ぼくに訴えかけるような視線を向けていると思われるが、仮面のせいでよく分からない。
「まぁ……ギリセーフということで。というか、モエドさんはいつ術式を組んだんだ。まったく見えなかったぞ?」
「まぁ、あたしの描き方は描き始めから発動までが早いってよく言われてるっスから……それより殿下、トドメをよろしくっス」
グークは腑に落ちないといった風に表情を曇らせた、とは思うが、仮面のせいでよく分からない。
そしてつまらなそうに、彼は全身をねじって、右手に握った槌矛を魔物の横っ面に勢いよくぶち込む。
魔物の反応がすべて消滅した。
「それでは、お先に失礼するっス。おやすみなさいっス」
「はい、おやすみなさい」
ぼくはわずかに首を上下させて答えると、モエドさんは簡素な木組みに布をかぶせただけのテントの中に消えていった。
すでに辺りは夜のただ中にあり、ぼくとグークの間にある焚き火だけが、荒れ野の中にただ一つ、ぽつんと光を灯している。
落日までに、ぼくたちはもう二匹だけ魔物を討伐した。グークは今日の成果に不満そうだったが、月も出ていないような闇夜にまで強行するわけにもいかない。
「航空舟を使えたら、もっと効率がよかったと思うのだがな……」
「シッ。グーク、モエドさんに聞こえたら君も尻が腫れ上がるほど蹴られるぞ。あの人は、王子だろうと救世主だろうと容赦ないからな」
真剣な面持ちで言ってから、ぼくはフッと苦笑した。グークもつられたように微笑む。
「それにさ、今はとりあえず城と王都の周辺の脅威だけなくなればいいから、航空舟で巡るほどでもない。そっちの方は、ヘザが戻ったらやろう」
「そうだな。しかし──こうして野営をしていると、魔王討伐隊の時を思い出すな」
グークは焚き火をじっと見つめていた。その目に、炎のゆらめきが映っている。
「ああ。あれからたった二年ぐらいなのに、ずいぶん遠い昔に感じる」
ぼくは星のない夜空を、ぼうっと見上げた。
ふっと、魔王討伐のために集められた、七人の英傑たちの顔ぶれを思い出す。
トットーとマーカムは、戦いの中で命を落とした。
ナホイは森林族連邦の騎士に叙任された。連邦は中立を表明したため、彼はこの戦争には関わっていない。
ブンゴンは盗賊だった時の刑を恩赦されたあと、行方をくらましている。
ぼくの側に残ったのはグークとヘザだけだ。
「討伐隊の仲間も今は散り散りだけど……気のいい奴ばかりだったな」
「ああ。最初から仲が良いわけではなかったが……城までの数日間は、彼らのおかげで俺にとって忘れ得ぬ日々となった」
少しの間、二人の間に沈黙が流れる。ぼくもグークも、在りし日の思い出に心を和ませていた。
「……そうだ、グークは知らないだろうか。ヘザのことなんだが──」
ふと思い出し、ぼくは唐突に訊ねた。
「ヘザ殿が、何か?」
「彼女が何か失敗したとかで、ぼくに言い出しにくいことがあるみたいなんだ。いきなり本人に切り出すのも角が立つし、君がその辺のことを聞いてないかと思って」
グークは額に手を当てて考え込むそぶりを見せるが、やがてかぶりを振った。
「いや、ヘザ殿とは事務的な話しかしておらぬし、その中で彼女が何か失敗したというような部分は見られなかった」
「そうか。やっぱりグークも知らないよなー」
「大体、ヘザ殿のことなら俺よりはモエド魔術官に訊いた方がいいだろう。彼女とは私的にも親しくしていると聞いている」
それは非常にまずい。
ぼくが立ち聞きしたあの場にモエドさんもいたのだから、下手をするとそれがバレてしまう。
「わ、分かった。後で訊いてみるよ」
「……まぁ、失敗などではないが、ヘザ殿が君に隠そうとしていることなら、ひとつ心当たりがある──とはいえこれは、君も分かっていることだろう」
「え。何のことだ?」
ぼくは目をぱちぱちさせた。ヘザがぼくに秘密にしていることが、まだ他にあるのか?
「何って、それは……おっと、その前に一応確認するが、君は別に、ヘザ殿が嫌いというわけではないのだろう?」
え、これ何の確認?
その秘密って、聞いたらヘザが嫌いになってしまいそうなことなのか?
しかし、仮にそうだとしても──
「当たり前だ。ぼくがヘザを嫌う理由がない」
「……であれば、だ……君も前向きにな、ヘザ殿の想いに応えてやったら、どうなんだ」
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